希望としての「メディスン」
⭐️ネタバレしております。
観劇前の方はご注意くださいませ。
観劇後の方、思い出反芻用にお読みいただけたら、こんなにうれしいことはありません。
劇場に辿り着くだけで大騒ぎ
5/22水曜日、シアタートラムにてマチネの回を観劇してきました。
私にとっては一回きりの「メディスン」。
「初・生の田中圭」を、
キャパ200人余りの小劇場で見る、という、
あまりに刺激的な現実にクラクラしてしまって、
緊張のあまりカチコチになりながら劇場へ。
電車の中で何度も
チケットの日付と時間を見直し、
「合ってるよね⁉︎」
「うん、合ってる!」
という一人芝居を繰り返しているうちに
三軒茶屋に到着。
地下鉄の出口に「シアタートラム」という文字を見つけただけで心臓が跳ね上がり、
無事に辿り着けただけで
「神様!」と天に感謝する始末。
はじめてのおつかいか。
私の座席はI列の下手側。
後方ではありましたが、
いまのわたしの状況から考えると、
前方席だったら心肺停止の恐れがありましたので、これくらいがちょうどよかったと思います。
それに座席の配置が考えられていて、
前の人の頭が視界に入ることもなく、
とても見やすかった。
オペラグラスなるものも
はじめて買って持っていきましたが、
3人が出ずっぱりで舞台全体を見るのに忙しく、結局あまり使いませんでした。
てか操作に不慣れで、覗いてみたらロブスターのハサミばっかりアップになっちゃって。
次までに練習しときます。
滑り出しからすでに異次元
座席が埋まり、立ち見のお客さんも入って、
劇場のスタッフさんの「開演しまーす」という声が聞こえると同時に、扉が閉められて。
開演の合図がスピーカーを通してではなく肉声で伝えられたことが、この劇場の親密さを物語っていました。
ここにいるみんなでそっと共有する秘め事が始まるようで……
客席が暗転しても、しばらくは何も始まらず、
ただ舞台の奥の方から、
かすかに物音が聞こえてきます。
舞台裏の音がうっかり聞こえちゃってるのかな?くらいのさり気ない物音で、
この時点でもう、舞台上の虚構の世界と、
客席側の現実世界の境界があいまいに溶け合い、
演じる側・見守る側の共犯関係が静かに形作られていくのがわかりました。
やがて登場するジョン。
アメリカのハイスクールドラマか?
みたいな浮かれた垂れ幕や風船なんかに溢れた空間と、
パジャマ姿のジョンにあまりに落差があって、
これから始まる物語がどんなものなのか、
皆目検討がつかなくて混乱する。
上手側にはついたてで仕切られた小さなブースがあり、反対側の奥には衣装がかかった小部屋がガラス戸越しに見える。
その手前にドラムセット。
そして無数の小道具。
とにかく舞台上の情報量が多い。
けれど、なんだろう。
その一つ一つが注意深く吟味されたものであることがわかって、雑然とはしていない。
すごく洗練されていて、意図をもってこの空間が作られていることが伝わってきます。
見る前までは、
「オレってば生の圭さんに動揺して物語に集中できないかも」
とひそかに心配していたのだけど、
舞台上で落ち着きなく動き回るその人は
完全にジョン・ケインで、
すぐにそんな心配をしていたことすら忘れました。
小舟がそっと沖に滑り出すように、
誰にも気づかれないような用心深さで幕を開けた90分。
場所はどうやら精神病院で、
ジョンはここに長い間入院しているらしい。
やがて登場する2人のメアリーは役者で、
ジョンが書いた生い立ちのストーリーを演じるために、病院側から呼ばれた人員のよう。
遅れてやってきたドラム奏者も加わり、
ジョンの語りと、2人のメアリーによるお芝居が始まります。
富山えり子さん演じるメアリー2は、
ジョンの書いたシナリオを「長い」と言い、
バッサバッサと切っていきます。
「ドラマチックだから」と、
決定的な出来事が起こる場面だけを切り取っていく。
私たちはジョンに起こったいくつかの悲惨な事件を知ることになりますが、
それはメアリー2によって切り取られた場面であるということを、忘れるべきではないのかも。
粗暴な親のもとで愛情を知らずに育ちながらも、小さなノートに詩を書き、自分をなぐさめる術を持っていたジョン。
人と比べてしまえば何もかもが足りない環境だけれど、それをおぎなうように、彼の想像力や内面を語る言葉は、とても豊かに、研ぎ澄まされていったのではないでしょうか。
ジョンはメアリー2の横暴さに悶絶しながらも、言われた通りに大幅にはしょられた語りを進めるしかありません。
そんな中で、奈緒さん演じるもう1人のメアリーは葛藤を深めていきます。
「ジョンに悪いことをしていると思わない?」
とメアリー2に問いかけますが、
相手にされません。
切り取られた悲惨な記憶を語り続けるジョン。
過去と現在の境目があいまいになり、
語りは絶叫に変わっていきます。
まるでその展開を読んでいたかのように、
ジョンに鎮静剤を打つメアリー2。
「あなたはこの病院にいるべき?」
とジョンに問いかけ、
「そう思う」という返事を聞いてすぐに、
どこかに電話をかけて任務の終了を報告し、
去っていきます。
しかし、
もう1人のメアリーは留まっていました。
メアリーはジョンに
「あなたの詩を聞かせて」と
投げかけます。
実はこれは2度目の投げかけなのですが、
最初のときはメアリー2に遮られてしまったのです。
けれど今は2人きり。
ジョンは自作の詩を暗誦します。
「わたしにいてほしい?」
という問いにジョンは頷き、
2人はベンチに並んで腰掛けます。
夜明けから朝焼けに変化していくような光のもとで、2人は満ち足りた表情を浮かべます。
ジョンはメアリーの手を取り……。
さきほどまでの混乱がウソのような、
静かな時間。
ゆっくりと暗転していく、
あまりにも美しい光を見つめながら、
わたしは
「この幸福なシーンが、最後の場面でありますように」
そう祈るように思っていました。
実際、それが最後の場面でした。
この物語を作った人は、
なんてやさしい人なんだろう。
一人きりで、
暗闇のなかに灯りをともすように綴ってきた言葉を、「聞かせて」という人が現れた。
誰も聞こうとせず、
ただお定まりのストーリーにみちびくためだけに利用されてきたジョンの言葉を、
聞く人が現れたのです。
このあと2人がどうなったかはわからない。
本質的には何も解決していないし、ジョンが病院を出られることはないかもしれない。
けれどメアリーが「あなたの夢は?」と聞いてくれたおかげで、
私たちはジョンが、あの悲惨な思い出ばかりと思われた故郷に帰りたいと思っていることを、知ることができた。
彼の過去だけではなく、これからに馳せる思いを、聞くことができたのです。
(彼が長く長くこの病院に留まっている可能性を示唆する描写があったことを考えると、この夢はとても悲しく響くものではあるのですが…)
とてもシンプルなメッセージ
帰宅後、開いたパンフレットに、
作者であるエンダ・ウォルシュのこんな言葉がありました。
これを読んだとき、これは実は、
とてもとてもシンプルなお話なのではないか……そう思いました。
解明されない謎が多く、難解な構造をしてはいるのですが。
誰の言葉も、聞かれなくてはいけない。
この演劇が、そんなシンプルなメッセージに貫かれているのだとしたら。
私たちはまずジョンがしていたように、
自分の内面の言葉にこそ、
耳を傾けるべきなのかも。
なぜなら自分を尊重することではじめて、
他者の声が聞けるようになるから。
任務を無事遂行することだけに固執し、
ジョンの言葉を無視したメアリー2。
彼女自身も「構造とルール」の犠牲者で、
自分を蔑ろにするしかない傷つきを抱えているのかもしれません。
メアリーとメアリー。
2人が同じ名前であることは、
観るものに
「あなたはどちら側も選ぶことができる。
さあどうする?」
と投げかけているようでもあります。
身体性がもたらすもの
あまりにも大雑把にストーリーを追いましたが、この演劇のすごいところは、
合間合間にめっちゃエモーショナルな踊りや歌が挟まり、
生のドラム演奏まで伴っていること。
どういう狙いをもってこういう作りになっているのかわからないけれど、
きっと「身体性」みたいなものをすごく重視しているのでしょうね…
どうしても考えようとしてしまう、
私たちの頭でっかちさを取り除く効果があるというか。
一種のトランス状態に導く効果があるというか…
実際、こうして文にしてみるといろんなことを受け取ったなあと思うんだけど、
見終わった直後は、ただただ呆然として、
得体の知れない、
名前のつけられない感情だけが残りました。
けど、そのわからなさを抱えることが心地よかったんです。
なぜなら、その感情はほんのりとした明るさをまとっていたから。
それはラストシーンが温かったというだけではなく、時折挟まれるコミカルとも言える踊りと歌の効果もあったのかも。
それにしても富山さんの体のキレ、
圧巻だったなあ。
惚れ惚れしてしまいました。
舞台転換のないお芝居でこの運動量、
そしてずーっとしゃべり続け、
みんなを引っ張っていっている。
これを昼夜2回???
クラクラしてきます。
そして私はこの演劇を通じて、
奈緒さんのことが大好きになりました。
わたしが今まで映像で見てきた奈緒さんはどちらかというとエキセントリックな役が多かったんだけど、
今回は他の人の感情を「受ける」、
3人の中では静かな役で、
包容力がすばらしかった。
ジョンを受け止めるメアリーの役が、
奈緒さんで本当によかった…と思いました。
小道具も衣装替えも多く、歌と踊りもあり、しかも舞台転換がない。
ジョンの回想シーンでは天から聞こえる声に合わせてセリフを言わなくちゃいけないところもあり、とにかくこれむちゃくちゃ段取りとか大変なのでは、と思いました。
(そうそう、パンフレットを見たら、お医者さんの声は近藤公園さんだった!温かいけど無機質でもあり、絶妙な声ですよね…)
けどどこも滞ることなく、流れるような展開で。とにかく舞台上で起きてることを見逃さないよう、夢中で見つめ続けた90分でした。
ドラムは激しいだけでなく、
繊細な心情を表す役割も担っていて。
3人+ドラムの荒井康太さん、照明、天からの声、音楽、すべてがものすごい高みで一体になっていて、しかもそれがラストに向けて、どんどんどんどんテンションを上げて上昇していく。
これは役者さんと一緒になって考え、動き、解釈を深めていくという白井晃さんだからこそ、
作れた舞台だったんじゃないか…
そんなふうに思いました。
リーダーが1人1人を信じて、
一緒の目線でものごとを考え、悩み、
対話してくれるとき、
チームは一丸となって、
どんなに未知なるものにでも手を携えて進んでいけるものだと思うんです。
わたしは今回のチームにそれを感じて、
胸が熱くなりました。
折り返しのときにXにアップされた、
白井さん撮影による星取り表を見つめる3人の写真、よかったですよね…
おだやかな表情で、
築いてきた信頼が伝わってきて。
圭さんが40歳になる年に、
この演劇の舞台に立てて、本当によかった。
単なるいちファンですけど笑、
なんかそんなふうに思ってしまいました。
田中圭=北島マヤ説
最後に、はじめて生で見た、
舞台の田中圭さんがどんなだったか、
感想を残しておきたいと思います。
最初にも書きましたが、もう出てきた途端、
圭さんはジョン・ケインで。
圧巻としか言いようがありませんでした。
陶器のような白い肌、ちいさなお顔、
パジャマから伸びたながーい手脚はたしかに毎日毎日画面を通して見続けてきた田中圭そのものなんですけど、
それでもそこにいるのはジョンなんです。
なに、この人、北島マヤなの⁈笑
(一瞬、着替えのためにズボンを脱いで、あの伝説のシュリーンとした細ーい脚が出てきたときだけはタナカーとしての血が騒ぎ、「うっきゃ〜〜」となりました笑笑)
そしてあの声。
声を張り上げているふうでもないのに、
朗々と響き、それでいて囁くような親密さもあり…
どんなに叫んでもくぐもることなく、一語一語が明瞭に聞こえる。
技術あってのことだと思うのですが、
神が与えし声、と思いました。
終盤、次々と蘇る過去の傷を長ゼリフで叫び続けるところ、もう、胸が締め付けられて、
けど屈辱的であるはずの赤いワンピースが美しくて、感情がめちゃくちゃになりました。
ややこしい長ゼリフをここまで感情を爆発させながら発語するって、どういうことなんだろう…
我が推し、スゲー。
なんて次元は超えて、
この人、日本の宝だよ。
というものすごいスケールで拍手喝采を送りたい。
わたし目が悪くてですね、
細かい表情とかわからなかったので、
映像化してほしいなあ…切に願います。
稽古風景とかチョロっとでもあったらヨダレ垂らして歓喜です。
最後、カテコのときに現れた圭さんを見て
「うわっ、ものすごいイケメンおる!!」と
はじめて思い、びっくりしました。
90分見てきたのに…
やっぱり北島マヤなのかもしれません。
帰り道、ぼーっとして電車のドアに挟まれそうになりながら、いつもの商店街を抜けて家に着き。
次の日、なぜか肩と背中がバキバキになってて、
「あれ、ジョン、ついてきちゃった??」
と思いました。
「ついてきたんなら、思う存分、外の世界を楽しんでね」
そんなふうに思って、昨日出なかった涙がじんわり滲んできました。
いつもと同じ風景が、ちょっと変わってみえる。
今日1日、わたししっかり生きなきゃ。
そんな気持ちがポンと浮かんできて、
「ほんとに、日常を生きるための薬になってる。メディスン、すげーな…」
と思いました。
まだまだ折り返しを過ぎたところ、
これから各地での公演もあり、
この激しい舞台をやりきるって、ほんとものすごいチャレンジだと思うのですが、
みなさんのご無事を、心からお祈りしてます。
受け取ったもの、大事にします。
お芝居の内容はいろいろうろ覚えで書いてしまいました。間違っているところがあったらごめんなさい。
長々とした駄文をお読みくださった奇特な方、
本当にありがとうございました!!!