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2.「庄内(しょうない)」って何ですか?

地元の人が当たり前によく使うのが「庄内」という単語。よその人からすると、けっこう謎のワードです。

「庄内(しょうない)」は、山形県の地方の名前です。
鶴岡市と酒田市、三川町、庄内町、遊佐町の2市3町があるエリアを指します。

エリア内に「庄内町(しょうないまち)」という町があるため、「庄内」=「庄内町のこと」と混同する方がいますが、ご注意ください。大抵は庄内地方全体のことを指しています。
(庄内町のことを言いたい時は「庄内町」とか、平成の大合併の前の地名「余目(あまるめ)」や「立川(たちかわ)」と呼ぶことが多いようです)

江戸時代には「庄内藩」という一つの藩だったという歴史的な背景と、
四方が山と日本海に囲まれている箱庭のような地理的要因から、このエリアならではの文化も数多く存在しています。
これらは山形県全体から見ると異質な部分があることから、「庄内のスタンダードは山形のスタンダードではない」などと言われることも多いです。

ちなみに、庄内のことを「荘内」と書くときもあります。「荘」の字を「しょう」と読みます。

これについて、地元の日刊紙「荘内日報」が詳しい記述を載せています。(以下、引用です)

”「庄内地方とは、『庄内』が本当か、『荘内』が本当か」、「荘内は『そうない』で、『しょうない』とは読まないのでは」などの問い合わせが、本社に月2、3回は必ず寄せられる。その都度、郷土史研究家・堀司朗さんが昭和60年発行の『柊』(本の会)に発表したエッセイ「≪荘・庄≫内談義」をコピーして送ることにしている。

それによると、庄内という地名が通用するようになったのは、荘園の1つ大泉荘の地頭に任命された武藤氏の天正年間とみられ、庄内の地名の初見は天正10(1582)年。庄内藩士・小寺信正が享保年代(1715〜1724年)にまとめた『荘内物語』にある「庄内は大泉荘の内たることに由来する」のが、一応定説としている。

古文書に書かれているのは、圧倒的に「庄」が多く、「荘」はわずかに見られる程度、という。書名(外題)には荘内を使っても本文には庄内を使うケースもあった。堀さんは、最近の例では、庄内地方・庄内平野のように汎地域名を表す場合は庄が使われているが、団体や企業名では荘がかなり多く使われている。荘内神社、荘内病院、荘内銀行、荘内日報社などがそれである。

NTTの五十音別電話番号簿で拾うと、酒田市で庄内を頭にしている団体・企業・役所は約90。中に庄内支庁建設部、庄内経済連、庄内空港、庄内みどり農協など。荘内は約50。その中で代表番号を持つのは、庄内が約30、荘内が約25。一方、鶴岡市での庄内は約80。中に庄内交通、庄内医療生協など。荘内が約50。その中で代表番号を持つのが、庄内は約40、荘内が約20。

「荘」を「そう」と読むのは漢字本来の読み方の漢音。「しょう」は呉音だが一般に使い、荘園は「しょうえん」が正しい。荘内を「そうない」としか読まないとするのは誤り。”

庄内藩の歴史や文化について詳しく知りたい方は、ぜひ鶴岡市の致道博物館を訪れてみてください。「ぜんまいの産毛を織った着物」や「飾りバンドリ」といった、すごい手仕事ものが見れるスポットでもあります。

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