作家はギャラリーに在廊すんのかい、せんのかい問題
都内のとあるギャラリーを訪問した。
インスタで作家さんをフォローして気になっていたので、家から少し遠いが気分転換がてらに。
小さい頃からギャラリーや画廊というものには親しんできたが、いまだにあの排他的で内輪乗りの空間が少し苦手だ。
初めてのギャラリーなのでどんな雰囲気かなと思い中に入ると2階は誰もいない、客もスタッフもいない、作品とキャプションらしき紙が無造作に置いてある。下の階にも誰もないのかな?と思いきや、こんにちはと挨拶してくれる若い男性が。
奥には作家さんと思われる若い女性の声。
なにやら通ってる大学のカリキュラムについて延々と話しているようで、姿は見せない。
私自身もオフの時間に初対面の人間と喋るのは苦手で、ただ作品をみにきてるので、話しかけてこないのは正直助かった。
でも、こちらに一瞥もせずずっと裏で話し続けてるのはさすがになんだかなーとは思いつつ、どんなことを話しているのか少し気になって聞き耳をたててみる。
「インスタレーションとかまじむずいわー一番よくわからんもん」などなど
美大生も、わけもわからず表現への情熱だけを頼りに頑張っているんだなー
という感想。もっと誰かの悪口とか言ってくれてたらちょっと楽しかったんだけど。
聞き耳をたてているのがバレたのか、男性の方が急に焦ったようにこちらに目を向ける。
こちらもびっくりしたふりをすると、関係者ではなかろうと判断したのか、また女性の方の内輪話に戻っていった。
聞かれたくないような話なら、仮にも客の前で話すな。笑
作品も明るい雰囲気で、適度な攻撃性やオリジナリティや色面の工夫などが感じられ、それなりに楽しんで、ギャラリーを後にする。
アリガトウゴザイマシタァ!と男性の方が挨拶だけはしてくれる。
なんというか、結論、どんな状況にせよ来場者ガン無視で内輪話されてあまり良い気分はしないな。内輪話がめちゃくちゃ面白いか、作品が抜群に良ければまたイメージも変わるだろうが。
そこまでの圧倒的な作品強度もブランディングもまだ成立してはなさそう。
客がいないギャラリーでよくあるのは、話しかけなきゃ…!という目線をおくってはくるものの、話しかけてはこず、会場内をぶらぶらしている作家さん。まだその方が好感度があるかな…
しかし自分も作家なので、気持ちはわかる。来る人全員と会話してたらとても体力がもたない。
そもそも人とたくさん喋るのが嫌で作家を目指したのに。
ギャラリーを無料おしゃべり場だと勘違いしている老人も来るため、客は選別しなければならない。
美術好きでも、全く金を落とす気がない客も選別対象だ。
だから最初から太客相手の商売しかせず、アポイントメント制にしているギャラリーもある。
それもまた一つのビジネスモデル。
ただ、太客頼みだと、一つ落ちた時のダメージもでかい。これはサラリーマン時代広告営業経験から感じたことだ。
太客も、結局のところ「人気のある作品」が好きなのだ。
太客と細客、両方だいじ。
なかなか完璧にはいかないけれど…
ボクサーの竹原慎二がいっていた。
「働きながら練習頑張ってる姿みてみんな応援したくなるんじゃないの!
私は、練習だけで死ぬ思いしてるのに仕事と両立とか過酷すぎん?スポーツ選手はスポーツに専念すべきだろと思った。
でも、好きなことで評価されるためには好きじゃないことも頑張る姿もみせていかないとなのかな…
これからは好きなことだけで生きていきたいと、ぬるっとした希望を抱いていたのだが…
話戻って、本来のギャラリーのあり方としては、絵を売るのは画商でありギャラリストであり、ベラベラ喋るのは作家の役目では無かったはず。
それが時代と共に作家の数が増え、兼業も増え、貸画廊も増えた。バブルがはじけ、絵も売れなくなってきた。
日本の市場規模だと、ギャラリーが本気で売り子に徹することのできる作家はごく一部だ。
だから作家が自分で在廊しないといけない時代になった。
多分ざっくりそんな感じ。
在廊して接客を頑張れば頑張るだけ絵が売れるってわけでもないし、結局自らつないだ人脈がものをいうわけで、つまり正解はないなぁ。
女は特に、売れたい気持ちにつけこんでくる男はこわいし、ギャラリーストーカーの問題もあるようで、男性よりも客の選別に気をつかう。
がむしゃらに愛想をふりまけば良いわけではないから難しいところ。
ただ客と喋ったり、挨拶もする気がないのなら、在廊しない方が全然マシという印象だけはたしか…
そういうこと、大学では教えてくれないもんな。
こういう、来場者が来たら挨拶ぐらいしたら?というコミュニケーション上の「当たり前」が世代間で少しずつズレていって、「今どきの若者ハ~」状態の隔絶が生まれるんだろうな。
私も、他の人から見た「当たり前」がとことんできなかった人間だし、いまだに正解がわからない。
お互いにイライラや誤解を生んだままよりは、直接ぶつけ合って融解していく方法を選びたいものだが。