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祖父母

今現在、僕に祖父母はいない。

既に全員亡くなってしまった。
もちろんお年玉も祖父母から貰えない。

非常に懐が寒い。

母方の祖母は僕が生まれてすぐに亡くなったようで、僕は顔が全くわからない。

母に話を聞くと、非常に料理が上手で、すべての料理が美味しかったそうだ。

母方の祖父は僕が中学3年生の時に亡くなった。
亡くなる2~3年前から僕の家に住んでいた。
何か特別可愛がられたということも無く、たまにお使いを頼まれ、ちょこっとお小遣いをもらい、それ以外は夜ご飯のときだけ顔を合わす程度だった。

これは余談だが、冬場に自転車に乗って競馬場へ行き、帰宅途中に転び、骨を折って帰ってきたことがあった。

この祖父が亡くなるあたりから不思議な体験が起こるようになった。


祖父は肺炎がひどくなり入院することになった。
最初の頃は症状は軽く、呼吸器を外してしまうくらい元気で「早く家に帰りたい」と言っていた。
しかし、次の日には寝たきりになっていた。

中学3年生ともなればそろそろ厳しいのかなとも思い、心の準備をしていた。

そんな日の夜、特に怪我などもないのに死ぬほど右足が痛くなり、眠れなくなった。

特別腫れているわけでもなく、ただただ痛かった。
だが、なんとか眠りにつくことができた。

次の日、学校祭があり、友達と楽しく話していた途中、先生に呼び出された。
「おじいちゃんが危篤だから急いで行って」
言われるがまま急いで準備をし、外を出るとすぐにタクシーが通り、乗ることができた。
先生が場所を伝えてタクシーが走り出す。
すると何故かすべて青信号で、止まることなく病院までついた。

急いで病室へ向かい、入った瞬間に心臓が止まった際に流れるピーという音がした。
周りの家族や親戚は泣いていた。
でも僕はなんとも言えない気持ちになった。

自分の身の回りで人が死んだのは初めてだった。
しかし、最後の意識があるタイミングに立ち会えなかった。
でも、学校から病室に辿り着くまではノンストップで来るという変な体験をしていたせいで祖父が亡くなった悲しみが薄れてしまった。

その後少し時間があり、父と前日に足が痛くなり眠れなかった話とタクシーがずっと青信号で止まらなかった話をした。

すると父は

「お前になにか伝えたいことがあったのかもな」

と言った。

僕は、祖父が病気による壊死で右足を切断しており、その痛みがまだあると話していたことを思い出した。
痛み分けだったのかなと今では思う。

高校3年生の時、父方の祖母が入院をし、しばらく経つと寝る直前に左足が痛くなり、次の日には病院から父に電話があり、危篤状態だと言われた。
急いで父の車に乗り病院へ向かったがまたもやすべて青信号。
そして病室へ向かうと既に亡くなってしまった。

後から父に話を聞くと、祖母は左足が悪かったようだ。
またもや痛み分け。
僕の2親等までだったら痛み分けが来るみたいだ。


なんとなくそれがわかり、次回は父方の祖父の時かと思いました。

その時はもう祖父は記憶障害があり、すでに入院してました。
しかし、非常に元気だったのでしばらく先かなと思ってました。
予め、足が悪いことを聞きました。

2回同じことがあるとここまで準備がよくなります。

しかしかなりあっさり報告されました。
足も痛くならず、事後報告でした。

よくよく考えてみました。
祖父は記憶障害があり、家族のことは全くわかりませんでした。
僕は誰かわかる?と質問したところ「同じ職場の○○さん」と答えていました。
同じ職場の人間に痛み分けするわけがありませんね。


共通して言えるのは、死に目に会えていない。
ここに関しては非常に辛い。
しかし、言い方は悪いがベストを尽くした結果、間に合わなかった。


しかし、意識があるうちは痛み分けという形で知らせてくれていた。

もし今後、意味もなく体のどこかが痛くなったら2親等までの誰かからのサインかもしれません。

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