俳句のいさらゐ ◈✇◈ 松尾芭蕉『奥の細道』その二十六。「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」
「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」をもって、『奥の細道』は閉じられる。先ずはこの俳句の技巧を見ておこう。
「蛤のふたみにわかれ」にいう蓋と実は、次の意味で掛詞となっている。
◙ 『奥の細道』には、この俳句の前文に「駒にたすけられて大垣の庄に入ば、曾良も伊勢より来り合、越人も馬をとばせて、如行が家に入集る ( 中略 ) 旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、又舟にのりて 」とあって、大垣に集まった門人とも、すぐに彼我、二つの身となって別れてゆくことだ、言っている。
◙ 伊勢の遷宮おがまんと、とあることから、伊勢二見ヶ浦のふたみを暗示している。
門人たちとの別離に当たってのこの俳句の意味はわかる。ただ、大垣の地とは関係のない蛤がなぜ出て来るのか、その意図を別の視点から考えたとき、雛まつりを自然に思い起こす。
その理由として俳句の中の蛤のふた、に注目する。この言葉から容易に想像できるのは、「貝合わせ」という伝統的な遊びであろう。
老舗人形店の「真多呂人形のコラム」というブログを借りれば、蛤と雛まつりのかかわりについて、適切にこう記述されている。
ゆえに私はこの俳句が、最初の俳句「草の戸も住替る代ぞひなの家」とつながっていると解釈している。
「草の戸も住替る代ぞひなの家」は、雛段を飾って祝うような家族寄り添って住む家を表しているのだから、雛まつりという事象を置けば、ふたつの俳句は結びついていることになる。
『奥の細道』は初めと最後に、イメージの核に、雛を置いているのである。
さらにこの見方を深めてゆくと、雛まつりだけでなく、『奥の細道』は、人生の節目の行事を題材にしながら、ゆく先々の風物に託して、象徴的に、人生の深まりを追うように表現している一面があると思う。
『奥の細道』の俳句順に例を挙げよう。
◉ 卯の花をかざしに関の晴着かな 曽良
花を挿頭しにする行為や晴れ着の連想から、七五三のような、こどもの
慶事を思う。
◉ 笈も太刀も五月にかざれ紙幟
男子成長を念願する端午の節句である。
◉ 語られぬ湯殿にぬらす袂かな
湯殿山は「恋の山」とも言われ、男女の密事を思わせている。青春のと
き。
◉ 波こえぬ契ありてやみさごの巣 曽良
相慕う者同士の変わらぬ愛、夫婦の堅固な仲を言っていて、婚姻の祝辞
の趣や、心機充溢のゆるぎなさを見つめる視点がある。朱夏のとき。
◉ 文月や六日も常の夜には似ず
七夕の前夜である七月六日のそわそわした雰囲気を詠んでいて、つまり
は牽牛淑女の甘美でやるせない思いに心をはせる ― 白秋のとき。
◉ 荒海や佐渡によこたふ天河
天の川だから、上の俳句に重なり七夕を連想させる。
◉ 山中や菊は手折らぬ湯の匂ひ
菊の意味するところ、長寿を祝う重陽の節句 ( 菊湯、菊酒、菊
枕など )が、ある。人生が老境に差しかかりゆく時代。玄冬のとき。
上に述べた構成原理の上に、「草の戸も住替る代ぞひなの家」「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」はある。
俳諧という遊びの、脱俗の場所でもある書斎としての役割を持っていた自分の庵に、雛まつりをするほどのこどものいる、俗世間を象徴するような家族が住み替わったことを見つめる目を、『奥の細道』の首途 ( かどで ) にあたりまず示して、以後、文芸的幻想と古趣探索と感傷の中に遊弋を続けた旅がここで円環し、季節の巡りは、まだ一年を刻んではいないけれど、ひとつのピリオドを打ったことを、蛤のふた=雛まつりの連想で示したのである。
そして、旅を終えまたそれぞれ違う時間空間の中へ戻ってゆくけれど、旅の相棒であった曽良と私は同じ俳句観、同じ句境を得たのだという謝辞ともなる感懐を、「貝合わせ」の遊びに使う一組の蛤のふたのように、その内側には、まったく同じ絵が描かれている、という暗示により表現したのものでもある。
令和6年7月 瀬戸風 凪
setokaze nagi