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「ごめんね」の後に「いやだ」って言った話

確か小学校の3年生くらいだったと思う。

細かい理由は忘れた。だけど、クラスの男の子と喧嘩しただか悪口言われたかなんかそんな感じで、担任の先生が、彼に私に対して「ごめんね」を言わせた。
小学校で習いますよね?「ごめんね」って言ったら「いいよ」って言わないといけないんですって。優等生だった私に、先生は「いいよ」と言ってこの件を終わらせることを望んだ。


だけど、私は「いやだ」と言った。


確か、続けて
「本気で悪かったって思ってる?」
みたいなことを聞いた気がする。要は、彼が先生に呼び出されて怒られたからこの場から逃げ出すために私に謝ったように見えたのだ。

「ちょっと」と嗜める先生をよそに、口が立つ私は
「何に謝ってんのよ、どこが悪かったのよ」
なんて言ってまくし立てた。振り返って、自分でもやなやつだと思う。
でも素直な気持ちだったことは間違いない。

この後、どういう経緯か忘れたけどこのことを母が知り、今度は私がめちゃくちゃに怒られた。「謝った子の気持ちを蔑ろにするな」みたいな理由だったと認識している。「謝ったって言ってるその気持ちを疑うなんて、ひどい」みたいなことも言われた。意味が分からなかったし、謝れば勝ちみたいな部分に気持ち悪さと苛立ちを覚えた。


* * *

最近特にTwitterなんかで私の周りの人が言い合っているのは、結局こういう話のような気がする。
森さんの発言をはじめ、先日から渡辺直美さんの件や報ステのCMも私の周りでは随分と話題になっている。(話題になっていると感じるくらいには私は偏っているかもしれないけど)

うまく言葉にできている人、できていないけど嫌悪感を抱いている人なんかがこれらを批判し糾弾し、まだ変わらないのかと落胆しため息をつく。そうした声に押されて、問題とされた人は「謝罪」をし、「責任」を取ってポストを退いたりCMを取り下げたりしている。

それに対して、批判をしていた人たちが「この人たちは何が悪かったのかわかっていない、反省してない」と追撃する。

その様子を見かねたかのように、「謝ったんだからいいじゃない」「歳だから仕方ない」「企画の段階くらい好きに物言わせてあげたらいいのに」と何故か擁護派が沸き出る。


「ごめんね」の後にはやっぱり、「いいよ」って言わないといけないのでしょうか。
「責任を取った」のだから、許してあげないといけないのでしょうか。
じゃあ「許す」ってなんなんでしょうか。

私は、「いやだ」って言っていいし、わかってないなら謝んなって思っちゃうし、わかるまで話し合え、逃げんなと思ってしまう。
まだ、子どもだからでしょうか。


ぽてと

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