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適当なフレーズでエゴサしたツイートを羅列する記事Vol.3「社会(2019年)」

このシリーズの趣旨はVol.1を参照してください。
https://note.com/potedolce/n/nd843510b5cb6

Vol.3「社会(2019年)」

1/03
コミケは社会オルタ

1/04
「同性婚はあなたには関係のないこと」「幸せな人が増えるだけ」という言説が回ってきたので、「この社会は複雑系なので、本当に関係のないことなどほとんどない」「割りを食う人の存在が見えないのは浅はかなのでは」という島本さんの連ツイをRTしていく。

1/05
バカでも首相になれるのは、平等な社会の証だと私は思うけどね。メリトクラシー社会の世の中に一石を投じて、ツイのお偉方をここまで翻弄してきたわけですし。

1/10
社会全体の問題として共同体の構成員全員で考えて欲しいのか、「あなたには関係ない」問題なのか、都合よく切り替えないで欲しいです。

1/11
独り者が多い社会、パートナーを持ち子供を持つことが贅沢な暮らしである社会というのは、子供に対する接し方を知らない人間が多い社会でもあるし、そもそも子供を大切にしようだとか子持ち者の負担を分担してあげようとか思わない人が目に見える範囲にいるかもしれない社会でもあるんですよ。

1/28
未婚者も既婚者も、法律の壁に阻まれて結婚できなかった人も、誰も何もプレミアムを持たないようにすればいい。みな法の下に平等だ。
しかるに現行の婚姻制度下で認められるパートナーシップのみを公証し、税制や社会保障で特権を与えてきたのはなぜかと言えば、それは人口の再生産という政策的な理由でしかないのでは?
多様化したパートナーシップの形態の全てを公証することに限度があることが見えてきた以上、いかなるパートナーシップの形態にも恩恵を与えないことが「平等」な社会の一つのあり方なんじゃないかしらん。

2/04
用語の定義を変えれば数量が変わるのが社会統計の世界なので、全数調査を抽出していたとか戸別訪問じゃなくて郵送してたとかじゃなくて用語の定義をコロコロ変える方がより深刻だよなーとは思う。しかしトップが変わればお題目が変わるのが政策の常である。

2/18
物理的にではなくとも、ベータオスは社会的に去勢を余儀なくされている。INCELとかそうでしょ?男性が政治的に正しくなるには、もはや去勢以外にないのではないかとさえ思うんだよね。

2/19
男が男女平等に人と接しようとすると、男は男に対して基本厳しいので、女に対しても厳しくなる。それを女は「人間としての尊厳ある対応がなされていない」と勘違いする。
要するに、「人として尊厳を持って接すれば、自然と男女平等な振る舞いになるはずだ」と言う人は、そもそも「人として尊厳を持って接する」ことの定義の時点で既にズレがあることを認識していないのですよ。
なぜそうなるのかといえば、男の子は多少雑に育てられるからなんですよね。もっともこれは「女の子というだけで周囲からの厳しい視線にさらされて育てられてきた」というよくある「男尊女卑的日本社会への批判」の裏返しでしかないわけですが。

2/27
ニュー新橋ビルの持つ「昭和」は、ホッとする一方でどこか鬱陶しさもあるね。人間の絆ってのがきほんてきにそういうものってのもあるだろうけど。そういうのを捨てた先にあるのが個人主義だと言えば聞こえはいいけど、裏を返せば無縁社会だよな。

3/14
「高齢者その他諸々を○せば社会保障費は減らせる」っていう身もふたもない話をきちんと批判せずに目を背けるだけなんだもんなあ。

3/19
「みんなやってること」と「私もやらなければならないこと」の間には確かに関係はないんだけど、腑に落ちないからという理由で負担を引き受けないとかルールを守らないとかで少しずつ現代社会が瓦解していっているという側面もまた見過ごせないんだよね 合成の誤謬

3/28
自己変革で解決できる問題と、政治の力を使って共同体構成員全体で解決する問題を区別して、それぞれをそれぞれが解決していくことの方が実際的だと私は思うんだよね。
全ての問題が自分一人で解決できるものでもないし、逆に全てが「政治」「社会」「教育」「官僚制」といった大きな構造の持つ疾患なわけでもない。
有名な"The personal is political."という提言は、この公的問題と私的問題の区分線は時代の変化に応じて常に揺れ動くものである、即ちかつて私的問題として自己責任とされていた不利益は実は政治によって是正されうる公的問題である、という主張としても読めると私は解釈する。
そして逆に「公的問題だと思っていたはずのものが実は私的問題だった」なんてことも起こるわけで。例えば「オタクがキモいんじゃなくて単にお前がキモい」とか「女性だから給料が低いんじゃなくて単にお前が無能」とか。
要するに攻殻の例のセリフは「社会問題」の存在そのものを否定しにかかるかなり怖い発想なんだよね。そして「文句ばかり言ってねえで少しは頭や手を動かしな!」と言いたくてこのセリフを引用するのが好きな人に限って、自分が浸っている不遇に関しては声を上げたがるのさ。まさにブーメランです。

4/15
(東京大学入学式のスピーチを上野千鶴子が担当したことの)ポイントは「上野先生が30年前と同じことを言っていること」と「日本社会のジェンダーフリー化が30年間進んでいないこと」の間には別に因果関係がない、ということです。
「あの人が現状を踏まえて認識をアップデートすることなく30年前と同じことを言いつづけている」という可能性を否定できない時点でもうアレなんですよ。

4/18
たぶん世間の潮流としては「結婚出産育児も疾病も個人の自由」だと思う。そして自己責任論と緊縮財政論に押し潰されて、社会保障はジワジワと削られていく。どこかで植松がほくそ笑んでいることだろう。

4/20
同じ高齢者の危険運転でも、犠牲者の属性によってこんなにも社会に与える影響が違うのかと思うと、かわいそうランキングの威力を感じずにはいられないし、何なら電通過労死事件の時も同じ構図だったよね。

5/07
消費社会ってそういうもんだしね、根源的需要ってもはやあんまりなくて、広告によって需要を喚起させられてようやく私たちは物を買っているってわけ。そしてそういう経済活動の中に私たちの仕事も賃金もある。否定するにしても上手くやらないと諸刃の剣よ?

5/14
結局のところ、信頼されるのは「酒の席でも社会的に受け入れられるタイプの本音しか出てこないような、ピュアな心の持ち主」ということなんでしょうな。合掌。

5/16
「今まで恩恵を受けていたぶん、多少の不便は甘んじて受け入れろ」という言説の何が気に入らないかというと、「旧習の恩恵を受けていた人たち」と「旧習が廃されて不利益を被る人たち」の間にはタイムラグがあるので同じ人ではない、ということです。
「強者属性を持っているということにされている事実上の弱者」がこうして「お前が生きづらいのは自業自得」と罵られるのですよね。
こうして「男の生きづらさは社会になんか解決してもらえないから、自力で生き延びるしかない」という固定観念が強化されていくのに、「そんなジェンダーバイアスなんて降りればいいのに」と無邪気に言われると腹が立つよね。

5/23
年金即時廃止を求める皆さんに、こんな格言を授けましょう。
「たとえ親であっても、社会の毒と思えば微笑んで殺せ。」(ポル・ポト)
皆さんの親御さんには、年金受給者もいらっしゃるのではありませんか?

5/28
「京アニ放火事件の犯人は我々と地続きだ」とは私も思っている。むしろ普段「日本社会から真っ当な人生を歩める人がどんどん減っていっている」と言うような人が「真っ当な人間ならあんなことはしない」と言って、犯人を異常者として切り離す方が、不誠実な言説だと思う。

5/31
そもそも拡大家族で住めば育児の分担者も収入源も増えて、核家族よりも「入り用」を乗り越えられる可能性も上がるのに、それをしたくないと言って核家族を選んだのは社会全体の趨勢、つまり自分も責任の一端なのにね。

6/05
階級社会は、上層が下層の存在を認識できなくなってからようやくスタートなんです。

6/12
「結婚して子供を産み育てる」という行為が何となく空気によって強制されていた時代なら「お互い様」は通用したけど、その行為を個人の自由にしたんだったら負担だけ「お互い様」で据え置くのはおかしいよね。
「結婚するかしないかも、子供を産むか産まないかも個人の自由」
「なぜ親(しかも母親)だけがこんなに育児の負担を負わなければならないのか?子供は社会みんなで育てるものなのに!」

6/13
「空気」による私人間の相互監視が盛んな風土の社会で「正義の暴走が具体的な権力の横暴よりも危険視する言説には賛同できない」と警鐘を鳴らされても、いまひとつピンとこないんだよな。

6/15
個人や家庭と比べて、組織や社会が変革するまでの時間はとても遅い(というか個人の場合も人格や習慣に関しては年月を要するものだけど)。その辺の想像力がない人が多いよな。

6/15
twitterのイット系、「○○も知らないのかよ笑」と言うばかりで、人に何かを教えている風景に出くわしたことがない。まあ彼らは自学自習でここまでやってきた、という自負もあるんだろうけど、それを社会に還元しないで「大衆はバカ」と嘆かれても「そらそうよ」としか言いようがない。
というか彼我の知的資本(情報、知識、技術その他諸々)の格差によって禄を食んでいるんだから、客が詳しかったら仕事の発生する余地がなくなるじゃん。

6/20
「政治的に正しくない言説をボコボコに叩いて引っこませることに限りない愉悦を覚える人々」がこれだけ跋扈している現代社会で、政府だけが政治的に正しくない言説を述べ続けるためには、今以上の何か後ろ盾のようなものが必要だと思うよ。

6/20
「所詮社会科学は実験できないから自然科学と同列には語れないんだよ」とかのたまう連中は、マックス・ウェーバーの『社会科学と社会政策における認識の「客観性」』の角で頭を殴っても罪に問われないことになっている。

6/25
「婚外子制度って一人のヤリチンが作った多くの子供を育てるための費用を、非モテも含めた社会全体で賄う制度ではないのですか?」という話なんですよね。まあ反対する人は少ないだろうけど。

6/27
まず一人一人が、自分の行動に責任を持っているか?ということからなんですよね。自分の行動の責任を取らないから、そういう人間の集合体たる社会全体も事なかれ主義が蔓延するんじゃないのかと、私は思うわけです。

6/29
「不快なものはハラスメント認定して、不快なものが取り除かれた快適な社会を作ろう!あれも不快だこれも不快だ全部不快だーっ!」みたいな発言が流れてくる弊TLで、「女子生徒同士が手をつないでいた程度で不快とは何事か」と憤られても、「おっ、ブーメランが返ってきたな」以外の感想は持てません。

6/29
TLをしばらく眺めていると、別に経団連に限らずみんなが「ある社会的事象のうち、自分にとってメリットになる側面だけを受け入れて、デメリットになる側面を拒絶したい」と思っていることがよく分かるので、経団連だけを叩くのはあまり意味がないなと最近は思い始めた。
・移民は労働力としてなら欲しいけど住民としては歓迎できない
・男性の甲斐性は欲しいけど加害性は排除したい
・ビジネスシーンのペーパーレス化は進めたいけど紙の同人誌はこれからも印刷し続けて欲しい

7/02
皆さんが眉をひそめる「信号無視やスピード違反程度で取り締まる警察は暇なの?」という輩と、皆さんがRTして称賛した「『ルールだから』という理由で不合理なルールを脳死で墨守する奴は何なの?」という輩は、纏っている雰囲気が違うだけで根本的には同じ思考回路を持っています。
「俺にとって都合が悪いルールは守らない」という人はやがて、誰かが「自分には都合が良いが他の人には悪いルール」を違反することによって大きな不利益を被ることになるでしょう。というかまさか同じ口で9条墨守とか言ってねえよなあ?
ルールそのものの適正性と、ルールを守ることの必要性は切り離して考えるべきで、「適正でないルールは守る必要がない」という考えは捨てた方がいい。もしあなたが、法治主義社会にこれからも生き続けたいのであれば。

7/02
自分には理解できない価値観を持った人間と同じ地域に住むということ、これこそ多様性社会の真髄です。

7/08
都市と農村の格差は、資本主義社会のバグというよりむしろ本質と言った方がよい。農村から資源や労働力を収奪しなければ都市も発展できないのに、それを忘れて農村開発を「無駄なインフラ整備」と言って切り捨てたら、共倒れになりますよ。
どんなに複雑精緻な金融工学理論を完成させても、どんなに革新性の高い機械学習方法を確立させても、人は土から離れては生きられないのよ。

7/16
「定員割れた大学は即廃校」を推進すると大卒者が激減するので、「大卒資格を持っていなくても都市部で普通に暮らしていける給与体系」が当たり前にならなきゃワープアを今以上に大量生産するだけだよ。
このように社会の一側面だけを切り取って是正しても、他の側面で必ず歪みが生じる。ちょうどコストカットで人をクビにしまくって「黒字回復しました!」とイキがっている企業が、直後に社内の歪みに直面して業績をガタ落ちさせるのと同じようなもの。
まあ、TLに数多いらっしゃる院卒者には学部卒以下の存在なんてどうでもいいのかな?

7/16
「それくらい常識だろ言わなくても分かれ」の通用しない領域を広げていくことが「多様性社会」なのではありませんか?

7/17
「健康長寿社会の促進」は「シルバー民主主義の促進」とほぼ同義であることを認識しましょう。

7/17
「年金いくらもらえるか?気になりますよね?」とか「年金を減らさない!」とか言われても、はなからもらえないと決めてかかっていたり、年金を払わなければ真っ当に飯を食えていたはずの若者の耳には届きません。
それなのになお年金に争点を絞ろうとしている政党は、一体誰に向けて演説しているのか?ちょっと考えれば分かることですよね。
今時の若者の生活水準からすれば、受給年齢まで生きている保障のない人の方がもはや多いのではないでしょうか。「受給年齢になる前に年金制度が崩壊する」と「受給年齢になる前に自分が死ぬ」の二通りの悲観ができる、選択肢に恵まれた世代が今の若者です。
正直「社会保障費の負担が減るのなら年金なんか減らしてしまえよ」と思っている。

7/22
選挙の興奮冷めやまぬ中またニヒルなことを言うんだけど、有権者も政治家も学習なんかしませんよ。世の中の大半の人間にとって、学習という行為そのものが縁遠い 彼らが学ぶようになるのを待つよりも、社会からログアウトするのを待つ方が早い。すなわち「荒れ野の四十年」です。
批判と人格否定の区別がつかない人間とまともな議論ができないのはtwitterで散々学んだので、政治の話をしようという空気になる前に、人々はまず自分の母語を的確に使いこなせるようにならなければならない。
「政治の話はやめとけ」というのは主に「批判と人格否定の区別がつかない人間が相手だと議論にならないから」と「イデオロギー闘争にしかならなくて生産的でないから」の2つの理由からなっている。
前者はtwitterに一日いれば嫌というほど分かるし、後者も実現可能性を見据えた政策討議ができる政治家がほとんどいないことに傍証がある。
このことに対する改善策としてよく挙げられるのが「小学校でディベートをやれ」だ。だが、小学校は社会からの要請を受けすぎてもはやパンクしており、ディベートを効果的にできるだけのリソースはもはやない。できのいい子が無双するだけの場になるのが目に見えている。
学校にはこれ以上の責務は負わせられない、かと言って大人も学ばない、となればもう、旧世代の退場を待つしかない。やはり「荒れ野の四十年」なのだ。

7/26
低学歴者が高学歴者を「その研究は儲かるのか?」と煽る一方で、高学歴者が低学歴者を「その仕事は社会に貢献しているのか?」と煽るのが本日のツイッタランドですが、どちらも生産性の多寡で他人を推し量ろうとしているので、全員杉田水脈の同族ですね。
「それは儲かるのか?食っていけるのか?」という質問が成り立つのは、稼ぎを上げることが正義だという考え方がまかり通っているということであり、すなわち日本が資本主義社会であることの証拠。だから資本主義を暴力で破壊すれば、そのような下らない質問は撲滅できる。あと社会主義国家って伝統的に自然科学重視する傾向にあるじゃん?一石二鳥だね。
高卒「その研究は儲かるのか?」
院卒「その仕事は社会に貢献しているのか?」

7/28
他の分野の予算に関しては手厳しく削れと宣うくせに、科研費に関してはさも客観的見解のようにポジショントークをかまして予算増額を要求する様は見ていて浅ましい。みんなが今言っていることは「○○費の代わりに科研費を」と言っているのと大して変わらないんだよ。

7/29
メロス、現代社会を疲弊させる諸悪の根源なんだよな。

8/02
「日本外れ値」と言うが、OECD諸国内では圧倒的な地理上の外れ値なわけですし、国際社会の多様性の一端を担っているわけですよね。人口10万人あたり刑法犯検挙数とかも外れ値なんじゃなかったかな? 外れ値のデータの選び方に恣意を感じる。
結局、欧米の右へ倣うことにしかあなた方の価値はないのですか?

8/10
社会科学的フィクションというのは「虚構だが生活を成り立たせるために必要なもの」という位置付けなんだよ。17頭の馬を分配相続するために、よそから1頭借りてきた馬のようなもの。

8/12
社会の中でむき出しの個人として生きている人などいない。みんな所属クラスタに応じて、何らかの役割を演じながら生活をしている。

8/25
「余剰人員を確保しなければ計画的な人員配置とは言えない」と言われて用意した余剰人員を見て、「私コイツのためになんか税金払いたくないんだけど?」って言ってる人たちがまた別のところから現れるのが社会というものですからね。

9/04
不都合な真実っぽいことを言うけど、脚を閉じない傲慢な男ほど、男性的な魅力は高い傾向にある。態度のでかさと根拠のない自信は近い位置にあり、根拠のない自信がある男ほど仕事もできれば他者にも好かれる…という好循環に身を置いている。
要するに、車内で脚を閉じないこともまた広義の「男性の暴力性=甲斐性」なんじゃないの?ということです。
そして今日もまた男性のマナーは良くなり、社会は快適になり、草食傾向が強まり、少子化が進行するのでしょうね。

9/11
社会構築主義者にありがちな、「自分が頭がいいばかりに最頻値を高く見積もり、それだけでは回らない部分を無視する」

9/20
「人と違う生き方はしんどいぞ。誰のせいにもできないからな」という雫のお父さんのセリフは多くの人の心に残ってはいるけど、実際は自分だけの自分らしい生き方を追い求めながら、何か都合の悪いことがあったら社会のせい、政府のせい、世の多数派のせいにしたがる人ばかりだよね。

9/27
人々に経済的余裕がなければ環境問題などのより意識の高い社会問題には意識が向かないので、やはり「衣食足りて礼節を知る」ということなんです。そしてそのためには経済成長が必要で、環境破壊も必要悪ということになる だから人類を滅ぼすしかない。

10/19
発達障害が「発見」されたのは、産業構造の変化により「定型」の概念が形作られるようになったからなので、産業構造がもう一度変わらない限り「それに馴染めない人々」として扱われ続ける羽目になると思う。
そして発達障害が脳のタイプの一つとして気にならないレベルになるまで産業構造が転換した時には、また別の形質が障害として「発見」されることになるだろう。
これは第一次・第二次産業主体の社会では身体障害者の疎外が重要な問題だったのが、医療技術の進歩と第三次産業主体の社会への転換により別のタイプの人が阻害されるようになったという経緯を見れば予想がつくものです。

10/27
勤務時間中常に精力的に職務にあたることが求められる社会になり、その能力がない人に「ADHD」の病名を与えて何とか包摂しようとしている、という状態なんだと私は観測しているので、「お前らはただ無気力なだけだ」という認識は社会からこぼれ落ちる人を増やすだけだと思う。

11/09
「コミュ障を自覚し、かつ自称せず、なるべく隠す」という行動様式がコミュ障の寛解のためには求められるが、こういうメタ的思考をコミュニケーションのために求められたら、そりゃ脳の処理速度落ちるぶんだけなおさらキモ行動の発生確率は上がるよな。
結局は「育ちのいい人」には勝てないのよ。彼らは自然に定型コミュニケーションをやってのけるし、彼らが定型コミュニケーションを定義している。
ペーパーテスト一本勝負の時代なら逆転の目があったが、コミュニケーションスキル重視の社会になったら、自身の栄達のファクターに占める実家の太さの割合は増す一方なので、もう勝ち目はありません。格差は固定され、階級社会になります。ナチュラルボーン令和上級国民がわんさか生まれてきます。

11/18
急進的な革命の先にある新しい社会が、主従関係が逆転しただけの旧態社会の焼き直しであった事例の多さに虚しくなる。社会は自分の身の回りから、少しずつ住み良いものにしていくほかないのではないか。結局のところ、自分にとっての居心地の良さは、誰かの生きにくさでしかないのだから。

11/23
映画『JOKER』の批評が再興しているので一言。
私はジョーカーの最終的な凶行を「あらゆる社会包摂の基準から1点差で足切られ、複合的に見ると自立できてはいないが制度上は自立していることになっている人」による「私はここにいる」という存在証明である、と見ている。
あの映画が刺さる人は、内心では十分な生きづらさを感じているにも関わらず、他の人からは「そんなの誰にでもあることだよ」と取り合ってもらえない、そういう経験を持った人です。だからこそ、誰でもジョーカーになり得ると私は考えるし、私にも刺さった。
現実には、人はあそこまで短期間で「無敵の人」になることは難しいが、しかし内心に抱える生きづらさと「あなたは客観的には生きるのがしんどいタイプの人間ではありません」という逆レッテルの摩擦は、徐々に人の心を蝕んでいく。
誤解を恐れずに言えば「心が未病の状態にある人」ほどあの映画は刺さります。
京アニの内田青葉被告も病院での治療に「こんなに優しくしてもらったのは初めて」と言ったでしょう?彼もまた、誰にも相手にされなかったんだよ。彼の凶行は凶行として裁かれるべきだが、彼の境遇はそれもそれで顧みる余地がある。

11/25
普段マナーの苛烈化について口を酸っぱくして批判している人たちが、映画館でのマナーについてはさも人類の本能であるかのように平然と人に押し付けてくるのを見ると、何とも言えない気持ちになります。
twitterがネタを消費しきるまでの時間がどんどん短くなっているのを見れば分かるように、人間が一つの娯楽に飽きるまでの時間もまた短くなっている。2時間映画館でスマホを触らずにじっとできない人も現れたと言われても、別に私は驚かなかったよ。自分はやらないけど。
要するにみんなは、自分が強制されているマナーについてはひどく毛嫌いする一方で、自分が強制する側に立てるタイプのマナーについては、むしろ率先して他人を強制したがる生き物なんだってことだよね。
まあ、今は「上映中や観劇中に携帯を触るのを我慢してでもそれを鑑賞したい」という人が多いから何とかなっているけど、いよいよその人たちがいなくなって人が本格的に離れていったときに、「良識派」の人々はいつまでその峻厳な態度を保てるのか、見ものですね。
劇場のルールは、劇場に行かなければ身につかないものだ。「そんなの劇場のルールだから当たり前だろう。観劇中に携帯を触るなんて、一部のバカがやることだ」と言う人は、劇場に行く機会を得られなかった人を蔑ろにしているのでは。
この多様性の時代、その「一部のバカ」がどれだけ今後増えていくか、それは誰にも予想がつかない。良識のある社会には、ある程度の構成員の同質性が求められるものです。

11/26
「仕事は楽しみながらやるに越したことはない」という助言が「楽しみながら仕事をできない奴の伸びしろは小さい」という強制に変わる現場を目撃した。
「○○をするとアドになる」という助言がいつの間にか「○○をしないとディスアドになる」という事実上の強制になっていく呪いを、私たちはあと何度目にしなければならないのだろうね?
「意欲のない人でもそれなりの報酬が与えられ、意欲のある人はさらに報酬を得ることができる社会」にあまり実現可能性を感じないのは、「意欲のある人の得る報酬」がいつの間にか最低水準になっていくであろうことが目に見えているからです。

12/19
「多様性のある社会」というお題目は、「普通の暮らし」の多数派性を毀損することにより「普通の暮らしができるだけの賃金をよこせ」という主張の影響力を弱めることに利用されているのでは?
「普通の暮らし」ができる人が増えるということは、社会の多様性が縮小することでもあると思うんだよね。それこそみんなが同じものを消費していた高度成長期のような「画一的消費者像」がそこにはある。
だが私はそれでいいと思う。精神的な豊かさは物質的な豊かさの上に育まれるものであり、お金で買えない幸福の存在を知るのはお金で買える幸福を得た後で十分だと思うから。
政治的な正しさや人道主義よりもまず経済的な豊かさを求める、という声の広がりからまだ目を背け、耳を塞いでいる人が多いtwitterですよね。

12/22
現状は「単価×労働時間」の給与体系を導入している業態がほとんどなわけで、そういう中で「『単価×労働時間』の給与体系を導入しているところはどういう神経してるんだろうね?」と言われても、その言説にどれだけ社会を変えるだけの力があるのかは疑問なんだよね。
人月とか労働時間とかで賃金を決められたくないのは私だってそうだけど、「それ以外の指標」を既に持っている業種と、まだ持っていないが持ち得る業種と、性質的に持ち得ない業種があることは理解しておきたいものですね。

12/24
「『男はバカ』で許される男権社会フンダララ」に反論すると「男はバカだから私の素晴らしい理論が理解できないのだ笑」と相手のお気持ちをくすぐるだけに終わるの、無敵だよね。

12/25
「フェミニズムはあなたのママじゃない」
「社会はお前のかかりつけ医ではない」

12/26
「高齢者が抵抗勢力や足枷になっているだけなので、世代交代すれば我々の社会はいくぶん住みやすくなるだろう。それまでに彼らに餅をたらふく食わせるか、じっと待つかの二択だ」という「荒れ野の四十年」ですね。

12/26
政治に関心を持つのは大いに結構なんだけど、皆さんにも早く「今の人口動態では、民主政をやめて哲人政治でも確立しない限り、少子化対策も労働環境の改善も進みようがない」ということに気づき、絶望してほしい。その時、ようやく心の火炎瓶は灯り始める。
政治や社会の動向に関心を持つことにはいくつかの段階があって、
①生活の中に政治や社会のダイナミズムとの結節点を見出す
②生活環境の向上のために、政治や社会に働きかけるべきことがあることを知る
③目についたオピニオンリーダーの意見をもとに、自身の問題意識の言語化を試みる
④次第に自身の思考様式を、自身の思考によって生み出したはずの問題意識に規定され、事実認識に色眼鏡がかかる(ミイラ取りのミイラ状態)
⑤何らかの理由により対立する見解を持つ人の声も聞こえるようになり、世界は自身の思想によってすべて一刀両断できるような簡単な構図ではないことを知る
⑥A「それでもなお!」という強い決意により、社会の改革に向けて行動する(ウェーバー的政治家コース)
⑥B自身の力は取るに足らないことを知り、政治や社会から生活環境の向上を図るアプローチを諦め、また生活の領域に戻っていく(Twitter引退コース)
以上の6段階に分けられると私は考えている。
Twitterで毎日吼えている大半の人は、右も左も④の「ミイラ取りのミイラ状態」にいる。⑤の「FACTFULNESS状態」に至るためのきっかけを得ることが、ツイートをただの鳴き声でなく論考に押し上げていくためには重要。
じゃあそのきっかけが何なのか?という話をしなきゃいけないんだけど、まあ私も④から抜け出せているとは思っていないので、私にも分かりません。たぶん、本をたくさん読むしかないんだろうけどね。Twitterをやっているとつい、アウトプット過多になりがちだから、インプットを意識的にやらないと。
⑥Bの「帰ってきた生活者状態」なんだけど、これは地球環境問題のスローガンとして有名な"Think globally, act locally."(地球規模で考え、身近なことを実践しよう)みたいなことだと思うんだよね。政治や社会のダイナミズムがあることを理解したうえで、それでも自分の生活をこなしていくということ。
結局、自分の生活環境を向上させる最も大きな要因は、政治や社会ではなく、他ならぬ自分の行動なのだ、ということに、一周回って気づくことになるのだと思います。幸せの青い鳥はすぐそばにある。

12/27
結局は賃上げを含む労働環境の改善に結論が向かうんだけど、それと男女共同参画社会を結合させることの難しさって話にもなるんですよ。

12/29
2020年の流行語は「SDGs」になるだろうし、そうしたい人たちもたくさんいるんだろうな。ただ私は、SDGsが掲げているリベラルなお題目の実現によってのみでは、人口再生産や共同体の次世代への永続といった方面での「持続可能な開発」は完遂しないのではないか、と懐疑している。
CSR(企業の社会的責任)を果たす方法として、SDGs達成への貢献を指標とすることは合理的だ、というのは分かるんだけどね。ただ、人口再生産がなされなければ、持続可能な開発を次代に引き継ぐこともできないのだから、私は少子化対策を18個目のSDGとして掲げるべきだと思う。
(2020/11/25追記)
維持するのに多大な労力と犠牲を払う必要のある「新しい生活様式」を提唱しながら、舌の根も乾かないうちに「SDGs、皆さんご存知ですか?」と言い放つマスメディアの神経を疑う。社会の持続可能性を追求するなら、新しい生活様式なんかやってられんわ。
次世代の担い手無くして持続可能な社会の維持はあり得ないので、SDGsの実践にはまず「人口再生産」という0番目の目標を達成することが必要です。
SDGsも所詮は、欧米が既存のルールでアジアに優位を取れなくなったから、ちゃぶ台をひっくり返して新しいルールをつくって広めようとしているだけにしか見えないんだよね。
「旧来的な家族や社会のあり方がなぜ『新しく正しい』あり方よりも長い間人類社会に普及してきたのかと言えば、それは結局のところそれがサステナブルで合理的だったからなのでは?」という問いを、SDGsに乗じて突きつけていくのもいいと思います。

12/29
少子化の原因や対策を真剣に検討しようとすること自体が差別であるとの誹りを免れないのが現代社会なのですから、そりゃ官僚も「新元号で気を良くした人が産んでくれるかなと思った」とか言ってお茶を濁すしかないわけです。

12/31
結局、寛容さが大事だという人も「寛容でない人」には寛容な態度を取らない、という話でもある。「寛容性のパラドックス」気取りなのか知らんけど。
たとえ非寛容な意見でも、それが「グローバル化」や「多様性」といった大きな正義の前に押し黙らざるを得なくなっていく現状に、私はファシズムが蔓延するかのような気持ち悪さを覚えたので、何とか食ってかかっていきたい。
本当にそれが「誰ひとり置き去りにしない社会」なんですかね?


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