タネツボトボツネタ
言葉あそびです。
今は役に立たないかもしれないけれど、面白そうなアイデアやひらめきはボツネタとして種壺にしまっておきます。いつか役に立つ時が来るかもしれない。
人は毎日の暮らしの中で経験体験を繰り返すわけですが、日常で体験したことのストックは自分たちの未来図となるし、今日のボツネタは、明日の種壺となるかもしれない。意識して生活していればデジャブのようなことが訪れることもあります。
僕も過去に不思議な体験をしたことがあります。
10年くらい前のこと、高知県の観光プロモーションのお仕事で県内各地を視察させてもらっていた時のことでした。県庁の方が運転する車に乗せてもらって高知市内から国道33号線を西に30分ほど走ると「日高村」という看板が見えてきました。
トンネルを抜けると日高村に突入です。すると「オムライス街道」という「ノボリ」とや「手作り看板」のようなものが、国道沿いのカフェやレストランっぽいお店から見えてきました。
「なんだろう、オムライス街道って?」と不思議に思って県庁職員の方に尋ねてみると、どうやら日高村はオムライスで村おこしをしているとのことだった。平日ということもあって村にはお客さんも少なく、国道沿いにノボリ旗だけが寂しくなびいている光景が続いていました。
逆デジャブ!オムライス街道との出会いがスタート!
急に電気が走るとはこのこと。逆デジャブとでもいうのでしょうか、「オムライス街道」が数年後に物凄い賑わいを見せているような未来図が見えたのです。その時のインパクトは今でも忘れはしません。今思えばオムライス街道というタイトルに強い興味を持ったのかもしれませんが。
オムライス街道50万食達成!(2022年)
https://www.kochinews.co.jp/article/detail/566534
僕は途中で車を停めてもらい、オムライス街道プロジェクトを担当している役場の山本さん(女性)にお会いして、プロジェクト発足の経緯などを伺うことになるのです。それはビビビを連続でした。
高知県はフルーツトマトの産地ですが、その中で日高村も同様にトマトの栽培が盛んで、糖度が高い品種「シュガートマト」というオリジナルブランドも作っているほど。そこで村内のトマト産業を盛り上げるためにスタートした村おこしがオムライス街道プロジェクトでした。
日高村
https://www.vill.hidaka.kochi.jp/
日高村産のトマトを使った「トマトソース」でオムライスを作って村おこしをするぞ!と考案したのは、現在の村長の戸梶眞幸さんでした。戸梶村長はオムライスが大好きということもあって、良く食べに行っていたそうです。その時に、ふと、村内のどのレストランにもオムライスがメニューにあることを思い出します。これならいけるぞ!と村長考案の観光と産業の連携事業「オムライス街道」がスタートしたわけです。
オムライス街道に、小村(オムラ)神社。奇跡のネーミング。
https://youtu.be/HFrWwYAAPk8
オムライス街道スタートのもう一つの理由が水害の歴史に隠れています。仁淀川に面した立地にある日高村は、台風や大雨による河川の氾濫で昔から水害による被害を受けてきた歴史があります。高知県の人たちは「日高村=水害」、こんな印象を持っていたようです。
子どもたちの未来のためにも、過去の暗いイメージを払拭して、明るい話題の多い村にしたい!大人になっても村に残りたい子どもを増やしたい、村長の願いを込めたプロジェクトだったのです。実際はスタートまでには苦難の連続だったようですが、日記には書ききれないので割愛します。
村の歴史を知り、産業の歴史を学び、それを踏まえた観光と産業の促進をしている日高村の取り組みにも感銘を受け、僕はすっかりオムライス街道のファンになり頻繁に日高村に通ってはオムライスを食べたり、視察させてもらったり、取材したりして、何か役に立てることはないかと模索していくわけです。もっというと日高村の未来が見てみたかったのかもしれません。
そして、自分の中にあった種壺から引っ張り出してきたのが「音楽」です。子どもたちの記憶に残る可愛い音楽があったら「オムライス街道」が益々盛り上がるのではないか?お客さんも喜ぶし、みんながハッピーになる音楽ができないか、それがトマトの神様〜でした。サビのイメージもあって、あとは作ってくれるアーティストを探すだけというタイミングで、僕と同郷のアーティストでもあるリベットボタンに出会いました。
トマトの神様 現地でPV撮影しました。
https://youtu.be/64BCZEGlQfc?si=bTE04ukoIV7ti1T6
余談ですが、「村に伝わるトマトの神様の伝説」をポエムにして役場の方に送ったら、喜んでもらい第4弾のパンフレット(たしか!?)の冒頭に掲載してくれたのでした。そんなこんながあって、僕とリベットボタンがオムライス大使に就任することになるのでした。
あれから8年、今や全国的なプロジェクトになったオムライス街道プロジェクト!勝手に逆デジャブのように思っているだけですが、オムライス街道の成功は村の方の努力があってこそ。頭が下がる思いです。
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