2024年10月5日 職場を移り、1年を迎えた
今年の9月30日をもって、今の職場に移ってから1年が経った。
前職場にいた頃、詳細は割愛するが、昨年度の始まり辺りから事実上の無限サービス残業し放題プランの制度が開始され、極めて違法に近い劣悪な就業環境になってしまい、体力的・精神的余裕をなくしてしまった。
それに加え、勤務態度が極めて悪く、意欲も低い上に僕に不当に業務を押しつけてくる一部の先輩社員に入社当時からずっとウンザリしていたこと、そしてそれをグループの上長に相談するだけでなく、本人にも訴え続けても全く変わる気配のないその状況に辟易していた。
さらに、採用力強化を謳い新卒社員の初任給を上げるという名目で、現在籍社員の給与を実質的に下げるという新人事制度にも全く納得がいくものではなかった。
・・・他にも色々あるが、挙げていくとキリがないのでここで止めるのみにする。
間違いなく言えることは、仮にこういった環境での労働を我慢し続けたところで、その割に合ったリターンは全く得られなかったであろうということだ。金銭面、スキル向上面、待遇面、その他あらゆる観点から考えて。
そして、そんな環境であったからこそ、離れるという考えが頭によぎり、そしてそのための行動を起こすというのは極めて自然なことであると今でも思う。
とはいえ、お世話になったと心から思う人や色々良くしてくれた人も何人かはいたし、そういう人たちのことを思うと少なからず心が傷むこともあった。
中には何回も引き止めてくれる人もいた。そこには利己心や保身の気持ちもあったのかもしれないが、でもそれだけでは決してなかったと思う。正直に言うと、何度か心が揺れている自分も確かにいた。
でも、自分がしようとしている選択は、これから先何十年後を見据えた人生の決断である。そんな選択を、そういった一瞬の気の揺らぎによって自身の全体重が傾いた方向に決めてしまうのは良い結果を生まないと、根っこの部分では理解していた。
だからこそ決心は変わらない旨を伝えた。その行動が取れた当時の自分には今でも、いや、今だからこそ感謝している。
相手の気持ちに申し訳なさを感じつつも、それでも自分の気持ちを押し通さなければいけない場面というのはこれからも人生で多々あるんだろうなというのを、この時初めて学んだ気がする。
そしてあらためて、前職場を辞めたことに対する後悔は全くもってない。
それは当時よりも、むしろ前職場を離れて現職場で働き始め、1年が経った今だからこそより冷静に振り返れることだと思う。
とはいえ、6年半勤めた前職場を辞めると決めたその当時、全く不安がなかったわけじゃない。
6年半という年月を長いと感じるか短いと感じるかは人それぞれだろうが、僕個人としては中々長い年月だと思っている。
その年月在籍してきた会社で身につけた、それなりに強固になってしまっていたであろうマインドや価値観をかなぐり捨てて新天地の環境に適応できるのだろうかという不安である。それは、心機一転のワクワク感よりも大きいものであったような気が今思うとしている。
そして実際に働いてみると、ある程度想定していたことではあるが、やはり良いことばかりではない。
前職場とは異なるあらゆる様式に戸惑ったり、それはどうかと個人的には思う社内制度や方針があったり、どう歩み寄っても反りが合わない人というのもいたりする(これについては半分くらい僕が悪いところがあるとは思う)。
でも、前の会社を辞めるに至った原因の数々のようなことはないし、そしてそれまででは得ることはできなかったであろうものも大分多く得られていて、自分自身の幅は広がっていると思っている。
実力不足を実感させられるのは毎日と言っていいぐらいというのが実情だが、それでもそれなりにこちらでの仕事内容も習得してきたし、社内の雰囲気にもそこそこは馴染んできたのかなと感じている。
そういう意味では今の会社に縁があって入れたことはトータルで見れば良かったのだと思う。少なくとも、前の会社に留まり続けているよりは確実に良い今を過ごしているのは疑いようがないと確信している。
これから先どうなるかはわからないが、少なくとも1年経った今は確かにそう思っている。
一方で、今住んでいる土地には、1年経った今もなお馴染みきれてはいないなという確かな実感がある。
前に住んでいた埼玉県さいたま市から今の職場までは、通えないほどではないにせよ大分遠い距離があったこと、その当時住んでいた賃貸の更新期限が間もなく迫っていたこと、転職先(今の勤務先)が引っ越しにかかる費用の多くを負担してくれたことなどもあり、引っ越すというその選択自体は合理的であったと今でも思っている。
実際、今住んでいる土地もそこまで悪い土地ではないと思う。
コンビニやスーパーは近くにあるし、電車で数駅でそれなりに大きい商業施設もあるので生活に困ることはない。
都心へのアクセスもそこまで悪くはないし、また都内にしては自然が豊かなのも良いところだと思っている。
だが、なんというか埼玉に馴染みすぎていた。そしてこれについては引っ越しをするまで全くその自覚はなかった。
決して大都会というわけではないが、かといって田舎すぎるわけでもない。
基本的には閑静な住宅街であるが、そういった土地独特の落ち着いた雰囲気が妙に好きだった。あと、近くに大きめの公園があり、気分転換の際にはいつもそこに行っていた。
それから、2017年の終わり頃にツイッターを始めたのだが、埼玉県に住み始めたタイミングはほぼほぼそこと重なっている。
そして、ツイッターを始めてから今に至るまでの人生の方が遥かに楽しいと思っている。その時期の大半は埼玉と共にあり、だからこそ無意識的に埼玉にも愛着を感じていたのかもしれない。
それまでの地元の東京の東の方にいた頃は良い思い出がほとんどなかったこともあり、その気持ちは自分が思うよりも大きいものであったのかもしれない。
会社に馴染むことよりも、今の土地、というか前住んでいた土地以外に馴染むことの方に苦心することになるとは正直思ってもみなかった。
でもこれも時間が解決してくれるんだろうか?これからのわたくしに期待したい!
ここまで振り返ってみると色々と思うことはあるが、前職時代とはありとあらゆることや仕組みが変わった中、決して要領が良いとは言えないにしても自分なりに適応し、なんだかんだ1年もやってきた僕自身のタフさを、まずは素直に自画自賛してやりたいと思う。
余談だが、先日、前職場のホームページや転職サイトの同職場のページにて公開されている求人票をなんとなく見たところ、僕が辞めてから1年経った今なお、かつての僕のポジションの募集を行っていることを知った。
その難航している採用活動の要因を作った身として若干の申し訳なさを感じないわけでもなかったが、それよりもこれまでに受けた仕打ちの数々を考えると、その時に同時に感じた悦びの方が遥かに大きく、そしてその悦びだけで2024年の残りは乗り切っていける気がした。
そんな最悪な心境の告白をもって、今の職場に移ってからの振り返りを終わりにしたいと思う。