マガジンのカバー画像

アートとかきょういくとか

146
アートに関することをつらつらと
運営しているクリエイター

2021年4月の記事一覧

私が絵を描くとき

私が絵を描くとき

私が絵を描くときは、脳内で少なくとも6人の批評家が張り付いて私を見張っている。

2人は画家である両親。
その造形は狂ってる、色がイマイチ、構図が凡庸、などと。

1人はビジネスマンとしての自分。
この時代に絵なんか描いて意味ある?儲かりもしないのに。

もう1人は哲学者としての自分。
その絵を描くことで社会に何か影響をもたらすのか?哲学的主題は?

もう1人は優しい自分。
いいよ、一回思考停止し

もっとみる

マティスの切り絵「JAZZ」陽気な絵だと思っていたけど、実は憂鬱な絵なのでは?と父が。重い馬車を背負い鞭で叩かれ、首を垂れる馬。足は棒のように四角くぎこちない。この頃マティスは車椅子生活だったそうです。

よく言われる、「芸術やアートは理解するものではなく感じるもの」だというのは、まぁそうだと思うけども、「感じれる」ようになるために知っておいた方が良い項目は美術史のほかいくつかあって… つまり「感じる」と「わかる」は切り離せない。

画家の父親が、ルノワールの風景画を「毛糸が絡まったような絵」と評していて笑った。どんな巨匠でも、得意分野と不得意分野がある。ルノワールは柔らかな色彩による人物画の名匠だが、風景画はそうでもないみたいで、確かに素人目にも上手とは思えない。風景画の巨匠・モネは逆に人物画がほぼない。

芸術と崇高とは…

芸術と崇高とは…

美と宗教は否応なしに結びついてくる。
あまりに美しい光景を目にした時(私の場合、美しい鉱物を見た時、波照間島の海を見た時など)誰しもどこか神聖な体験として刻まれるだろう。そしてその経験をどこの誰ともわからない他人にいたずらに消費されたくない、独占したくなったりする。
芸術と崇高という概念もあるが、果たして人間にそんなことが成し遂げられるか。
映画「フランダースの犬」で、ネロとパトラッシュはたしかに

もっとみる

美しいもの、景色、美味しかったもの、楽しかったこと、何でも共有できるし、したくなる世の中だけど、自分しか知らない、孤独で美しいもの、景色、経験があってもいいのではないか。画家の描いた景色も、実際のところは誰も知りえない。ただ人が描いた何かが残るのみ。

形容詞として「絵画のような」と言われる時、多くは印象派絵画が想定されているのは面白いことだな。「芸術的」という、どこか揶揄の風味がある形容詞は、ピカソだろうか。形容詞のでき方と、人々の「芸術」に対する固定概念の在り方に興味がある。

子どもたちの感性はどんどん進化してる。ロジック抜きで抽象画の魅力を一目で感じられる子が増えてきているようだ。その一方、「美術」が好きな子はどんどん減ってきている。これは日本の美術教育の怠慢かもね。

鉱物ってほんとに面白い。同じ日光に当てるでも、日によって現れる色彩が全然違う。窓越しと、直接でも全然違う。こんなに魅力的な物質が地球上に他にあるだろうか。芸術家が絶望するほどの美しさ。

ここぞとばかりに、コロナ関連の社会情勢とかニュースを付け焼き刃で現代アートに仕立て上げる「アーティスト達」どうも好きじゃない、、、、もちろん社会と切っても切れないものなんだけども、、