誰かの話にある違和感の正体。
ここ数ヶ月感じていた違和感。その正体が輪郭を帯びてきたので書き出そうと思う。
少しずつではあるが、イベントがwebとリアルの同時開催へと移り変わる中で、招待されたりオブザーバー的な位置での参加を求めらることが増えてきた。
そんな中で感じて来た違和感。
参加した会合自体の趣旨目的はそれぞれ異なるけれど、同じ違和感を感じることがある。
時間が進むにつれて胃の中から何かが込み上げてきて、吐き気に近いものを感じ、体中がむず痒く、息苦しくて、たまらず眉間に皺を寄せ、深く呼吸をしながら、貧乏ゆすりが止まらなくなる。
もちろん失礼のないように最小限に留めているが、その抑制している状態が5分、10分、20分、30分と延々と続く地獄の居心地は極めて最悪だ。
ただ、内容は至って普通で納得いくものも多く、講師やプレゼンターは意気揚々として額に汗し目を輝かせている。
なのに気分が悪い。
自分の中に充満する違和感の正体がいったいなんなのか。それが分からずに悶々としていた。
自分よりも成功している風な状態に対する嫉妬や焦り?実際、その人が社会に貢献しているのを目の当たりにしたことによる自信喪失?
そんなことまでを検討の候補にいれて内観をしていたがあまり埒があく気配もなかったんだけだ、ふと何人かにこの話をする中で徐々に輪郭を捉えることができてきた。
違和感の正体①
話し手が自分の言葉ではなく、何処かで聞いたことを自分の言葉のように使うこと。
違和感の正体②
話し手が聴衆に対して「こうなってほしい」もしくは「こうであるべきだ」という想いに、自己保身的な感情が入り混じっていること。
違和感の正体③
ディスカッションではなくディベートになっていてマウント的に話が進むこと。
大まかに分けるとこんな感じ。
心と言葉のズレが最初にこうどーんときて、ん?ってなって、そのまま聞いてると何やら正しさのようなものが繰り広げられていて、足りない点を指摘して、質問に対して掌握的に説明がなされる。
この辺りで相当の気持ち悪さが込み上げてくる。
違和感から吐き気に変わるのは、それらが影響力を持って浸透し、聞き手が少なからずマインドコントロールされていって、自分の人生を生きにくくなるマインドセットが入るように感じるためで、場を占めていく淀みが体内から溢れてくる、みたいな感じだ。
つまり毒である。
最近多いコロナについての独自解釈も気持ち悪さがある。
それぞれ解釈があることはわかるが、それをセッションでもディスカッションでもない講義的な感覚を持って話されることが非常に気持ち悪い。
だからこそ、知らない知識のようなものでマウントを取らず、洗脳的ではなく脱洗脳的な発想で、囚われをなくしていけるようなアプローチでありたい。