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女性としての利権活用とジェンダー問題

ジェンダー問題
自分も女性として性を受けているし、興味もあるけれど、あまりにトレンド化しすぎて、正直最近食傷ぎみである。
ツイッターばかり見ているからかもしれないが、よくもまぁ、どうでもいいことにまで首を突っ込める人達がいるもんだなと思ってしまうこともある。

でも自分もいはゆるセクハラ被害にあったことも、それ以上の危機にさらされたことも、会社の中の男性社会でやりづらさを感じたことも、色々ある。

最近登場するさまざまな「女性」起業家や、タレント、アーティストなどで、ジェンダー問題について言及してない人はいないというくらい、盛り上がりを見せていることは良いことだと思う。

ただ、その人達も自分の美しさは積極的に売りにしていっている。女性としての美しさと、それによる恩恵を享受しながら、男性に怒りをぶつける。

当然、どんな服を着て歩いていようが痴漢にあう筋合いはないように、何を売りにしてようが、男性社会の不合理には怒りを表明していくべきだ。

その場合、美しくない女性は彼女らを見てなんと思うのだろうか。美しいだけで、人生存分に楽しんでるんだから、いいじゃないか。これ以上男に何を求める?と、自分がもし容姿に強烈なコンプレックスを抱いていたらそう思ってしまうきがする。

現に、水原希子さんなどモデルさんがルッキズムに意を唱え出した時、自分のルックスによって最大限恩恵を受けているのに、ルッキズムを批判する意味がわからないと、一部からは批判を受けていた。

アーティストとして売り出され、売れていく人は、相対的に美しい人が多い。中には草間彌生先生のような人もいるが、アートの世界ほど強烈なルッキズムが生きている気がしてならない。それは、男性が築いてきたアートのピラミッド構造の中に「美しい女性アーティスト」として組み込まれる。

人間存在は常に矛盾をはらんでいる。
正論が流行りの現代において、その矛盾を笑い飛ばすユーモアさえも失われてきているきがする。

そもそも人間なんて正しいわけがない。
かわいく見た目を整えて、正論と正義を武器に戦う戦法は自分には合ってない。
人間、その存在のおかしさを表現して楽しく生きていきたいと、今現在はそう思っている。

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