あんこう
3/2(土)
天気:晴れ、寒い
昨日法事があったのだが、そのあとの御斎(食事会)であんこう鍋が出てきた。
実は僕、あんこう鍋を食べるのは昨日がはじめて。
茨城県民なのにね!
というのも、あんこうは茨城県の名産品として知られている。
あんこう鍋の発祥も茨城と言われているぐらいだ。
※ちなみに漁獲量は山口県下関市が1位らしい。
そんなあんこうだが、"捨てるところがない魚"としても有名である。
骨、顎、眼球以外は全部食べられるらしい。
食べられる部位をまとめて「あんこうの七つ道具」なんて呼ぶことも。
特に七つ道具のうちの1つ、「あん肝」なんかは
居酒屋の人気メニューと言っても過言ではないだろう。
僕もあん肝大好きだから、回転寿司ではいつも必ず注文してる。
柔らかい食感とあん肝特有の甘みがクセになって、最高なんだよねえ!
でも「食べる上で捨てるところがない」っていう、あくまで捕食者視点での高評価を受けて
あんこうは一体どんな気持ちなんだろう。
結局食べられてしまうという運命をそもそも受け入れてて
「僕、消費者に褒められてる!」と喜んでるのかな?
はたまた、食べられることには変わりないから
捕食者に対してただただ憎悪してるのかな?
もし僕があんこうだったら、絶対に後者。
まず自分が捕食される側の立場に立っていることが納得できないわ。
食べ物としての評価を下されていることに不服を申し立て、喜ぶどころか怒るだろう。
「捨てるところがないから素晴らしい?ふざけんな!そもそも食うな!」
あーでもこれって、日頃から捕食者である人間として生きているからこその感覚なのかなあ。
常に食べる側だからこそ、食べられる側の立場が理解できないし、なりたくないという
いわば捕食者、人間のエゴみたいな。
とどのつまり、僕にはあんこうの本心なんてわからないってことだよな。
え、僕の本心?
あんこう鍋、うめえ!!
僕はつくづく、捕食者だわな。