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アートとかきょういくとか

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2022年10月の記事一覧

某検定の一級試験で、トニー・シャフラジの事件を引用して書いたの、まるで今の状況を予見してる感あるけど採点は低かったな。受かってる論文みたけど何が良いのかさっぱりわからないものだらけ。ほんと終わってる。

ゴッホやフェルメールにトマトスープぶっかけるただの馬鹿がわいてくる50年近くも前に、ピカソのゲルニカにスプレーで落書きした人がいたわけだけど、彼の目的は「環境活動」ではなく観光名所化したゲルニカを蘇らせることだったんだよなぁ 

観る人、やる人

「鑑賞者」を増やすにはどうしたらいいのか?
あらゆる芸術、またスポーツでも課題になること。

鑑賞者には何種類かあって、自分はやらないけど観るのは好きな人、自分もやるし観るのも好きな人、主にやるのが好きだけどあくまで参考のために観る人、など。

スポーツの世界は、有名選手がそのまま解説者になったりするのに、美術の世界は不思議と絵を描かない人が解説者、評論者になる。

スポーツ観戦者の数は競技人口と

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ある種の絵画技法書、色々解説してくれてるように見えて、最終的な結論、だから俺は上手いんだぜ~を言いたいだけの技法書ほどクソな書籍はないな。ファンは嬉しいだろうけど、歴史的な価値は皆無。

絵そのものの素晴らしさ以上に、歴史文化遺産を所有するというステータスを売買してるアートオークション市場に対し、今を生きてる作家はどう扱われるかってね… そらトマトスープ事件も静観するようにもなるさ。

トマトスープの件、美術界隈の人間は結局のところゴッホの作品をそれほど評価しておらず、美術作品というより"名画"と"美術館"が好きな人にとっては事件だったということがよくわかる事件でした。私は昔好きだった。だって色が明るくて絵の具もりもりで楽しいじゃん。

あらゆる種類のアーティスト達、結局お嬢ちゃんお坊ちゃんなんでしょ?という目線で見られてること、その上での自分の発言や表現をすることを忘れちゃいけないね

"貴族"としてTwitterやってる美術家さんの問題意識がかなり近しいなと思い人物を調べたらほぼ同い年。やっぱりその年代としての感覚があるのか、そう感じさせるように意識的に投稿してるのか。顔付きまで年代で共通するものがあるきが。目的は作家として認知してもらうことでもなさそうな。

なんというか、いくら絵が好きでも本当にその人の固定概念の枠からしか絵を観れない人っているんだな、、、だから自分の中の認知の方法をアップデートできないし上手くもならない

遊び=偶有性の設計、つまり結果がどうなるかわからないものに向かっていくことに脳は一番喜びを感じるのだそう。アートも初期衝動は遊びみたいなものだが同時にクオリティと生産量を担保させないといけないという矛盾。

「遊び」とは、偶有性の設計であるそうだ。アートもまさにそうだと。そして遊びにはルールと時間制限が必須。いかに自分で作った設計で遊べるか。日本人が職人芸を競う工芸作品とアート作品の概念違いがわからない人が多いのは教育の問題なんだろうなぁ。

ビジネスはシステム化が大事だけど、アートは自分をシステム化させてしまった時点でもう面白くもなんともなくなっちゃう気がする。ビジネスもそういう側面はあるだろうけど。

ボーイズラブとアートのゆくえ

3度の飯と同じくらいBL(ボーイズラブ)が好きな私は、油絵を再開した時から自然と「女性から見た男性」を意識的に描いている。
それがアートの世界ではまだまだ少数派であることも意識しつつ、当然のように男が美女をねっとりと描くように女が男を描いて何が悪い?というように。
もちろん、ヌードであることだけが主題ではなく、絵画として自分基準の美しさを満たすことが第一条件。

ほどなくして日本画家で男性ヌードを

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AI絵画ができるならAI音楽ももっとクオリティ高いものが発明されてもよさそうだけどあまりない不思議。人間のやることをどんどん無効化していく先にあるものとは