バイタリティーノスタルジー
3/27(水)
天気:晴れ
子どもの頃って、今思えば不思議なぐらい、石ころを蹴飛ばすのが楽しかった気がする。
どんなに騒がしいクソガキたちでも、学校の帰り道ではみんな口を真一文字にして、夢中で蹴り合っていた。
言ってしまえば、たかが石ころを蹴るだけよ?
なのに、グラウンドでサッカーボールを蹴っているときと同じぐらい
いや、それよりもずっとずっと集中して取り組んでいた。
あれは一体なんだったんだろうね。
今ではあの熱量の所在がわからなくなってるけど
当時の、没頭していた感覚は思い出せる。
子どもってすごいよなあ。
僕が思うに子どもは、大人とは違ってどんなことに対しても熱量をもって取り組める、膨大なバイタリティーを有している。
だってあの頃、よくわかんないけど友達同士で流行ったことなら何にでも熱中してたし
どんなにくだらないことでも、日が暮れるまでずっと遊んでたもんね。
あれはもう大人には真似できないよ。
「いやぁ、たかが石ころを蹴るぐらいで。」
そういう大人な、いや、冷めた視点で捉えてしまう人も多いんじゃないかなぁ。
いろんな経験をして、さまざまな娯楽を覚えていくうちに
みんな子どもの頃のバイタリティーを失くしていってしまうのだろう。
なんかちょっと寂しいね。
しかも、さまざまな娯楽を覚えたつもりが結局大人が盛り上がるのって、飲酒。
なんかちょっと残念じゃない??
だってさ、僕自身もそうなんだけど、バイタリティーをもって飲酒というよりは
逆に、お酒を飲んで活力を無理矢理上げてる感じがしてならない。
ほら、お酒を飲んでるとボーッと熱くなってくるじゃん?
あの感覚も、まるで子どもの頃にみなぎっていたバイタリティーそのものに似てるんだよなあ。
「僕たちはもう、あれだけの活力を自然には持てないんだよ」
そう証明しちゃってるようで、僕はすごく寂しい。
何かに熱中できること、わけもわからず夢中になれること
それらは体感したくても出来ない、とても貴重な感覚。
だからこそ、大人になった今、少しでも琴線に触れるものに出会ったら
その機会を逃しちゃダメだ。
もしかしたらそれは、あの頃のバイタリティーを取り戻せるチャンスかもしれないのだから。
ただのノスタルジーかもしれないけど、あの頃の感覚をずっと追い求めていたい。
ぽてとはペヤングを啜りながらそんなことを考えるのであった。
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