母と僕の秘密
僕が妻と結婚したころ、妻と僕の母は姉妹のように仲がよかった。妻が母と電話をするときはいつも、
直接会ってみたいから、家に遊びに来てほしい、と言っていた。
しかし、残念ながら、僕と母はそれを叶えてあげることはできない。僕と母との間には、秘密があったからだ…
僕がまだ中学生だったころ、お父さんの不貞がきっかけで、僕の両親は離婚した。それを見つけたのは、紛れもなく"ボク"だったのだ。
ある夏の平日、放課後の部活を終えて、帰宅の道を歩いていると、目の前に父がいた。いや、そこにいたのは父だけではなかった。もうひとり見知らぬ女性が並んで歩いていた。栗色の髪が美しく、スラッとしたスタイルに似合う、長く細い足。たしかに、美人ではあった。ただひとつ、その人は母ではなかった。僕にはまったく見覚えのないひとだった。
もちろんショックだった。だが、はっきり覚えているのは、それを見たのは「僕」ではないということだ。今の僕はまだ生まれていなかったのだから。
父のことを聞いた母は、狂った。
それまでの優しくて、明るくて、いつも陽気に歌を歌っていたお母さんではなくなってしまった。
僕が話しかけても目もくれず、なにを聞いてもうわごとを話しているかのようで、母の目の前にはいつも暗い闇が漂っていた。
話さなければよかったと思った。自分が父のことを話さなければいいだけじゃないか。見て見ぬ振りができないならば、見てないことにしてしまえばよかったじゃないか。母を傷つけるくらいなら、自分に暗示をかけるほうが、よっぽどマシだということに、なぜ今さらになって気がつくのだろうか。なぜあのとき考えられなかったのだ。
なんてことをしたんだと自分を責めるようになった。自分の話に耳も貸さない母を憎く思うこともあったが、それ以上に、母の辛さが、苦しみが痛いほど伝わってきてしまっていた。
父と別れた母は、これまでの過去を消し去り、生まれ変わろうとしていた。彼女を取り巻く環境のすべてを新しくした。
そう。すべてを。
仕事も生活も住む場所も、思考も価値観もなにもかも変え、母はお母さんではなくなった。
そして、変わったのはお母さんだけではなかった。
僕のすべても変わってしまった。
僕はボクではなくなった。
自分のそれだけでなく、息子である僕の名前をも変えてしまった。
名前がなくなった僕は、なにものでもなくなったが、そのかわり、
何者にもなることができた。
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