有吉佐和子『悪女について』 - 富小路公子と花 -
有吉佐和子『悪女について』の主人公である富小路公子。
彼女にとって花というモチーフは、彼女の人生そのものを象徴する強力なメディアでした。彼女が作中で花というメディアをどのように扱ったか、またそれが彼女のどのようなものを表現しているのかを考えてみました。
公子は花によって何を表現したか
生花=はなやかさ・儚さ・弱さの演出
物語の中で生花が登場したのは主に以下の場面です。
長男の出産時に渡瀬義雄が目撃した、尋常じゃない数の花束
沢山栄次に贈らせた数々の花
尾藤輝彦に贈らせたバラの花
小島誠との結婚式で持つ予定だった胡蝶蘭
田園調布の家に咲き誇っていた牡丹の花
義彦の出産時、公子が男たちに贈らせた花は、私生児を産もうとする彼女の悲劇的な境遇を演出する装置だったと考えます。
沢山栄次に多くの花を贈らせたのは、彼からは物質的な豊かさを得ようとしたからだと考えます。後に、公子は沢山から土地を借り、莫大な資産を築きました。
また、公子が尾藤輝彦に贈らせたバラの花言葉は「美」「愛情」です。輝彦にバラの花を求めたのは、彼からの純粋な愛情を得ようとする意図があったのだと思います。これは公子が輝彦を愛していたというわけではなく、男から愛情を注がれる自分を叶えるために贈らせたということでしょう。
では、沢山・輝彦と同じく、子供の父親と言われた渡瀬義雄にはなぜ花を求めなかったか。それは、渡瀬の心が離れていっているのにもかかわらず、自分への愛情や思慕を求めるのは、彼女のポリシーやキャラクター性に反するからだと思います。
公子はあくまでも「支配者側の立場」ということなのでしょう。自分の「弱さ」を利用して相手を支配する、富小路公子とはつくづく恐ろしい女です。
小島誠との結婚式の際に公子が持つと言っていた胡蝶蘭は、「幸福が飛んでくる」「純粋な愛」といった花言葉があります。特に、白の胡蝶蘭は「純粋」という意味を持ちます。公子は3度目の結婚においても、自身の「純粋さ」を演出しようとしたのではないでしょうか。
もしくは、これまで計略の上で結婚・出産をしてきた自分から、本当に純粋に人を愛する人生を歩もうとしたのか。
私としては前者であってほしいと思います。
牡丹の花言葉には、「富貴」「壮麗」「王者の風格」「恥じらい」「誠実」「人見知り」「思いやり」などがあります。これらはすべて、公子を表すようなものばかりです。
また、牡丹の花は終わったら、病気などを防ぐために花茎ごとばっさりと切るそうです。これは美しいまま死んだ公子の最期を思わせます。
造花=偽り・見せかけの信頼
物語の中で造花が登場したのは主に以下の場面です。
小学校の同級生である丸井牧子に送った造花のバラの花束
渡瀬義雄との同棲時代に部屋に飾ってあった紙の花
富本寛一との結婚式で着た白バラのウェディングドレス
丸井はインタビューで「公子は自分が貰いっ子だという秘密を自分だけに打ち明けてくれた」と語っています。しかし、公子は方々で「自分は貰いっ子である」と言っていました。
後年になって贈った造花の花束、これは公子が今でも丸井に対してだけその「秘密」を共有しているように見せかけたのだと思いました。
また、渡瀬義雄との同棲時代に、里野夫人が目撃した部屋に飾られた数々の造花は、「渡瀬との幸せな結婚生活」を演出するための舞台装置だったのではないかと考えます。
そして、公子にとっての富本寛一との結婚式で着た、白バラのウェディングドレス。これは公子が1度目の結婚と子供の存在を隠し、自分の偽りの処女性を演出するためのものだったと考えられます。
ドレスの作り手である林梨江が「誰が見たって処女の花嫁だった」と、仲人である伊藤弁護士が「あれは本物のバラだった」と語っていたことから、公子の目論見は成功していたといえるでしょう。
まとめ
富小路公子は、花というメディアを通じて、女性の魅力、儚さ、虚構、そして策略の象徴そのものとして描かれています。花の持つ象徴性を最大限に活用し、それを自らの目的のために利用する彼女の姿は、単なる「悪女」という枠を超えています。
次回は「富小路公子と宝石」について書いていこうと思います。