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嫌いな野菜ランキング1位のゴーヤ。「嫌い」というワードの強さ。【現役高校教員のエッセイ】
高校生に向けて書いたエッセイです。実際に、教室に掲示しています。
先日、なんとなく朝のニュースを見ようと思ってTVをつけたら、
「子供が嫌いな野菜ランキング」の話題が挙がっていた。
1位 ゴーヤ
2位 セロリ
3位 ピーマン
だそうで、キャスターやコメンテーターの方々が生産性のない議論を重ねていた。
このニュースを見ながら、日本人って本当にランキング好きだよなぁ。
とか、子供が嫌いな野菜ランキングを扱うほど、大きな事件は起きていないんだなぁ。平和で良いことだ。とか、のほほんと思っていた。
CMをまたいでも、その話題は続き、実際に子供たちにインタビューしている映像が流れた。
幼稚園児?とおぼしき男の子が、
「ゴーヤ嫌い。苦いし、見た目も気持ち悪いもん。」と無邪気に言い、
同じく女の子も
「私も嫌い、大嫌い、マズすぎ。」と半ば興奮状態に。
この一方的に嫌われ続けるゴーヤを見ていて、なんだか嫌な気持ちになってしまった。
「好き」の反対、 「嫌い」 このワードの放つパワーは、そりゃもうとんでもなく強く、触れただけで刺さりそうなほど鋭利に研ぎ澄まされている。
いわば、凶器にもなりうるほど危険な単語だと思う。
しかし、この「嫌い」をどれだけ言っても、警察に取り締まられたり罰金を払ったりするようなことはない。
刃物は持っているだけで銃刀法違反となってしまうのに、「嫌い」という凶器は何の制限もされていない。これってどうなんだ。
いや、確かに「嫌い」と言う度に罰金取られていたらほとんどの人が破産してしまうし、超管理国家となってしまう。極めて現実的ではない。
それでも、「嫌い」の危険性は再認識する必要があるのではないか。
ここで、改めて嫌われ野菜NO.1のゴーヤについて考えてみよう。
彼の嫌われる要因は何だろうか。
「苦い。」
「見た目がゴツゴツしている。」
「種が多い。」
など、だろうか。
特に「苦い」が最も嫌われる要因である気がする。
しかし、「苦い」は、ときに「うまい」へと変わることがある。
これについては、また別の機会に触れようと思うが、ぜひ沖縄居酒屋に行ってみてほしい。
そこでは、ゴーヤは主役級の活躍を見せる。
苦さを武器に、チャンプルーという超人気料理へと変貌を遂げるのだ。
あの嫌われNo.1だった彼が人気No.1へと一気に躍り出る。
そう考えると、果たしてゴーヤという野菜は、「嫌い」という凶器を一方的に投げつけられるほど、憎らしいものなのか。という疑問が生まれる。
彼が輝く瞬間も知らないくせに「嫌い」と言い放つのは、まだまだ未熟だな。子供だから仕方ないけど。
そして、「嫌い」ではなく、「苦手」という表現についても考えたい。双方、よく似た言葉であるが、少し印象が違う気がする。
例えば、「ゴーヤ嫌い。」と「ゴーヤ苦手。」だとどうだろうか。
個人差はあるだろうが、僕にはこう見える。
「嫌い」は相手が悪い。「苦手」はこっち(自分)が悪い。と。
「嫌い」という言葉は、相手にすべての要因を押しつけて、さも相手が極悪人であるかのように攻撃している感じがする。
それに対し、「苦手」という言葉は、相手に対する嫌悪感を表すと同時に、彼を受け入れることができない自分のせいなんですけど…という若干の負い目を表している感じがする。
完全に僕の主観ですが…。
相手の隠れた魅力に気付かず、「嫌い」と一方的に攻撃するようなことはナンセンス極まりない。
もちろん、ゴーヤに限らずね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
「苦い」は、ときに「うまい」へと変わることがある。
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