リバーウォーク 2022.10.16
午前中は仕事。ひとつ大きなものが終わったが頭が回らず出来としては最悪に近い。しかし落ち込むよりも一旦、仕事から解放される時間ができたのが嬉しい。
今日は自分を甘やかそうと、昼ごはんは奈良市内にあるSAHHAというハラールレストランへ。チュニジア料理を提供しているらしい。
古民家の居間のようなところで料理を待つ。しばらくすると注文したクスクスが運ばれてきた。焼き野菜に、ひよこ豆、マトン、卵が乗っている。
「クスクス初めて?」とチュニジア人の店主に聞かれる。「昔どこかで食べたような気がします」と答えると「これが本当のクスクス。チュニジアでみんなが食べてる」と返ってくる。
スパイシーな味と言っていたが辛味はそこまでなく優しい家庭的な味。疲れた身体に旨味が染み込んだクスクスのホロホロ感がたまらなく良い。唯一、酢漬けにした唐辛子が辛かったが全体的にはマイルドな味。
ギヨーム・ブラックの「みんなのヴァカンス」でもクスクスが登場していた。そういえばフランスは移民の影響でクスクスがポピュラーな料理になりつつあると聞いたことがある。
ジュースも勧められたのでピーチのソーダをもらうことに。「これもチュニジア?」と聞くと「ううんドバイ」と返ってくる。
また来よう。奈良から電車に乗って京都へ。今日のメインのイベント、梅田哲也「リバーウォーク」を観に行く。
※以下作品にまつわる話をします※
受付のあるフロアから既に作品は始まっている。中央で巨大なスピーカーが回り、主に梅田哲也さんが様々な音を流す。水の流れる音、金属音、機械音、電子音、「おーい」という呼び声。室内には魚の風船が飛び、雑誌が宙を舞う(巨大なデッキのようなものの上と下でひっきりなしに雑誌をキャッチボールしている)。巨大な起き上がり小法師やシルクスクリーンを作る台、玉入れ、バスケットゴール、ラッパ……予測不可能なことが次々と起きる。
その予測不可能性はツアーがスタートしてますます加速する。各フロアでは地図が配られ、自由に歩き回ってもいいことが示される。しかしその自由もある程度、制御された自由だ。例えば閉まった扉の先には進めない(一部を除いて参加者は扉に触れてはいけない)し、散らかったテープ、電灯が切れて暗い場所。そうしたところには無意識的に近寄らないように心が作用する。我々が無意識のうちに行使している秩序というものの所在を感じるが、そこには不自由さというよりも「何か」に導かれるような、そんな心持ちがする。
「リバーウォーク」には、そうした連続-不連続、秩序-混沌、日常-非日常の間を絶え間なく往還しながらそうした二項対立が溶け合い無化されていく瞬間と立ち会う。しかしながら体験は一度きりのものが多く、立ち上がった瞬間には消えていってしまう。「あわい」を私たちは意識する。
3階のフロアが特に顕著だ。お茶を湧かす人、ブラインドを開け閉めする人、箒で床を掃く人、プランターに水をやる人、扉を開け閉めする人。文字化すると何気ない動作だが、そこに絶妙な違和が挿入されていく。
お茶を湧かしているコンロには謎の装置があり、ブラインドはリズミカルに何度も開け閉めされる。箒で床を掃く動作はどこか無機質で機械的であり、プランターに水をやる道具が奇妙だ。プランターに水を与えた男は突如壁に向かって大きな音を立て、開け閉めされる戸は金庫の厚い扉だ。そこに居合わせた参加者は一時的に金庫に閉じ込められる(すぐに出られるが)。床には奇妙な装置が作動し音や光が明滅する。奇しくもこの3階の大フロアは、ブライアン・イーノ展では『The Ship』という瞑想の空間が展開された場でもある。それが今は日常と非日常の間を絶え間なく行き来する異空間へと変異している。余談だが3階には唯一参加者が自由に開けられる扉があったのだが、いつのまにか閉ざされていて「暗室」と名付けられた空間に何があったのかは分からないままだ。
梅田哲也が作り上げた空間が特異であるのは間違いないが、しかし同時に時間や記憶のもつ重層性や一方にある脆さや儚さのようなものと対峙させられる。それは京都中央信用金庫 旧厚生センターという本来の役割を終えた建物で開催されていることと不可分だ(それは高槻現代劇場とも同じ感慨である)。
単純な比較は禁物だが、ブライアン・イーノ展では使われることのなかった空間、それも建物を余すことなく参加者は巡っていく。なので僕は「こんなに広かったのか」という感想を抱いた。金庫の所在は銀行の名残を思わせるし、普段は入られない屋上(ちなみに屋上では3階で調理されていた番茶が振る舞われた)に地下まで入ることができる。地下には貸金庫、和室、シャワー室などがあり、そこで流れていた時間のことを思わざるを得なかった。夢のような、白昼夢のようでありながら、覚めて欲しくないような、目覚めた後に寂しさが残るような空間。それはもう二度と戻ることのできない、時間への惜別の念だ。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」まさしくあそこに流れていたのは川の時間だったのだろう。
半ば放心状態で帰りに鴨川に寄ってチューハイを飲んだ。リバーウォークのパンフレットと、配布された地図、梅田哲也さんデザインの限定Tシャツを眺めながら時を過ごす。暗くなる直前までぼんやり過ごす。
帰りに梅田の阪神百貨店で北海道物産展に寄る。
一週間頑張った自分に、カニといくらの少し高い弁当を買って帰った。
辛口ゼロボールを見つけたので買って飲んでみる。最初はノンアルコールで、半分はキンミヤを注いで。酒の濃さを自由に変えられるのは良い点かもしれない(ノンアルコール飲料としてもかなり美味い)。