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ワタクシ流☆絵解き館その199 一流画家たちのアルバイト画業を見る③👉岡鹿之助編

さまざまなブログで岡鹿之助が取り上げられている。人気の高い画家だ。noteでは、久恒啓一さんの記事「名言との対話 岡鹿之助 日本油絵の樹立」での紹介が熱い。 
岡鹿之助.1898(明治31年)~1978(昭和43年) 79歳で没。東京美術学校西洋画科岡田三郎助教室。渡仏し、パリに住む。藤田嗣治の指導を受ける。帰国後、春陽会会員、のちに日本芸術院会員、文化勲章。エリート画家だったと言えるだろう。代表作に「遊蝶花」「雪の発電所」「群落(A)」など。
そんなエリート画家でも、壮年の頃まで見られる挿絵仕事を拾ってみた。

■ 建物

岡鹿之助の本領と言える分野が、建物のある風景画だ。挿絵の方も建物を描くと、細部までゆるがせにしないという気持ちが入っている感じを受ける。

岡鹿之助 挿絵「ランの禮拜堂」 1947年 昭森社 「ランボオ抄」より

タブローの方で探すと、上の挿絵は、下に掲げた絵「聖堂」と同じ建物だろう。挿絵は、タブローの制作年から8年経過しているから、手持ちのスケッチから絵を起こしたか、タブローを描き写したかだと思う。 

岡鹿之助 「聖堂」油彩 1939年 美術出版社 1964年「岡鹿之助」より
岡鹿之助 扉絵 1946年 目黒書店 雑誌「人間/第1巻第4号」より

上の挿絵は2点とも、サインは「oka」と入っている。タブローの方は、「OKA」である。何種類かのサインの入れ方がある。以下の絵でそれも見てゆこう。

■ 動物

画家の名前にちなむ鹿を描いているのは、多分にご愛敬といったところ。

岡鹿之助 扉絵「鹿」1948年 創美書院「創美/第4巻」より
岡鹿之助 扉絵 1948年 目黒書店 雑誌「人間/第3巻第2号」より
岡鹿之助 挿絵 1946年 目黒書店 雑誌「人間/第1巻第2号」より

上の鳥の絵2点は、画調を変えているが、サインは2点とも右隅に同じく「しか」とある。鹿の絵も、三羽並んだ鳥の絵も、岡鹿之助のタブローを知っている眼から見ると、岡鹿之助が描いたとは気づけない。

岡鹿之助 挿絵 1949年 改造社「改造文芸/第1巻第2号」より

■ 虫・小さな生き物

岡鹿之助 目次挿絵 1941年 改造社「改造/第9巻第5号」より

上の昆虫の挿絵や、下の葉っぱと虫の挿絵を見ると、正直なところ、挿絵を描く天分は、豊かだったとは言えないと思う。
それでも、掲載雑誌「改造」にしても「人間」にしても、当時の一流誌だ。編集者は品性を求めていただろう。それに適う絵描きとみなされていたわけだ。

岡鹿之助 挿絵 1949年 改造社「改造文芸/第4号」より
岡鹿之助 挿絵 1949年 改造社「改造文芸/第4号」より

サインは「oka」と入っている。

■ 植物

岡鹿之助 挿絵 1943年 改造社「改造/第11巻第3号」より

上の絵は、下の隅、鳥の尾羽のところに〇囲いで「鹿」となっているのがサインのようだ。使い分けの意味はわからない。絵のカテゴリーで分けているようでもない。

岡鹿之助 挿絵 1946年 目黒書店 雑誌「人間/第1巻第2号」より

サインは右端の茎のところに「しか」と入っている。

岡鹿之助 挿絵 1949年 改造社「改造文芸/第1巻第4号」より
岡鹿之助 挿絵 1951年 六興出版社 「小説公園/第2巻第3号」より

上の絵のサインは絵の左下、葉っぱの先に「S、O」と入っている。

岡鹿之助 挿絵 1951年 十五日会 「文学者第11号」より

上の挿絵は、上記の雑誌の別の号でも使われている。編集費の節約だろうか。

岡鹿之助 挿絵「熱に病む花」 1948年 鎌倉文庫 「婦人文庫/第3巻第8号」より
岡鹿之助 挿絵 1949年 改造社「改造文芸/第1巻第5号」より

■ 人物

人物の横顔、おとぎ話の人物風のスケッチともに、岡鹿之助にはたいへん珍しい。こういう絵を見ると、今回調べ当たっていないが、児童雑誌の挿絵の仕事もしているかもしれないと思わせる。
一枚目の横顔の絵は、サインは「sika」となっている。

岡鹿之助 挿絵 1951年 六興出版社 「小説公園/第2巻第11号」より
岡鹿之助 目次挿絵 1949年 日本演劇社 雑誌「日本演劇/第4巻第9号」より
角川書店「現代日本美術全集第8巻」より

総じて言えるのは、他の追随を許さない深みのある画面を生み出す岡鹿之助にして、やはり挿絵はアルバイト仕事の域は出ていない、というのが率直な感想だ。
点描の筆を繰り返し重ね、描く対象の質感を超えて、ものがポエジーの空気感をまとうまで筆を止めない描画スタイル、それが岡鹿之助の本道であったということだろう。
                    令和4年11月  瀬戸風  凪


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