勤務284日目 長期無職ひきこもりについて考える

ぼくは10年無職でした。

ひきこもりなのかどうかというと、自分ではひきこもりのつもりなのですが、本物のひきこもりの方がぼくの生活を知ると「お前は人の心の苦しみを知らない。えらそうに語るな」と言われるでしょう。

トイレはペットシーツではないですし、食事は台所へ移動して食べていましたし、家族に暴力を働いたことはないですし、夜中に奇声をあげたことはないですし、ある程度汚くなったら適当に掃除していましたし、夜は最低でも1時に寝て、朝は最低でも10時までに起きていました。

学生時代は人気キャラで通り、友達は平均より多い方で、無職になってから数年は、まだ友達づきあいがありました。

しかし。金の切れ目が縁の切れ目。働いていない人間に人付き合いする資格がないらしく、友人方のイベントに参加できなくなっていって、とうとう誰とも会わなくなりました。

おそらく今、無職で引きこもりが5年くらい続いている人は、同じく友達0人でしょう。

それでも一緒にいてくれる友人などがいたら、それはかなりすばらしいことです。

10年無職から郵便屋になって1年経ったわけですが、ぼくはいまでも自分を無職だと思っています。無職の上になにかくっついた感じです。

時間になったら行く場所へ行き、なんか知らんけど赤カブで爆走し、時間になったら帰ってくる、という具合。

そんなぼくが、えらそうに、いま無職でお悩みの方々へ、思うことを言いたい。

働かずにすごせるなら、働く必要なんかないです。まだあと1年無職でいましょう。周りがどうこう言おうが気にする必要ありません。

1年後、まだ無職でいられるなら、あと1年無職でいましょう。

ずっと無職でも、働く必要がないなら、ずっと働く必要なんてないです。

無責任なことを言っていますが、無職ひきこもりが社会問題になっているのは、日本の学校教育などの社会システムの欠陥のせいだと考えていますので、あなたが無職でひきこもりでも、あなたに責任はないはず。むしろ、さぞ辛い気持ちで日々部屋にいらっしゃることでしょう。

ただ、責任はなくとも、どうしても金を稼ぐ必要が出てくる人もいます。
あるいは「もうさすがに社会の扉をノックしたいけど怖いよぉふえぇん」と泣いている方もいるはず。

どうせみなさん死に至るのですから、なんもする必要ないのですが、でも生まれてきた以上、なんかこう、なんかしたいものですよね、なんか。

働くことは、まったくもってちょっともたいしたことないです

10年無職だったぼくは働いている人たちがそれだけですごい人たちだと思っていたのですが、彼らも、彼女らも、「働いている皮」を被っているだけです。

タチの悪いことに、その皮を被っていることで「人として上位だ」みたいに勘違いをされる方もいる。あるいはストレスがそう思わせるのかも。

「働いている人が人として上位だ」とあなたが考えるのも大きな勘違いです。

この国で、本当の意味で働いている人間は少数ですよ。


とりあえず皮をかぶりたいだけなら、ぜひ物流がおすすめ。

この仕事のいいところは、適度に人と関わり、適度に自由を感じる時間を持てて、特に技術が必要でもなく、それなのに人から感謝されるところです。

荷物を待つ人たちはこの先もずっといると思いますし、仕事は増えていくはず。
この仕事で結婚して家庭をもっている人は多いです。

当初は介護か郵便局かで悩んだぼくだったのですが、いまでは郵便屋でよかったと思っています。

というか、長年の無職には、ちょうどいい仕事ですよ。人手が足りない仕事なので、はっきり長期無職だったと言っても働く気があるなら採用してもらえます。
介護よりも採用してもらえるのでは。

労働者の皮をかぶってから、なんかしたいことを探せるのがベストです。

無職でも「なんかしたいこと」は探せますが、やはり安定したお金がないと、自分に投資しづらい。

ぼくはもう少しお金を貯めて、それから、本当の意味で働ける道――自分の仕事を見つけたい。

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