1/1000000〜骨肉腫と戦う息子〜 「クラブのセレクション」
2023年の2月に骨肉腫の診断を受けた12歳の息子の想いのために書き記しています。
意識の変化
サッカーに対しての意識の変化が訪れたのは5年生の時の県外遠征でした。
5〜6年生のみチームは人数不足もあって、息子も帯同させてもらったのです。
その日は猛暑で、スタメンの子も1試合でバテバテ。
さらに怪我も重なって、息子に出場機会がいつもより多く与えられました。
そこで覚えた「サイドに開く」ということ。
サッカー経験者なら、この言葉にピンとくるのではないでしょうか。
「サイドに開きなさい」と指示され、息子はひたすらそれを行いました。
するといつもよりボールが来る回数が激増したのです。
たったそれだけの事で、いつもより違った景色が見えた息子は
それ以降、試合の度に繰り返しました。
「ボールが来るけど、その後が繋げられない」と自ら反省し、
少年団の練習以外に自主練を週4回行うことにしたのです。
レギュラーとして定着
自主練の効果は絶大で、3ヶ月も経つと技術も運動量も驚くほど上がりました。そうなってくると、サッカーが比べ物にならないほど楽しくなり、
いつしか、ゲームよりもサッカーに費やす時間が増えていきました。
6年生になり、新チームが発足されると、身長も大きく伸びた息子はスタメンに抜擢されることになります。その時点ではポジションはまだ定まっていなかったのですが、ある大会で、相手の上手いFWを抑えるために、やったことのない対面するDFをやることに。
技術は劣るも、向上した運動量で見事に抑えることが出来た息子は自信が芽生え、それ以降はDFとしてポジションを確立。
益々サッカーが好きになり、中学ではサッカーを辞めるといっていた1年前の面影はなく、むしろレベルの高いところでサッカーをやりたいと思うようになったのです。
クラブのセレクション
本人の希望としては、中学部活ではなく、より専門的にサッカーが出来る環境でやりたいと。しかし、クラブチームともなると、ただお金を払えば行けるものではありません。
少年団はこちらが選んで入れますが、クラブチームは選ばれないと入れないからです。地元である埼玉には多くのクラブチームが存在しますが、通うことを考えると、家から通える範囲を探さないといけないのです。
自転車でなんとか通えるクラブを探すと、その数は限りなく少なくなり、息子とも話し合った結果、2クラブに絞り、まだまだサッカーレベルが低いとわかっていた息子は、さらに練習を重ね、来たるべきセレクションの日に備えました。
どちらのクラブも敷居が高いことは息子自身もわかっていましたが、「挑戦しないで後悔するよりも、まずは挑戦してみたい」という、我が子ながら素晴らしい考えを持っているなとその時感心したのを覚えています。
そして迎えたセレクション当日。何日か分けて行われる武南のセレクションには多くの選手が集まりました。その日だけで50人ほどだったので、合計すると300人ぐらいでしょうか。その中から30人ほどが合格するわけですから、その倍率は…。
やはり有名クラブなだけに上手い選手が多く、緊張も相まってあまりアピールは出来ませんでした。感想を聞くと、落ち込んでいるかと思いきや「上手くなったつもりだったけど、全然ダメだった。もっと練習する」と、前向きに捉えていたのです。
本当に自分の子か?と思うくらいよく出来た子です。それから、さらに家の中でもボールタッチの練習やミニハードルなどを使って、練習を重ねました。
そして2つ目のクラブのセレクションの日がやってきます。