無責任(ねこ好き閲覧注意)
猫たちを迎えたことを
後悔するときがある。
それは、
パートナーが猫にイラついている時。
パートナーが猫を大切にしてないと思った時。
パートナーにとっては、
猫は家族と思えないみたい。
とても悲しい。
私はみんな大切だから、悲しい。
なんでこの人、
私が猫お迎えしたいってのを
承諾したんだろうと思ってしまう。
私が望んだことなのに。
前に話し合ったときは、
「猫がこんな大変だと思わなかった」
と言っていた。
3匹で、若い猫が2匹と老猫が1匹。
若い猫は遊びたい盛り。
朝も夜も遊べば駆け回る。
壁を傷つける。老猫も爪を研ぐ。
猫には当たり前の習慣。
それがパートナーを傷付けた。
なんで私は
働いてない身で、
身重の頃に、お迎えを決断したのか。
よく考えてお迎えしたつもりだった。
でも考えが足りなかった。
とてもとても足りなかった。
そもそも働いてないのに
猫の費用は補えるとなぜ思えたのか。
情が移った。
猫を可哀想だと、思い込んで
知人にも頼まれて
自分がどうにかしたいと思った。
自分だけでは済まされない問題なのに。
でもパートナーは承諾したので
パートナーにも責任はあると思えてしまう。
ほんとうにいいの?って
何度も聞いたのだ。
でも経済的にも身体的にも
パートナーへ、おんぶにだっこ。
なんて無責任。後悔の念が募る。
年間の費用とか、考えたはず。
でも身体的負担は考えたりなかった。
主に、パートナーの負担のこと。
猫はパートナーのそばに向かう。
でもパートナーは基本構わない。
遊ばない。世話しない。
(掃除はしてくれる。優しい)
こんなにパートナーが
猫を毛嫌うと思わなかった。
その態度が本当にツラく悲しい。
でも、私が生んだ問題。
私の責任。無責任。
それでも、私は
猫といっしょに過ごす時間は
癒やされて、幸せである。
たまに困ることもある。
今みたいに落ち込むこともたまに。
でもこの子達が居てくれて
本当に良かったと思うこともある。
しかし、
もし私が居なくなったら
パートナーと猫たちは多分
いっしょに暮らせない。
その時は、もう
パートナーに猫たちの行方を
任せるしかない。
私が居ても、
猫といっしょに過ごすことが
ほんとうに難しくなることも
来るかもしれない。
その時も、行方を考えなければ。
この選択は良かったのか悪かったのか
たぶんずっと思い悩む。
私が働けば、いいんだけど
仕事を探す時間がない。
いや、こんなこと書いてるなら
探せる。探そう。在宅がいい。
子育てしながらできる在宅がいい。
それはずっと、思ってる。
パソコンも活用したい。
あのCMの、しゅふジョブって
どうなんですかね
(急に問いかけるな)