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2024年3月15日 「仕事」に対する今の自分の考えについて少し整理したい

タイトルの通り、今回は少しばかり真面目な話をする。

働き始める前の自分は、「仕事」や「働く」ということに対してとにかくネガティブなイメージだけを持っていたように思う。
自分がそれまで生きてきた人生よりもさらに長い年月を「社会人」として過ごすのかと思うと途方に暮れるような気持ちになったし、SNSや匿名掲示板などで囁かれる仕事に対する不満や呪詛の言葉を目にするたびに、ネガティブなイメージを持ったりしたものだった。

実際、楽しいことばかりではないというのは確かだ。
思うように仕事が進捗しなかったり思いがけないミスをしてしまったりして落ち込むことだって時にはあるし、どうしてもウマが合わない人との人間関係で日々疲弊したりするし、上層部の決定した理不尽な方針に振り回されたりもするし、そもそも毎朝早く決まった時間に起きて仕事場まで向かうというこのルーティーンが未だにキツい。

しかし、悪いことばかりではないともまた感じている。
自分の仕事によって人から感謝されたり、評価されたりしたときは素直に嬉しいものだ。
また、それまではできなかった内容の仕事が研鑽を重ねることによってできるようになったり、あるいはそれまで取り組んだことがなかった内容の仕事にも手を伸ばしそれがある程度モノになった時は、自分という人間の幅が広がった気がしてまた嬉しい。
それらによって自信や自尊心というものも積み重なっていく実感は確かなものだし、それは己の人生という観点においてもとても重要なものだと思う。

それから、仕事を通じて年代問わずあらゆる方々から色々な話を聞ける機会もある。
もちろん最終的には自分の中で咀嚼する必要はあると思うが、自分では思いつきもしないような話や考え方を聞くことができたりして、そしてそれによって広がる人生観は確かにあると感じている。

一方で、これは働くようになってから強く思うようになったことである。
それは、「『仕事』に自分の存在価値を全て委ねるというのは非常に危険」ということだ。
仕事が軌道に乗って上手く行っている時であればそれでも良いのかもしれないが、長い人生においてそれがずっと続くということはほぼすべての人にとってないというのが実際のところだろう。
キャリアを重ねるにつれて求められるハードルの高度化や、組織改革・異動等による人間関係の変化、仕事内容の変化、社内だけではない世の情勢の変動など、あらゆる要因によって、それまで力を発揮できていたものが急にできなくなってしまったり、あるいはそれまでには考えつくことさえしなかった思いがけない失敗をしてしまう場面というのは誰しもきっとあるだろう。
そうなった時、仕事のみに自分の存在価値や意義をベットしていればいるほど、その挫折心というものはあまりにも強大なもので、下手すれば立ち直れなくなってしまうことだってあるかもしれない。
だからこそ、手垢のついた言葉というのは重々承知の上であるが、趣味でもサークルでも同人活動でもなんでも良いと思うのだが、仕事と同じか、あるいはそれ以上に夢中になれるものを持っておくことに損はないのだと今は強く感じている。

逆に、自分が熱心に取り組んでいる趣味であったり活動で中々思うように行かなかったり、それらのコミュニティにおいてささいなきっかけで人間関係のトラブルを起こしてしまうなどして落ち込んだりすることだって時にはあるかもしれない。
そんな時には、それまで自分が仕事において積み上げてきた実績が、己の自尊心を支えてくれると思うのである。

そんなわけで、「仕事」とは適度な距離感を保ちつつ、でも自分のできる最大限で取り組んでいくような、そんな風にしてこれからも向き合っていければと思っている。
そんな生き方ができるように、これからもnoteやツイッターもずっとちゃんとやっていきたいですね。

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