ワタクシ流☆絵解き館その116 巨匠が選んだ風景。―画家たちがやって来る場所②
中根寛(1925年 - 2018年)は、写実を極めた画家。東京芸大の教授も務めた。大作を手掛け、外国の風景画で知られるが、二十数年にわたり、尾道を中心に瀬戸内海風景を好んで描いている。その中の一点である。
大画家中根寛が描いたことで、この場所からの眺望は、格が何枚も上がり、海を描く画家たちの聖地になったと言える。
同場所の風景写真を下に掲げる。
秦森康屯・はたもりこうとん(1923年―1994年)は、独立美術協会で活躍。大づかみの筆触で描いた瀬戸内の風景画を多く制作した。描かれているのは、中根寛「瀬戸内の春」と同じ島。洋上からの眺め。
南薫造(1883年― 1950年)は、文展、帝展、新文展、日展と明治から昭和にかけて官展の中心で活躍した画家。人物、静物、自然風景、生活風景などさまざまな題材をこなしたが、晩年は故郷にあって、広島県の瀬戸内風景を描き続けた。
絶筆となったこの作品の風景は、現在もほとんど変わることなく、その眺めが保たれている。描かれているタンカーは、当時は木造船だった。果実は八朔であろう。
中根寛の「瀬戸内の春」は、南薫造の描いたこの島の、隣の島の眺望を描いている。日本洋画壇の巨匠南薫造の絶筆であるがゆえに、中根寛の絵とともに、この町からの海と島の眺めを画家の聖地であらしめている。
絶筆「瀬戸内」と同じ島を描いている。島のまだら模様は、大正から昭和30年代まで続いた、除虫菊栽培のための畑として開墾されているせいである。秋口の台風一過の情景だろうか。海が土砂で濁れている。南薫造の心酔した眺めである。
絵の手前部分の、平らな部分のある島は、南薫造 絶筆「瀬戸内」で描かれているまだら模様の島である。高度経済成長期に削られている。
真ん中にある小さな島は、新藤兼人監督の名作映画「裸の島」の舞台になった宿祢島で現在は無人島。絵の上部に描かれた橋は、しまなみ海道の一橋をなす因島大橋。
この記事のタイトルに反して、やって来て描いたとは言えない絵だろう。しかし、旅をした者からの聞き取りの上に出来ているだろうと考えられる。
グーグルアースかドローンで眺めるしか、この眺望を得る方法はない。
この記事は、ワタクシ流☆絵解き館その66 島々が映し出す美に惹かれ、画家たちがやって来る場所 の続編です。
令和4年3月 瀬戸風 凪