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アートとかきょういくとか

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#美術

メンヘラとか障害とか、生き様を売りにするのはかまわないし立派なことだけど、作品が明らかに良くないのに生き様ばっかり売りにするのはあまり好きじゃないな、、、

藝大油画の大学院まで出て、絵画教室の講師やってる人間が、素人でもわかりそうな完全なパロディ作品を本物と勘違いしてるのを見てしまった、、そういうレベルの鑑賞眼しかない奴の絵とか正直観たくないなってのと同時に、自分の感覚に妙な自信と使命感が出てきた

NHKの武蔵美特集で、学生が教員からは表面的なことはあまり教わらず「君は何を表現したいんだ」みたいなことばかり聞かれるとゆうてて、そんな質問絶えず自分にぶつけてたら頭おかしくなるに決まってる。鏡に向かって「お前は誰だ」って毎日聞くようなもん。簡単なメンヘラ製造機。ほんと終わってる

ほんとはみんな、印象派みたいな絵が好きでルノワールやモネやドガみたいに描きたいのに、どうにも猿真似しかできないから、それらを否定する教授の指導のもと、油彩のマチエールを憎んでいるかのような平面的で液晶画面のような油絵を描く若手が増えてきているのか

理系の人がある程度のキャリアを経た後に、アートやデッサンに過度な期待を抱きだすのなんなんだろ。いくつかの本は実に興味深いけど、どこか空をかいてる印象もある。人文学経由じゃなく、脳科学からダイレクトに迫った方が科学的に良いエビデンスが得られそう。

ルノワールのブルー、ドガのイエローとブルーの使い方が好き。美大では商業的で陳腐な価値となってるのかもしれないが、美しいものは美しいだろ。

今の時代、誰でも気軽に展示ができるからこそ基礎力をしっかり身につけるのを飛ばしていきなりオリジナリティを追求して自爆するパターン多そうだな、、自分の「好き」の追求と、猿真似でもいいからまずは真似て学ぶことも大事だな

マラソンみたいに、最初は辛くてもだんだんハイになるみたいな絵もあると思う。点描とか、細密線画とか、写実画とか。マラソンと違うのは、目的がはっきりしてないし、ゴールテープも見えないこと。シンプルに地獄っぽいけど向いてる人もいるね。

まるで写真みたいなリアルな絵を見て、「すげえなー」以外の感想が特になかったと、叔父が言っていた。その一言に絵にまつわる色んな情報が詰まっていると思う。月並みな言い方だけど、ただ上手い絵と人の心を動かす絵って違うんだな。

自分が描いてて楽しくない絵は描きたくない。例えば下絵びっちり描いて、一ミリも間違いが許されないような精度で何度も何度も少しずつ塗り重ねて描いてる透明水彩とか…全然楽しくなさそう。自分に向いてない。そもそもじっとしてるのがあんまり好きじゃない時点で、絵描きできんのか?

絵がうまくなりたいし色々知りたいのに、どうしても描きたい気分が向かない時が多い。自分の創造性や技量のなさにがっかりしたり、いま流行ってそうな絵は、描くのがほんとに辛そうだから。描いてて辛そうな絵、私は欲しくないけどな。

作家はギャラリーに在廊すんのかい、せんのかい問題

都内のとあるギャラリーを訪問した。
インスタで作家さんをフォローして気になっていたので、家から少し遠いが気分転換がてらに。

小さい頃からギャラリーや画廊というものには親しんできたが、いまだにあの排他的で内輪乗りの空間が少し苦手だ。

初めてのギャラリーなのでどんな雰囲気かなと思い中に入ると2階は誰もいない、客もスタッフもいない、作品とキャプションらしき紙が無造作に置いてある。下の階にも誰もないの

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「現代アート」は去勢された価値

マルキド・サドによると、売春婦を金で買うよりも修道女を強姦する方が欲望の質量が大きいという。
クロソウスキーはその欲望原理を経済活動の基本原理だとし、さらに欲望は模倣され投影され夢想されるという。(ざっくりとした理解)

資本主義社会における「価値」とは、消費者を欲情させるものである。(食やインフラなど料金体系がはっきりしているのは別)

価値のないものが価値に転換される時のその瞬間こそエクスタシ

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マジな話、なんでまた絵を描き始めたのかと問われても「暇つぶし」以外の答えでてこない。だから元気と暇がある時じゃないと絵なんか描けない。ほんとは作家全員そうなのに、溢れ出る情熱や感性があるように見せてるだけ。昔の人は社会的メッセージのために描いたりもするんだろう。