子どもがお稽古事をやめたいと言った時、贈りたい言葉
私には10歳になる息子がいます。
その息子は、ピアノを5年続けてきて、
彼の中で今一番続いているお稽古事です。
その彼が、土曜日、
「ピアノをやめたい」
そのとき、わたしは、どんな言葉をかけるか。
「あなたのやる気がないなら、仕方ないね。やめよう」なのか。
「もうちょっと頑張ってみたら」
なのか。
プロを目指してやっているわけでもないのに?
息子にとって、ピアノは苦行になっているのか?
わたしはどう言葉をかければいいのか悩みました。
あなたなら、なんて声をかけますか?
息子がやめたい理由
息子にやめたい理由を聞くと、
重い口を開けて話してくれました。
「もうすぐ発表会だけど、
そこで弾く曲が難しくて、練習していて嫌になる。
お母さんと一緒にやると、お母さんは怒るから嫌だ。
かと言って、自分一人では
難しさにやる気が失せて、練習しない。
みんなのストレスになるだけだから、
ピアノをやめたい。」
チャレンジするハードルが高くて、
心が折れてしまったようなのです。
3月にはピアノの発表会があります。
息子はこのピアノの発表会に弾きたい曲があると、
自分で曲を決めて、去年の3月から準備してきました。それは、息子が大好きな、鬼滅の刃の「炎」でした。
YouTuberが弾いているのに憧れて、
息子の技術ではなかなか難しいけれど、
一年かけてチャレンジしようね、と、
ずっと練習してきた曲でした。
あと残り2ヶ月に迫ったこの時期に、
その「炎」を、まだ一回も通して弾けていない、
という状況でした。
いよいよコレはまずい、と
ピアノの先生もわたしも息子も思うようになり、
この年末年始のお休みが正念場だねと話していました。
年末に息子に、
「一緒にピアノを練習しよう。
お母さんも一緒に見ていてあげるから」
と声をかけましたが、息子は、
「お母さんとやると怒るからやだ」
と練習できないままでした。
かといって、自分から練習をするわけでもなく、
どんどんジリ貧になっていき、
わたしと息子は衝突することが多くなりました。
「お稽古を続けたら?」と言うのは親のエゴ?
続けてきたお稽古事を、続けたらいいのに、
と思うのは、わたしのエゴだろうか?
わたしは悩みました。
息子は、学校でもピアノを披露したり、
音楽会でピアノを担当したり、
本人の中でもピアノは、自信の持てる特技だと
言っていました。
本人が納得して、「卒業」という形でやめるのはいい。
でも、なし崩し的に、逃げるようにやめていいのか。
本人の成長にならないのではないか?
子どもが乗り越えられると信じる
私にこんなことを教えてくれた人がいました。
「子どもを信じるだけじゃなくて、
子供の守護霊様を信じてあげなさい。」
息子だけを信じていたら、
「やめたい」という言葉のまま、
無理をさせたらかわいそうだ、と
きっとそのまま、やめさせてしまったかもしれません。
息子は、この先の人生で、
沢山失敗や挫折を味わうでしょう。
そのときに踏ん張れる人間になれるか。
99%負けていても、
残りの1%の希望にかけて
戦い抜く力を身につけてほしい。
人生には、戦わなければならない瞬間があります。
歴史に名を残してきた偉人たちは、
易々と人生を過ごしてきて、
その偉業を達成したんじゃない。
毎日毎日の、失敗や苦しい思い、挫折で、
何度も「やめたい」と思ってきたはずです。
苦しい状況の中で、その度に誓い直して、
それでも立ち上がる力があったからこそ、
その軌跡が自信になり、
凡夫で終わらなかったのではないかと思います。
今やりきることが、自信に繋がるのではないか
そしたら、息子にとって、今、
この「炎」を弾き切ることが、
彼を支えてくれる自信を得られる
いいチャンスなんじゃないかと思ったのです。
それが、ピアノだけじゃなく、
勉強でも仕事でも通用する、
失敗を成長の機会に変えられる、
人生の雛形になるはずだから。
そうやってたくさん失敗できることが
神様からのギフトなんだよ、
と伝えたかった。
わたしにできることは、
「息子は、絶対にやれる」
と信じて、その練習する姿を
ちゃんと見守ってやることだと思いました。
どんなに時間がかかっても、
わたしは今日、あなたと向き合う。
1人では乗り越えられない時、
私が応援してるよ、だから一緒に頑張ろう、
そう私は息子に伝えたいと思いました。
息子と、息子を導く守護霊様を信じたのです。
ピアノは、わかりやすく失敗を学べるいい教材です。
ピアノを続ければ続けるほど、
弾く曲は難しくなっていくし、
弾きこなすために、
何度も何度も地道な努力を重ねなければいけません。
何度も何度も失敗しなければいけません。
ピアノを続けていて、
プロを目指しているわけでもない。
楽しくなくなったらやめたっていいけれど、
でも苦しい時に立ち向かう力を養うのに、
ピアノはとてもいい教材だと思いました。
嫌がる息子に、ばあばの言葉が響く
話し合いの当初、息子は、
この話し合い自体が、
「ピアノをやらされる」と感じて、
とても嫌がりました。
「もちろん本当に嫌ならやめてもいい。
でもピアノが嫌いなんじゃなく、
できない自分をみつめるのが嫌なんじゃないの?
できない自分に気付いた時は、
大きく成長できるチャンスなんだよ?
こうやって、二人で時間を作って、
課題に向き合えるのは、奇跡的なことなんだよ。
今日でこの曲を、一回通して弾けるようになる、
そう目標を立てようよ。
その目標をやり遂げた時、大きな自信になるから。」
私はそう言いながら泣いていました。
そう話していたら、隣で私の母も泣きながら、
息子に話してくれました。
「ばあばはね、お母さんや
お母さんのお姉さんを育ててきた時に、
音楽のお稽古や塾も行かせたけれど、
本人がやめたいと言ってきたときには、
じゃあお金がもったいないからやめよう、って、
やめさせてきてしまったんだよ。
だけどね、その時、本人が向き合わなかった課題はね、
必ずめぐりめぐっていつか向き合うことになるんだよ。
その時地を這うくらい苦しいよ。
今、あなたが、やめたいって思ったときに、
向き合ってくれる大人がいるって
本当に素晴らしいことなんだよ。
あなたなら乗り越えられるって
信じてくれる人がいるって、
素晴らしいことなんだよ。」
泣きながら話す母の姿に、
私も涙が出ました。
息子も泣いていました。
やりきることを決意した息子
今まで一度もできたことがないけれど、
今日、1曲を通して弾けるようになる。
息子のチャレンジが始まりました。
頭が痛い、指が痛い、お腹が減った…
集中力を途切れさせるいろんな要因がありました。
どうしても弾けなくて、
何度も何度もチャレンジしても弾けなくて、
息子も、わたしももう嫌だと
投げ出したいこともありました。
でも、そのたびに、
「今この向き合い方が人生の雛形になるよ、
最後まであきらめないその姿勢を今作ろう。
誓い直そう。今日でやりきりますって。」
ピアノの椅子の上で、
苦しいよって泣きながら丸まった
息子の背中をさすりながら、
わたしも泣いていました。
大丈夫、できるよ。
今日、あなたは、変わるから。
やりきった息子の姿を見て
とうとう息子は、1曲通して弾ききることができました。
たどたどしくて、つっかえつっかえだけど、
でも1曲最初から最後まで弾くことができました。
前日の彼の状態からは、考えられない成長です。
よくやったよくやったと、
2人で抱き合って喜びました。
気づいたら、9時間も、2人でピアノの前にいました。
息子にとって大きなチャレンジでした。
それをやりきって、息子は男の面構えになった、
と思いました。
それを見て、わたしは、胸が熱くなりました。
記念におめでとうって、息子に1000円をあげました。
息子は「嬉しくて、もったいなくて使えないよ」
と言って、自分の机に飾っていました。
きっと、それを眺めるときに、
自分はやれるんだって
気持ちになってくれるんじゃないかなって
と思いました。
どんなビハインドの状況でも、
自分はやりきれるんだ、という
自信に繋がったんじゃないかと思います。
ピアノのほかにもいろんなお稽古事があるでしょう。
長く続けていれば続けているほど、
乗り越えなければいけない壁はだんだん高くなり、
楽しいことばかりではなくなります。
苦しくなったその瞬間に、
それを乗り越えていけるかどうか、
それがその子の人生の雛形になります。
私はお稽古事を通して、
息子に大切な人生の勉強をさせてあげたい。
社会人になると、失敗はより分かりにくくなります。
自分の感性が高くなければ、失敗だと、
成長の機会だと気づけないまま、通り過ぎてしまう。
わかりやすく失敗できるこの時期に、
それを乗り越える経験をどれだけさせてあげられるか、
成長できる機会をたくさん設けてあげられるか。
わたしにできることは、
息子の守護霊様の導きを信じて、
彼が乗り越えられる未来を信じて、
応援し続けることなのかなと思います。
わたしにとってもチャレンジだった
一方で、9時間もピアノを練習させるなんて、
本当にクレイジーだと思います。
虐待だと言われるかもしれない。
わたしにとって、
自分の見栄やお金がもったいないから、
という理由で、息子にピアノを強制させていたら、
その通りだと思います。
今回のことは、わたしにとっても、彼を信じきれるか、
というチャレンジだったんじゃないかと思いました。
私自身も、途中で投げ出したくなりましたし、
スマホも家事も仕事もしないで、
9時間ずっと集中して彼を見続ける、
できると信じて、背中をさすりながら、
「大丈夫、大丈夫」って声をかけ続ける、
そういう修業になりました。
頑張ってくれた息子には、
わたしに親のありようまでも考えさせてくれて、
本当に感謝です。