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1人でいきたいといっても!


本日も、よろしくお願いします。

「誰にも影響を受けたくない。」


「今の自分を変えたくない。」


と言っても、人間には、完全に周りと繋がることから逃げることはできない。


なぜなら、仮に、自分自身が進化の影響を受けないように、人里離れたところで山籠もりをしたとしても、その間に変化した周りの社会や環境など、そんな時代のものから見れば、あなたは退化した存在になるのかもしれないからだ。


ここで言う退化とは、後ろ向きに進化するこという見方もできなくはないのであるが。


電車で行き過ぎる景色というわけだし、その間に、あなたの未来のミームと、直接対峙するかもしれない人のミームが、あなたの知らないところで、常にモリモリと「進化」し続けているということを想像してほしい。


「よそはよそ、うちはうち」という認識だけでは、実際のところ済まされないのは、コミュニティーの対象が大きくなればなるほど明らかだ。


1つの家庭での食卓で、エビフライを隣の席から拝借する行為が許されていても、大きな会食で、全く知らない隣りの席の人のエビフライを漁ることは、通常?ありえないこである。


仮にその電車で行き過ぎる景色を選んだとしても、その景色の中の一匹の羊でさえ、それなりの苦労が絶えることがない。


そのままの景色を保って生きていくためには、その景色の元になる環境を保護し続けなくてはいけないからだ。


社会との隔離を強いられたコロナの時期においても、誰かとつながりを持たないことで、不利益を被ることは、多くの人がリアルに体験したことである。


コンビニで食料を買うだけでも、実質、社会と関わっていることにも繋がり、仮にどれだけ自給自足を完璧にマネージメントできても、年に何度かは買い出しに行かなくてはいけない。


あなた自身が、完全隔離を楽しんでも、あなたのミームやあなたの家族が、いつも、同じように楽しんでいるとは限らない。


人間は、そのミーム(趣味、学校、仕事などの依存できるもの全て)と、一生旅をしながら、常に新天地を探し続けたり、新しいコミュニティーを作ることで、文化や文明を維持してきたのである。


有名な話であるが、スイスの「アルプスの少女ハイジ」や、ハイジの仲間たちを彩るアルプスの風景は、きれいな山、澄んだ空気、時折観光客を楽しませてくれるヤギ使いなどの人々の生活の営みでさえも、実は綿密に計画された「スイス」という国策であり、常にハイジに関しては、細部にまでマーケティングを計画して、マネージメントされているということだ。


当然、日本でのマーケティングについては、「アルプスの少女ハイジ」の生みの親、ヨハンナ・スプリと、当時の高畑勲さんをはじめとした、「カルピス漫画劇場」の製作スタッフ、そして、その中でキャラクターデザイナーとして、若き才能をフルに発揮していた宮崎駿さん達の功績も非常に大きかったということは言うまでもなく、今でも大きな影響を世界中に与え続けている、正に「アルプスの少女ハイジ」とは、「現代のミームの怪物」である。


実は、私も、ハイジのおじいさんが焼いたヤギのチーズをパンにのせて、ハイジに食べさせるシーンなどは、現在の私のチーズ好きに大きく影響を与えてくれている。


ただ、通常のマーケティングの、いわゆる広告宣伝費用は、顧客ロイヤリティーが高まれば、コストは確かに減少するが、その分、この様に高いレベルでの保護を目的とした環境や文化が、何らかの理由で破壊されたり、自然に朽ち果ててくる状況や、コンテンツの人気を高いクオリティーでマネージメントできる為には、時には、「ヤギの世話をするハイジ」だけではどうしようもなく、その為の環境整備、新しいインフラ、人材の教育などを考慮すると、やはり、全てにおいて、世界中から情報を仕入れて、改善を重ね、時には古いものを大切に保管するために最新の技術開発も必要ということになる。


古代エジプトの遺跡の発掘や絵画をはじめとした芸術作品の研究や修復も、現代の最新の科学を集結させる必要があり、そのための苦労は計り知れない。


例え、マーケティングに「コトラー」、マネージメントに「ドラッカー」を擁しても、それだけにとどまらない絶え間ない研究と、様々な経験と、それぞれを進化させながら、実行できるアルゴリズムと、それを認識することができる人材が必要であるということだ。


どれだけ立派な教科書であっても、その知識だけでは、文化も芸術も継続しえない。


その為に、「ミームマーケティング」における、実行プログラムの一つに、この「複製・適応・拡散」という「ミームの基本アルゴリズム」が存在するのである。


常に「複製・適応・拡散」のアルゴリズムを元にした行動と、新しい環境やそれぞれの個人に適した活動が必要であり、その上、その「進化自体を体感する」には、どう考えても教科書だけではどうすることもできない。



ちなみに、ここで言う「進化自体を体感する」人とは、時代を変えることができる人の特権であり、自分の「ミーム」を「SWM」として認識できて、それを形にできた人達のことだ。


この人達は、「アルプスの少女ハイジ」のような世界観を体験したい世界中の観光客の為に、自然を愛し、人と動物の触れ合いを感じることができるいわば、fantasyなブランドの塊を、時代が新しくなればなるほど、その空気感から離れる現代の我々に対して、そのようなfantasy がより恋しくなるように創造したり、工夫したり、時には、新しい娯楽に負けないように、魅力あるものに新たに挑戦して、マネージメントしようと使命感や責任感を、無意識に持っているある意味偏屈なオタクの集団だ。


自然は、自然のままで触らなくていいという考えは決して否定はしないが、その中には、必ず自然保護も環境保全も常に進化し続けていないければいけないということも認識しておくべきことである。


南米のキューバも、見方によれば、先進の医療に、手の届いた福祉やチェゲバラの神格化を元に、60年間の竜宮城状態が続き、人によれば、「今でも60年代のアメ車が走り、ノスタルジー感満載の、時代に関わらない多くの遺跡が息づく理想的な街だ」と言っている人を以前見かけたことがあったが、内情は、当時のソ連とベネゼーラの補助金を目当てにしないと継続できない、事実上の経済破綻した国家であったようだ。


文明や文化だけでなく、経済や安全保障を含めた社会や国家ですら、完全に手つかずでほっておくことで成り立たせようとすると、知らない間に、スフィンクスの鼻のように射的の的として破壊されるのが関の山であり、その周りで生活を含めた文化がサスティナビリティ―に継続するはずがないのである。


非常に優れた文化や文明の中には、必ず、それにふさわしい人々の生活があり、産業が生まれ、継続したコミュニティーの営みが、常に「進化」しながら存在するのである。


つまり、変わらないものを、変わらない形で守り続けることは、世の中の流れに沿って変わることよりも格段に難しいということになる。


その上、同時に社会や国家が安定して、経済や文化を繁栄させ続けるためには、「進化」を通して変わり続けることは避けられないということでもある。


当然、ここでの「進化」には、「成長」という意味も含む。


きれいごとだけで、社会やその中に息づくマーケットは存続することができない。


例え、それがエネルギーもである。


原発を完全に封印して、一切のタブーなものとして世界中からの共通したルールを作っても、安全で安心した原発の未来の可能性を模索している国は後を絶たないし、気付けば、それを元にアドバンテージを取られて、国力や国際的な発言力にまで影響が及ぶことすらある。


半導体などは、その典型的なものだ。


だからこそ、日本は、そのあたりを十分に認識をして、これからの国策を考えてもらいたいものだ。


社会や国家の運営とは、一人のプロパガンダやメシアが、魔法や祈りで何とかしてくれるものではない。


社会や国家が存続するためには、マーケットを通した経済成長と経済発展、環境保護などを含めた我々の社会生活のバランス、多国間における極めて厳しい交渉の中での様々なアドバンテージを取ることも必要で、その中で、屈強な世界の猛者相手に、様々な国際的な価値の優位性を持ち続けないといけない。


それなのに、社会や経済の成長や発展をさせることなしに、現状を維持しようなんてことは、全くあり得ないし、自惚れも甚だしい。


時には、規模を成長させたり、品質を発展させたりと必死になることで、実は、マーケットの現状を保ったままにできるギリギリのラインだということだ。


ディズニーの有名な言葉で、「現状維持は、その時点で退化を意味する。」というような言葉があるが、まさにそういうことである。

そして、日本国内でも、経済がコロナのような危機的な状況下で、財政出動を控えて、財政を健全化にしていくという、バブル崩壊後に我々の失われた30年をもう一度繰り返させようとしている今の政権にも、本当にがっかりしている。


成長や発展をしようという気持ちや、それに伴う行動が無くなれば、社会は急に退化が始まり、現状維持への意識が、どれ程危険なことで、簡単にマネージメントできることではないことを実感することになるであろう。


財政の健全化と経済成長を切り離していること自体、「ミーム」的思考から考えても、おかしな話である。


財政健全化は、経済発展をしている時にこそ、勇気を持って実行することだと思う。


ドンドン下り坂を転がり始めて、勢いが付くようになって、気付いた時には、誰も止めることもできずになっている雪だるまの状況を思い浮かべてみればいいだろう。



ただ、本当に恐ろしいのは、人口の減少でも、急激な環境破壊でも、経済不況でもない。


人類が、成長、発展を通して進化しようとしないことである。


又は、成長と発展を否定する社会が生まれてきているというか、他国のプロパガンダに上手く利用されているかのようなメディアも時より目に付く。???


人類が、成長の為に、自分の力で立ち上がろうとしない。


誰かが他人を徴収する社会や、楽して自分だけお金を儲けることしか考えていない社会に向かっていることに気付かない??

正に、努力や汗が、面倒くさく、汚く、スマートでないと毛嫌いする社会の風潮が、我々にとって本当の恐怖である。


当然ここでの汗は、脳にかく汗も含む。

正に今の日本のことである。


日本の30年前からの経済成長は、財政健全化の為の現状維持の戦略のおかげで、世界の経済成長に対して大幅に後れを取っているという話をよく聞く。


約30年前の世界的な時価総額ランキングのトップは、殆ど上位50社のうち30社が日本企業で占めていて、それが、今はトヨタの43位の1社しかいないという事実は、非常に有名で衝撃的な話であるが、実は本当に恐ろしい話は、11位だったトヨタが43位になっているといううことでなく、50社のうち1社だけということでもなく、こんなトヨタでさえ、実は、30年前よりも3倍以上の時価総額が成長しているということだ。


確かに、時価総額で全ての企業の価値が図られるというものでもないが、はっきり言って、言葉が見つからない。


時価総額とは、その企業の未来に対する、投資家を含めたマーケットの期待値でもあるのだ。


しかしながら、貿易摩擦から、プラザ合意、優秀な人材の流出、バブル崩壊を経た日本経済ではあるが、一部では彼らは密かにやれることもやってきているし、現在も戦い続けている。


確かに、日本は、30年前のバブル崩壊の前後において、非常にまずい国際社会での対応を求められたようであるが、それでも、何とかその時にできうる対処を取っていた人達もいた。


例えば、半導体の主要部分や必要な材料開発の部門を死守するなど。


そして、日本の経済発展の礎になっている、様々な科学技術に対しても、環境の整備、権利の保護、人材の確保も最近までは非常に脆弱なものであったが、徐々に復活している兆しも出てきている。


当然、その為に情報保護の整備も整いつつあるようだし、同じ轍は踏まない。


と思う。


その上、バブルの時のような世界中での日本人の失態を、多くの日本人も記憶している。


特許における情報の開示の免除も含めた、パテントの保護化も含めて、着実に進化しようとしている。


「少々、遅きに失した。」と言われる時もあるが、全くそんなことはない。


日本の技術者は、本当に素晴らしいし、我々も負けてはいられない。


本当に、もうそろそろ、今まで研いできた鷹の爪を出すときである。


今の親日国のウクライナに対しても、日本のできることは何でもしてあげて欲しい。


彼らの中には、日本の様な優秀な技術者が多い。


必死に進化しようとして、頑張っている極めて強い心を持った親日の友人たちの頑張りを、我々は応援したいし、日本も一緒に「進化」しなければいけない。


そして、ウクライナの未来に世界中からの「世界平和への祈り」という心強い「良い影響力」が、届くようにと願うばかりだ。


POSSVI 東野



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pene
今、日本の社会にある様々な歪を改善するための事業や活動をしています。具体的には、あらゆるクリエイターや基礎研究者の支援や起業家が生まれやすくなる社会システムの準備をしています。どうか御支援よろしくお願いいたします。