いま求めている手がかりは、子どものころの記憶にあるのかもしれない
先日、富安陽子さんの『シノダ!樹のことばと石の封印』を読みました。小学校のときにとても好きで、読んだのはそれ以来のことです。本当に久しぶりでした。
急に、ふと、小学生のころ読んだときの感覚を思い出して、懐かしくなり、
読んでみよう、と。
ずっと、どこかで読んだときの気持ち、とてもとてもわくわくして、わくわくしすぎてページをめくるのが止まらなくて、それでいてストーリーはスリリングでドキドキも止まらなくて、
話の中の子たちと一緒に体験しているような、
そんな感覚を、
すごくすごくおもしろかったということを感覚で覚えていたのだと思います。
子ども向けの児童文学だと思ってたけど、手にとってみると大人になったいまでもとてもおもしろかった。
変わったのは読む速さだけで、わくわくする気持ちは昔と変わりませんでした。
むしろ、子どものころ以上の体験、子どものころ以上に大切なことを教えてもらった気がします。
今だからこそ心に響いてくる言葉、
拾い集めることのできる言葉、
救われた言葉が、たくさんありました。
ひっさしぶりに「おかあさんといっしょ」を見て、流れてくる童謡を聴き、いつも何気なく聴いている曲以上に、心にダイレクトに響いてくる歌があることに後から気づく、ような感覚。
当時は、純粋にストーリーを楽しんでいたのですが、まさかいま、こんなに響いてくるとは思っていませんでした。
たとえば、
「ゴロ合わせなんかじゃないわ。・・・名前っていうのは、世の中でいちばん最初の、いちばん短い”呪文”なのよ。
・・・そんなあなたの全部を、まるごとひとまとめにして、たばねているのが、”名前”なの。・・・」
「・・・物語やマンガと違って、現実っていうのは、そこでおしまいになっちゃったりしないんだね。だから、もうだめだって思っても、時間がつづいていくかぎり、お話はつづけていけるんだよ。
ハッピーエンドにしたいんなら、ハッピーエンドになるまで、つづけていけばいいんだよね。それで、ハッピーエンドになっても、それはおしまいじゃないの。メデタシ、メデタシのそのあとにも、未来はつづいていくんだよ。・・・」
言葉がすっと浸透してきて、
大事なことを教えてもらった気がしました。
子どものころには知っていたはずの、あたりまえのこと。生きていくために必要な基本を思い出した気がしました。
自分だけの名前、自分だけの時間
あたりまえのようにいつも身の回りにある名前や時間は、自分の目では見ることのできないものだけど、
名前は自分を表すものであり、時間は人生そのもの、自分そのものである。
やらなければいけないことで埋め尽くされた毎日のなかで、すっかり忘れていたものが、この言葉で、このお話によって掘り出してもらえたと感じました。
大人になってからのほうが、子どものころお世話になった人や本、映画や音楽に救われることがあるのかもしれない。
今求めてるヒントは、子どものときの記憶に。もしかしたら。
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