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凝り性で飽き性

どうしようもなく三日坊主だ。

いや、三日坊主とも少し違う。
凝り性で飽き性とでも言おうか。

日々、浮かんでは消えるアイデアと呼ぶまでもない些末なことを形にして残したいと思い、実践しては失敗してきた。

日記は続かない、というか何をどのくらい書けばいいものか分からない。
朝は何時に起きて何を食べ、誰に会った、等と行動の記録と化してしまう。
記録と化すも何もそれが日記なのだが、始めた当初はやけに凝った感じで事細かに書き始め、だんだんとそのクオリティで書くことにプレッシャーを感じて億劫になる。
飛び石のように点在する、日付だけが印字された空白のページに責められているような気になり、やがて書くこと自体辞めてしまう。

そもそも考えてみれば本当に書きたいのは行動の記録ではない。

通勤電車でふと浮かんだ考えであるとか、読書していて気になったある一節への感想であるとか、記録しておかなければ日常に埋もれてしまいそうな日々の思い付きをこそ残しておきたいのだ。

日記とは違う形で、誰の目にも触れない場所に思い付きを書くといったこともやってはみたが、自分しか見ないのだからと単語だけのメモのようになっていく。
そうして数ヶ月もすると、単語だけでは書いたときに何を考えていたのかさっぱり分からなくなる。
私のスマホのカレンダーアプリや手書きのスケジュール帳には、そうした単語の羅列がいくつも残っている。

こうした試行錯誤ともいえない紆余曲折(又は一人相撲)を経て、人の目にも触れる場で、思い付きを他人にも分かる形で文章として残す場としてnoteに行き着いた。

無駄なものといえばそうかもしれないが、そうした思い付きや思考の履歴のようなものを残しておけば、その瞬間の自分の内面や輪郭を切り取っておけるように思う。
何年後かに見返して、あの頃はあんなことを考えていたのかとアルバムを見返すように振り返れるのではないか。
(恥ずかしくて見たくもない黒歴史となる可能性もある。)

ここまで書いて、こんな風に気取って書いているこの文章こそ、日記でいう鼻息荒く記した第一ページ目に当たるのではないかと、はたと思い当たる。

幸いここでは日付だけが入った空白のページに責められることはない。
自分のペースで日々、思い付きを書いていければと思う。

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