手紙と文学
『手紙と文学』。
読書家の中には、作品と同じく作家の書簡もお好きだという方が多くいらっしゃると思います。
数年前、女4人(母と祖母と母の妹と)で鎌倉旅行をし、
鎌倉文学館に行きました。
そして《愛とブンガク》という企画展を鑑賞。
『手紙』に開眼したきっかけの展覧会でもあります。
手紙とは別に興味深かったのは
「恋愛」という言葉が近世まで存在していなかったこと、について。
元々「愛」という言葉は
江戸時代までは「親が子を慈しむ意味」または「一つのことに執着する」マイナスの意味で使われることが多く、今でいう愛の意味は含まれていなかったそう。
その頃愛に相当する言葉は「恋」。
時代が明治に移り、西洋から様々な思想や文化が輸入される中で
英語の「love」やフランス語の「amour」の訳語として「愛」に新しい意味が加わり、新たな言葉として「恋愛」というそれまで日本に無かった2文字が当てられるようになったそうです。
日本初の近代国語辞典の初版は1889年、明治22年の『言海』大槻 文彦 著と言われており、標準的辞書として長く使われていたとのことですが、
この辞書には「れん」の次が「れんい」で、「れんあい」はやはりありませんでした。
ただ、この頃言葉としてすでに「恋愛」は使用されていたのですが、辞書には採用されなかった、ということだそう。
日本ではあまり一般的ではなかった“男女がそれぞれ相手を自由に選ぶ”という西洋の愛の形は、すぐに文学に取り入れられました。→「舞姫/森鴎外」「蒲団/田山 花袋」などなど
新しい「愛」と「恋愛」はそうして徐々に広まり、流行語のような形で辞典に載るのは大正末から昭和初期のことだと、この展覧会で学びました。
その頃の若者に大反響だったという、詩人で評論家の北村透谷の『厭世詩家と女性』をいつか読んでみたい、と思いつつまだ読めていないのですが、なんと青空文庫にありました。
今を逃すとまた流れそうなので読みます。
森鴎外の筆跡は美しかったな
北原白秋は丸みのある大胆な文字。
夏目漱石は、可愛らしい。
字にも手紙にも、その人らしさは現れるし
どれも違ってみんないい。
この世には沢山の文学があるように、
誰もがそれぞれに物語を持っている。もちろんそれはなにも文豪だけではなく、私たちも。
残された手紙を見て感じ入りました。
例えば、意味のない手紙をあなたは書いて送ったことがありますか?
なんとなく送ることの楽しさ、
なんとなく送ってくれたんだな、と受け取るそれは、まるで野に咲く一輪の花。
また、送らせてください。
それでは今日はこの辺で。
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