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先週日曜のこと。
起きました。家族で大喧嘩。
苦しい。
毒出し、露払いだとも思っていますが泣

事の発端は、
わたしが友人を実家に泊めたことでした。

わたしは学生時代、社会人になってからも、
よく友達を家に招いて、泊めていました。
実家には、客間があって、
そうやって、集える場があるのが嬉しかったです。

お布団干したり、シーツ洗ったり、
料理したり、友人を招いてのおもてなしは、
自分でなるべくやったので、
家族の負担は少ないはずだと思いました。

ただ、タイミングが重なって、
2週間続いてしまいました。

わたしは性格がオープンだけど、
家族はそこまでじゃない。
気を使っていたのでしょう。

「もう友達を家に連れて来ないでくれ」
と父に言われました。

いつもなら、
「あーハイハイ」と聞き流すのです。

でも、
「あの子はどーだ、こーだ」と
よく知らないのに、父と母が友人に対して、
勝手な批評をし始めました。

「よく知らないくせに、
お友達が持ってきてくれたお土産食べといて、
何言ってんだ!」
と、わたしは瞬間的に沸騰して、
机を叩いて「うるさい!」と怒鳴ったのです。

わたしがアホだ、バカだと言われるのは
大して気にならないのに、
大切な仲間を勝手な言われ方をするのは我慢ならなかった。

両親は、わたしが彼等の理解の範疇から
越えたことをすると、
いつもわたしのことをバカだと言うのですが、
それは、「まあ、心配という名の、愛情の裏返しだろう」と
理解できるのに、
仲間のことは、侮辱された気がして、
モノを投げつけたいくらいの、
激しい怒りを感じました。

そこから、
「文句があるなら、家出てけ!」
「言われなくても出てくわ!」
という展開になりました。

こんなに怒りを感じたのは、久しぶりです。
自分の中に、まだこんな瞬間的な沸点があったのか、
という発見でもありました。

怒りで沸騰しているまま、リビングを出て、
風呂に入っている間、魔法の言葉
「いよいよ楽しくなってまいりました」
とつぶやきました。

すると、「じゃあこのケンカで面白いところはなんだ?」
という発想になり、
「実は、これから一生親と住んで、
老後の面倒を見ていくつもりでいたけど、
それは、わたしが自分にかけていた呪縛なんじゃないか?」
と思えてきました。

今、わたしは実家で、子どもの面倒も、家事も、
かなり親に手伝ってもらっていて、
というか、メインをやってもらっていて、
だからこそ残業や、自分の勉強もさせてもらっていて。

それは本当にありがたいことだけど、
それを自立するのも、面白いかもしれない。
息子と自立する、という選択肢を持っていなくて、
それを味わってみるのはいいかもしれない。

と思いました。

家を出ていけ!と言われて、
それもそうか、と思える、そういう自由さが
わたしにはなかったけど、
それを得た気持ちになりました。

「後、一年後、
実家の家を売ろう。
それで、みんな別々に生きていこう。」
そう親に言われて、
お互い怒りマックスでしたが、
「これは自由への旅立ちかもしれない」と思いました。

とはいえ、10歳の息子は
「なんでケンカすると、すぐ家出て行けとか、
そういう話になるの?
僕は、お母さんとばあばと一緒に住みたい」
と泣いていて。
胸がズクっと痛みました。

息子に
「もう会えなくなる訳じゃないし、
これは、みんなにとって適切な距離を取るって
ことかもしれないよ。
息子くんも、これからどんどん自我ができてくるし、
必要な旅立ちかもしれないよ」
と伝えました。

ただ、自立していくにしても、
ケンカ別れは嫌なので、
みんなで納得して前に進みたい、と思います。

となると、激しい言葉で怒ったことを、
親に謝らなきゃなー。

(続く)

※写真は、夕方悩みながら参拝した神社です涙

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