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僕が地域おこし協力隊を辞めたわけ⑨

はじめに

この記事は、北海道が好きすぎて移住し、道内のとある自治体で地域おこし協力隊として採用されたものの、たった半年で辞めた僕の体験談です。

この記事が、現役協力隊の方これから応募を検討している方、また、募集する自治体地域の方にとって少しでも参考になれば幸いです。

前回は、地域おこし協力隊のお財布事情に関するお話でした。

さて今回でシリーズ最後となる予定だったのですが、書き始めたらまた延びちゃった笑
今回は、前回の続きから僕が仕事を辞める決断をするに至るまでの話を書いています。それではどうぞ!

本編に入る前に、自治体には僕自身に対する悪意等は一切ないということと、役場の方々も良い人ばかりであったこと。そして、あくまでもこれがこの地方自治体にとっての普通であるということを明記しておきます。
そして苦しい生活を続ける中、町民の皆さんとフォローアップに来てくださったAさんには本当に助けていただきました。この場で心からお礼申し上げます。

副業をしよう!

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前回、初任給を受けた僕は、月当たりの収支計算を行いました。

その結果分かったのは、毎月5000円ほどの赤字になってしまうこと。

副業申請をして、土日や平日の夜間に働くことができれば何とかなるでしょうが、地方公務員法が適用されてしまうため、この自治体の考え方的には、働ける時間や環境はかなり限られそうです。

それに、土日に働くとなれば、僕のライフワークである写真撮影もできなくなります。貯蓄のためならまだしも、「その自治体で生活するため」休みを返上して働くのは何か違う気がします。

第一、小さな自治体なので、そもそもアルバイト出来る場所がありません。

そこで思いついたのが、道東の美しい風景野生動物の写真を使ったオリジナルポストカードの販売です。

道の駅や観光協会などで販売してもらうことができれば、通常業務への支障もありませんし、以前働いていたお店で売らせてもらっていたこともあり、印刷の発注から販売までのノウハウもあります。

ポストカード自体は大した売り上げになりませんが、月々の助けにはなるし、もしかしたら大きな仕事に繋がる可能性があるかもしれません。

それに、そのうち地域おこし協力隊として町内で撮った写真をベースに観光協会などで写真展などをやらせてもらえれば、町の良いPRにもなるし、僕にとっても良い経験になります。

さしあたって、月々の赤字を減らすためには大変合理的な良いアイデアだと思いました。

地域おこし協力隊としての将来性にも関わる案件なので早速上司に相談します。その結果。

上司:「地域おこし協力隊であるあなた」が道の駅や観光協会で、ポストカードなり写真なりを販売すると、「協力隊が役場の力を使って金儲けをしている」と非難されかねないので、役場としてそういうことはできない。

ですって。

僕は将来的に、収入源の一つとして自分の写真を売りたいと考えています。

毎年のカレンダーだって作りたいし、額装した大きな写真だって売りたいのです。

そういう話は、採用面接の時にも話したし、自治体はそれを聞いた上で僕を採用したんではなかったのかい?

とにかく、町内にある施設でのポストカード販売というような「地域おこし協力隊である僕の名前が売れる恐れのある副業」は役場としてNGが出てしまいました。うーん。地域おこし協力隊の目的とか意味、知ってる?

つまり、副業できる(できない)ってことかぁ〜。つらみ。

さあ、いよいよ毎月の資金繰りが厳しくなってきました。


働いても働いてもマイナスという生活

結局、役場のNGをかいくぐるような副業は思い付かず、僕の貯金はこの町に来る前と比べ20万近く減っていました。

働いても働いても収支がマイナスになる生活というのは、大変なストレスです。

僕は基本的に明るく心は誰よりも強いという自負がありました。どんな人とも仲良くなれるし、どんな場所でも必ずやっていける。今までもそうだったし、これからも大丈夫だという自負が。

しかし、この自治体に引っ越して3ヶ月が経過した頃。

日々の不安から不眠症になり、動悸が激しくて眠れない夜が続くようになりました。

それでも観光サイトの作成のために、店舗取材に行ったり町民の方と話をしている間は、そういう不安な気持ちを忘れ、楽しく過ごすことができました。

直属の上司にも何度となく相談しようとしましたが、何度も何度も自治体に失望してきた当時の僕は人間不信となっていて、なかなか相談することができませんでした。

始業時間の30分前に出社し、デスクで調べごとをするのが、僕の初日からのルーティンだったのですが、始業前のその時間だけは、比較的気持ちも上むきだった僕は、3〜4回ほど、上司を飲みに誘いました

酒の席であれば、腹を割って相談ができると思ったからです。

しかし、上司は毎回その場では快諾してくれたものの、実際に飲みに行く機会はありませんでした。


そして、この自治体にきて4ヶ月が経った頃、


僕の心は限界を迎えていました。


ライフワークの写真撮影に向かうため、車で高速を走っている時ですら、

「今ハンドルを思いっきり横に切ったら、楽になれる」という考えが、何度も何度も何度も何度も頭に浮かびます。

そんな恐ろしいことを考えた自身の状態に恐怖し、気持ちを切り替えようとした直後に、再びその恐ろしい考えが浮かびます。

「いっそ楽になってしまいたい」という自分と「そんな終わり方は絶対に嫌だ」という自分の間で、延々と揺れ続ける日々が続きました。

些細なことで激しく落ち込み自分の価値生きている意味がわからなくなっていました。

そして、いよいよヤバいと思ったとき、両親に電話をかけました。

このとき両親に電話していなければ、僕はどうなっていたか分かりません。

「辞めたらいいがの」

父と母のその一言で僕は救われました。

そうだ、辞めればいいんだ。以前から長くても一年と決めていたのだから、それを早めてしまえばいいんだ。

辞める。と心に決めてからは、夜も本当によく眠れるようになりました。

そしてそのすぐ後、直属の上司に半年で辞めることを伝えに行きました。


正直君にはガッカリした

辞める意思を伝えると、上司にそう言われました。

僕は心を病んだという話はせず、その大きな要因となった「最初から言い続けてきたこと」を言いました。

生活が、苦しいんです。働いてもここにいる限りマイナスなんです。そのマイナスをボーナスで補填するというのは、違うと思うんです。この自治体では、起業資金を貯めることも、起業に充てる時間をつくることもできないんです。任期が終わる3年後には、「ただ3年という時間を過ごした僕」がそこにいるだけなんです。と。

もっともっと早い段階で、上司との飲みの席で相談したかったことを話しました。上司は答えます。

たった半年で辞めるのは、本当にもったいない。給料の問題は正直どうすることもできないけれど、マイナスだとしても、ここで続けることは君にとって貴重な経験であり、ベストな選択のはずだ。と。

この話し合いで、この自治体とは分かり合えないということがとてもよく分かりました。僕たちはボタンを掛け違えたまま、初めからここまで来てしまったのです。元々、別々のシャツだったのかもしれません。その責任はどちらにもあり、そしてどちらにもないのです。

そして辞めるまで

半年で辞めると宣言したのが4ヶ月目のことだったので、まるまる2ヶ月以上残っていました。

上司たちからは腫れ物を触るように無視され続けていましたが、あまり気にならなくなっていました。

僕はひたすら町内の取材や撮影にのぞみ、観光サイトの構築に努めました。そして無事、最終出勤を前にその仕事を終えることができました。

自分の仕事を終わらせるために、あの状態から2ヶ月も仕事を続けたのかと驚かれる方もいるかもしれません。もちろんそれもありますが、何よりも大切な理由がもうひとつあります。

そう、期末手当です。笑

4ヶ月で辞めてしまっては、僕はこの自治体にきて貯蓄を削っただけで終わってしまいます。それだけはあの役場の世界に自分が負けたみたいで、絶対に嫌でした。

本来こんなものに勝ち負けなんてないんですが、せめてちゃんとした方法で一矢報いたいという僕の意地でした。

今でも僕は、この自治体や上司などに恨みや怒りといったネガティブな感情は一切持っていません。


その場所にはその場所の常識があって、その場所のルールに従っているだけです。

違法でない限り、それを良いとか悪いとかいう権利は誰も持っていません。

ただこのままでは、新しくそのまちを訪れるひとは減り続け、その場所自体がゆるやかに淘汰されていくでしょう。

その場所を本当の意味で変えることは、いつだってそこで生きている人にしかできません。

もし僕のこの体験が、ほんの少しでもそのきっかけになれたとしたら、これほど協力隊冥利に尽きることはないと思います。


最終回予告

いかがだったでしょうか。

深夜のテンションで書いてたら、最後なんかあれな感じになってしまいました笑

さて、体験談としては今回がラスト!で・す・が、全体を総括してのまとめが書ききれませんでした。やはり「終わる終わる詐欺」になってしまった。

なので次回!!本当の本当に最終回!!これまでの回を振り返って、これから協力隊への応募を考えている方や、受入を考えている自治体の方へむけて、双方のためになるようなことが書けたらいいなと思います!

もしよろしければ、僕の愚考を聞いてください!それでは!!!!

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