手紙
あの日紡いだ言葉は想像以上に貴女に届いていた。
15年を経て知った事実に嬉しくなり、筆をとる。
これまでの人生で何通の手紙をやり取りしただろうか。
大人になった今、書くことももらうこともほとんどなくなってしまった。
私が中高生の頃、友人とコミュニケーションをとるツールの一角を担っていたのが授業中に書く手紙だ。
ノートの切れ端やルーズリーフにしたためる内容は今度遊びに行く予定や先生の噂話、他愛のないもの。
あの手紙には放課後にやり取りするメールとはまた違った役割があったように思う。
あの頃、今とは比べ物にならないくらい友人の存在は大切なものだった。
私にとって友人関係の悩みは人生の一大事であったし、友人がいるというただその事実でさえ、クラスの中での自分の立ち位置を図る上で重要な要素と考えていた。
私には親友がいた。
クラス替えでクラスが離れても、彼女の留学で学年が離れてもかわらず親しくしていた。
当時彼女に宛てた手紙で、一体なんの文脈だったのか思い出せないが「無事に留学から帰ってきてくれたこと、それだけで私には十分」といったようなことを書いた。
ちょっとこっ恥ずかしいような心持ちでその手紙を渡した。
重い奴だと思われやしないかと内心ヒヤヒヤしつつ。
果たして返事にはその一節に対する特別な反応はなかったように思う。
彼女はそんなに重い意味で捉えなかったのだろうとほっとしたのを覚えている。
そんな手紙を渡した後も彼女は私と親しくしてくれ、今でも交友関係が続いている。
私の中であの手紙は学生時代の懐かしい思い出の1つとして刻まれてはいたが、改めて思い出すこともなくなっていった。
あれから15年経った私の結婚式。
彼女は新婦友人からの手紙を読み上げてくれた。
その中で、当時あの手紙を読んで涙したと言ってくれた。
今でもあの手紙はとってあると。
そうか、届いていたのか。
胸の辺りがじんわりと温かくなった気がした。
軽い気持ちで言った言葉も、重すぎる想いをのせた言葉も、自分が想像している以上に相手に届くこともある。
いい意味でも、悪い意味でも。
言葉選びに気を付けようと改めて思う。
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余談だが、教職についた別の友人によると、授業中にこっそり手紙を書く姿はほぼ100%先生にばれているそうだ。
ノートや筆箱で偽装しながらうまくやっているつもりであったが、なんのことはない、先生も学生時代には同じようにこっそり授業中に手紙を書いてきたのだ。
あの頃、注意されずに書き終えられたのは先生の優しさか諦めか。
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