イジメや虐待 VS あなたとミーム(私たち)4の1
今現在、「イジメや虐待」について、心を痛めている人達へ!
今まで「イジメや虐待」に加担していた人も含めて、実は、自分を本気で変えたいと思っている人達へ!
あなたがこれから出会うであろう次世代のリーダー達に送るメッセージとして!
「大丈夫!」
「絶対に、私達があなたを守るから!」
「絶対に、あなたの周りにも、あなたのことを守ってくれる人がいるから、一緒に探そう!」
「だから、心配しないでいいよ!」
温くて力強い言葉と、勇気ある行動が、たくさんの「命と心」を守ることができます。
本日は、「イジメと虐待」についてと、それを回避する方法を「ミーム」の視点から述べてみたいと思います。
非常に長くなりますので、「4の1」~「4の4」「MEME49」という形で5回に分けてお話しさせていただきます。
それから、最終「MEME49」のみが有料になっています。
「早い時期(幼少)から身に着けておくべきリーダーシップ」、格差社会を無くすための「POSSVIのこれからの事業計画」についてのことも、少々を書いていますので、もし、よろしければ、御購読(300円)よろしくお願いいたします。
今回も、非常に重たい内容になりますが、不精でも、丁寧に且つ、真剣に書いていきたいと思います。
いつも、貴重な御時間を有難うございます。
非常に長い文になっておりますので、御時間のある時にでも、暇つぶしにしていただけたらと思います。
よろしくお願いいたします。
☆☆4の1☆☆
「イジメと虐待」の違いって何でしょうか?
実は、それぞれの「被害者に対する加害者の立場」によるものということだけだそうです。
ですから、「虐待」とは、主に「血縁者」や「生活の中で被害者から近い存在」から受ける「肉体的、精神的暴力」ということになります。
一方、「イジメ」とは、それ以外の「他人」から受ける「肉体的、精神的暴力」ということになるため、行為自体は、「虐待」と全く同じということになります。
そうなると、ふと、頭をよぎったことがありました。
それでは、「拷問」や「迫害」とは、どう違うのでしょうか?
実は、「拷問」は、「戦争時の国家間」や「刑務所での刑務官と受刑者間」などに発生する「虐待」のことを言い、「迫害」とは、「民族や人種間」に発生する「虐待」を意味します。
つまり、学校や職場の「イジメ」や、肉親からの「虐待」とは、程度の違いさえ有れども、たまたま加害者としての視点が少し違うだけで、やっていることは、戦争時の「拷問」や民族間の「迫害」と変わらないことになります。
本来は、この「イジメと虐待」については、それぞれ別の機会に取り上げるつもりだったのですが、実は、この様に、両方とも同じ精神的、肉体的暴力に関係しており、その上、「イジメと虐待」が無くならない原因とされる「ボトルネック」にも共通する部分が多く見られるために、ここで一緒に取り上げて、考えていきたいと思います。
ちなみに、ここでの「ボトルネック」とは、「加害者側の勝手な、精神的解放感への欲求」ということです。
「加害者側の勝手な、精神的解放感への欲求」とは、自分の今の社会や生活の中で、多くの困難を生き抜くのに必要な、強い自信や深い意識が無く、「常に何かに寄生しなければ生きてゆけない事実」を忘れ去りたいという極めて身勝手な衝動のことで、当然、この場合は、「ミーム」も「SWM」も存在せず、尚且つ、自身とのコミュニケーションである「時間と空間」の価値も存在しないことを認めるということにもなります。
ここで言う「ミーム」とは、希望や自信の源になる極めて個人的にも大切なものであり、「SWM」になり得る唯一のものであります。
「SWM」とは、世の中や社会に役立ち、あなたの生きている証明や、社会に対するあなたの存在価値にさえなりえるあなたの「大きな武器」のことをいいます。
そして、「ミーム」の「時間と空間」とは、あなたと一緒にいるだけで「価値や幸福感」を感じることができるような、同じ場所で同じ時間を「共有・共感」する上での非常に大切なコミュニケーションになります。
「あなたと一緒にいたい」と心から思ってくれる人がどれくらいいると思いますか?
逆に、あなたが心の底から「誰かの為に生きたい(頑張りたい)」と思ったことがあるのでしょうか?
この質問に胸を張って答えられない人は、「加害者側の勝手な精神的解放感への欲求」に依存しやすくなるということとだと思います。
「ボトルネック」の説明をすると長くなりますが、今ここで一言でいうと、定義上、問題解決をする上での障害となるモノのことですが、普通の障害なるモノと違うところは、「ボトルネック」は常に「移動する」ということです。
元々「ザ・ゴール」の著作者、「エリアフ・ゴールドラット博士」の提唱しているTOC(制約理論)のことで、ここでは、全体に影響するレベルの問題要因で、最も問題の根本になるとされる個所のことを意味します。
その上、目の前にある問題を解決するだけでは根本的な解決に至らず、時には解決しているかのように装う加害者側や責任者からの事実の隠蔽が起こりえるのも、この「ボトルネック」の特徴です。
あちらこちらで、タケノコのように生えてくるこの「加害者側の勝手な精神的解放感への欲求」を止めるためには、次の新しい「ボトルネック」の候補も事前に見つけて、対処することが必要になります。
そういう意味から考えると、「イジメや虐待」はもちろんのこと、企業の不正、交通違反からパートナーの浮気なども、この「ボトルネック」が、多くの原因になっていると言えるかもしれません。
そして、恐ろしいことに、仮に99%の「ボトルネック」の改善をしたとしても、少し気を許すだけで、いつでも同じような「イジメや虐待」が起こりうる状態に戻るということです。
その上、「イジメや虐待」が絡んだ事故においても、「ハインリッヒの法則」(実際の大きな事故の前には、たまたまその時には表に出ない小さな事故がたくさんある)から考えても、実際は、「イジメや虐待」については、偶然に起きる事故や事件などということはほとんどなく、たまたま表に出ていないだけの、日頃からの陰湿で極めて「悪質な行為」が根底にあふれているということも予想できると思います。
ですから、被害者が度重なる「イジメや虐待」に我慢できなくなり、事件や事故が表に出てくるということは、被害者にとっても、即、命に関わるということを意味するのです。
正に、「イジメや虐待」とは、「悪い影響」を与える「破滅的ミーム」と言えるのかもしれません。
ですから、前もって、その「イジメや虐待」の「兆候」をいち早く見つけ、適切な判断と対処をし続けないといけないということになります。
その「兆候」が、「命の叫び」である「声にならない声」ということになります。
ですから、この「声にならない声」をいち早く見つける方法を考えていきたいと思います。
そして、その「声にならない声」をいち早く発見して、尚且つ、「救うことができる人」にどれだけ早く出会えるかということも非常に重要なことになります。
探し物は、最初からあると思いながら探す場合と、何も考えずに探す場合とでは、見つける確率は全く変わってきますし、探す人によっても全く違う結果になるのは言うまでもありません。
ただ、彼らの接点をもたらす機会や方法をできるだけ増やしていくことで、「声にならない声」と「救うことができる人」の出会える場を見つけやすくはできると思います。
先日、町田そのこさんの著作「52ヘルツのクジラたち」が、本屋大賞に選ばれたというニュースが流れてきました。
52ヘルツのクジラとは、他のクジラが聞き取れない高い周波数で鳴く、世界で一頭だけのクジラのこと?で、本当は、たくさんの仲間がいるはずなのに、何にも届かない、何処のも届けられないという意味のようです。
その為に、世界で一番孤独だと言われていてるらしいのですが、作中では、自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴湖と、母に虐待され「ムシ」と呼ばれていた少年の孤独ゆえに愛を欲し、裏切られて続けてきた、彼らが出会う新たな魂とその接点の物語という内容になります。
私たちの周りでも、学校や職場でのイジメを苦に自らの命を断ったり、本来は、温かい「安定した衣食住」を元にした、安全と安心で包まれるはずの家庭の中で、無残にも「尊い命」を落とすことになった「イジメや虐待」の事件が、メディアに取り上げられるたびに、胸がが引き裂かれる思いがします。
先日のニュースでも取り上げられた、旭川の14歳の少女の事件などは、「イジメ」をはるかに超えた「殺人事件」、「強姦事件」、社会や国家に見放された「拷問事件」というべきものではないでしょうか?
ですから、現在、発生している「イジメや虐待」をこのままほっておくことはできませんし、「ミーム」の観点から言えば、十分に問題解決の方法があると見ています。
それをこれから考えていきたいと思います。
本日は、少し短いのですがここまでになります。
明日、4の2を投稿します。
POSSVI PENE