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アートとかきょういくとか

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#芸術

「現代アート」は去勢された価値

マルキド・サドによると、売春婦を金で買うよりも修道女を強姦する方が欲望の質量が大きいという。
クロソウスキーはその欲望原理を経済活動の基本原理だとし、さらに欲望は模倣され投影され夢想されるという。(ざっくりとした理解)

資本主義社会における「価値」とは、消費者を欲情させるものである。(食やインフラなど料金体系がはっきりしているのは別)

価値のないものが価値に転換される時のその瞬間こそエクスタシ

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マジな話、なんでまた絵を描き始めたのかと問われても「暇つぶし」以外の答えでてこない。だから元気と暇がある時じゃないと絵なんか描けない。ほんとは作家全員そうなのに、溢れ出る情熱や感性があるように見せてるだけ。昔の人は社会的メッセージのために描いたりもするんだろう。

私の作品を見てくれて、「ありがとう」?

私の作品を見てくれて、「ありがとう」?

創作者と鑑賞者のヒエラルキーについてよく考える。

創作者は好きなことをしていて、みんなに見てほしいと思っている。だからみんなに見てもらえるだけでありがたいと思うべき、という空気感が苦手だ。

鑑賞者は、いつか将来的に購入者になるかもしれないという理由で、立場が上なような感じがするのが嫌だ。
無料でコンテンツを享受しておいて、創作者にビタ一文お金を払わない人、すごく多い。

とはいえ、創作者のキャ

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私が絵を描くとき

私が絵を描くとき

私が絵を描くときは、脳内で少なくとも6人の批評家が張り付いて私を見張っている。

2人は画家である両親。
その造形は狂ってる、色がイマイチ、構図が凡庸、などと。

1人はビジネスマンとしての自分。
この時代に絵なんか描いて意味ある?儲かりもしないのに。

もう1人は哲学者としての自分。
その絵を描くことで社会に何か影響をもたらすのか?哲学的主題は?

もう1人は優しい自分。
いいよ、一回思考停止し

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芸術と崇高とは…

芸術と崇高とは…

美と宗教は否応なしに結びついてくる。
あまりに美しい光景を目にした時(私の場合、美しい鉱物を見た時、波照間島の海を見た時など)誰しもどこか神聖な体験として刻まれるだろう。そしてその経験をどこの誰ともわからない他人にいたずらに消費されたくない、独占したくなったりする。
芸術と崇高という概念もあるが、果たして人間にそんなことが成し遂げられるか。
映画「フランダースの犬」で、ネロとパトラッシュはたしかに

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芸術「作品」が残るのか、「芸術」が残るのか

芸術「作品」が残るのか、「芸術」が残るのか

「芸術」は、殺伐とした社会に一定の重みを与えて繋ぎ止める、錨のようなものだ。
という言葉を見かけた。

完全には同意しかねるものの、考えさせられた。

美術、アート、音楽、演劇、など、あらゆる表現活動による創作物に、あまり大きな役割を負わせるのはアーティストの思い上がりではないかな、と思っていた。

しかし「創作物」自体はある意味過去のものだが、「表現」しようとする、「アート思考」的なものこそは、

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"アート"っていうのがもう恥ずかしい

"アート"っていうのがもう恥ずかしい

私は音楽が好き、本が好き、絵画などの「アート」が好き。
でもアートって言いかたにずっときな臭さを感じてしまっている。

両親は絵画教室を営みながら、職業「アーティスト」もしくは「画家」である。こどもながら、本当にいい絵を描いてるなぁと思う。

アートという表現にきな臭さを感じるのは、先端アートであればあるほど、ある種金持ちの投資物になってしまっているからだ。もちろん、金持ちに目をかけてもらえるのは

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すべては肩書きなのか…?

すべては肩書きなのか…?

病み可愛いアイドルとかいうワードを目にすることがある。
私の好きなアーティストさんとお付き合い疑惑らしいがそんなことはどうでもいい。

病み可愛いさんは、アイドルだけど、変顔したり、自分の心の闇を曝け出したり、ライブで暴れまわったり、路上で奇行を働いたり、なんというかアイドルというよりパフォーマーであり、アーティストかもしれない。
けれど肩書きはあくまでもアイドル。だから価値があるんだと思う。

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