ぼくらのTHA BLUE HERB
ネットで、小賢しい言葉使わない。社会でも。
Xで「貴殿の…」っていう人の言うことは、信じるなと、昔、じいちゃんから聞いた気がする。
個人的に、日本語ラップを聴くうえで、「韻」の有無で良し悪しを考えることが、ナンセンスだし、韻の質について素人が考えることが野暮だと思うんです。てか、日本語ラップの楽しみ方が、違う気がする。
この世に存在しないほどに、あほな歌詞とか、聞いて笑いたくないですか。普通。まぁ人によるか。
音楽を聴くときに、「リリックは」、「フローは」、「トラックは」、「服装は」、「思想は」、・・・どうこう考えることがおかしいわけで、要は、好きか嫌いか、それだけなはずです。僕たちは、ラップスタアの審査員ではないし(なれないし)。
僕たちは、めっちゃ稚拙な理由で、日本語ラップを聴いてるはずです。
NITORO MICROHONE UNDERGROUNDを聴く理由なんて存在しないはずです。そうでしょう?
日本語ラップは、感じるモノ。考えんな。
いろんな声質のおじさんが、たくさんいて、黒いトラックのうえで、意味のないリリックを、ラップしていることで、高揚感が増すんです。
至極単純。直感的な産物すぎます。
カルチャーだの、文脈だの、韻だの、いう人は、音楽を聴くうえで、人生損してる。
もっと、本質的に、日本語ラップと向き合った方が(自分が)幸せになる。
でも、自分が思ったことを表現することは、憲法で許容されてますから、絶対的に意思表示することは、基本的に、絶賛指示されているものと思います。
うん。ぼくもめっちゃブログやSNSに書くし、「Watson」「サーヤ」の客演の文字列見ると、文句言うし。
CHARCOALが名盤すぎたがゆえに。。。
って!!!!!!!!!!!単純に、日本語ラップに触れていい領域と、ダメな領域があります!!!!!!!!!!!!
まじで、馬鹿じゃないんだから!!!!
みんな、20年以上、この世界で生きてきたら、他人の「宗教」と「野球」と「政治」の価値観に触れちゃダメなこと知ってるよね!??
コミュニケーションの基本よ。
まじで。
まあ、あまりにもありきたりなことを、今から言いますけど、
ぼくはTHA BLUE HERBの曲が突如始まったその瞬間から、終わるまでの…そうですね、6分くらいだったと思うんですけど…、もう幸福で幸福で…、「あまりに幸せ過ぎて、もう幸せ過ぎて死んじゃうんじゃないか」、「この曲がかかってる間なら、いつ死んだって全然構うもんか」と本気で思ってました。
あの…たった15歳のくせして、です。
THA BLUE HERBは、「信仰」。
簡単に触れちゃダメ、細心の注意が必要!
この話だけは、センシティブだし。危険すぎる。
THA BLUE HERBのライブは、一種の儀式だし。
怪しすぎる。
信者じゃなくても、わかる。
これは、…くさい。ライブに行ったことないし、曲も聞いてないし、歌詞も見ていない気がする。。。(違ったらごめんなさい)
儀式で、聖歌であり、経典なんです。
BOSSのリリックを部分的に理解することは不可能であり、意味がなくて、5~6分ある曲を丸々聞いて初めて意味があるんです。
つまり、韻を踏んでないところに、メッセージ性があるとか、…理論上、おかしくて、一曲を通して、完成されている音楽、いや、教典なんで。
ショート動画で切り抜くことに最も向いていない音楽です。
「THA BLUE HERBのリリックのどこどこが・・・」
あーーーーーこわい、おそろしい!!!おぞましい!!!
なんかコメントすること自体が、危険なんです。
仏さんに、「ここの念仏が・・・・・」っていうほど、頓珍漢なんです。
今は、若干、お年を召して、親しみやすくなったよ?
でもよ、簡単に話しかけていい人じゃあられないんです。
全部、賛成できないから、この話を纏められないから、別にまとめないのですが(この記事は、単純に、THA BLUE HERB「LOVE」っていう記事なんですが)。
みんなは、みんなの中に、それぞれ信仰があって。
その「信仰」にふさわしいことが明らかなラッパーについて、あれこれ言うのは、地雷の中、サッカーするようなもん。
ファーストアルバムが、みんなにとっての生きる指針であり、道標だとします(それは、事実だし!!!!!!)。
「STILLING,STILL DREAMING」
明らかに、ここから日本は、良くなったし。
ずーーーーーーっと、日本語ラップの礎として機能しています。
CDを、いれて、まず50秒、駅の音を感じて、
これって、今でいうASMRですよね!?!?!???
涙が止まりません。
BOSS THE MCと、O.N.Oが、ずっと僕を鼓舞し続け得ます。生きる原動力です。
音楽だけで、もう立てないほどに疲れたおじさんを、簡単に突き動かせるんですよ!!!!!!!!これは、日本語ラップが現代医療を簡単に超える証左なんです。
曲名が、ちゃんとした信仰であることを、示していますね。
朝礼がある会社はブラック企業確定かもしれませんが、朝から、BOSSIZM歌ってる上司は、確実に、代表取締役になる漢です。ついていった方がいいです。
この曲こそ、成人男性は、ソラで歌えるでしょ。
かっこいい日本語しか内臓されていません。
韻がどうの~~~~じゃないんですよ!!!(抜粋してる冒頭だけでもあんでしょ!!!!!!)チンパンジーの赤ちゃんに聞かせてもかっこよすぎて、首縦に振るでしょ。もはや言語の問題じゃないです。
暴力にも似た連続的に叩きつけられる力強い言葉を反芻しながら、リスナーは、自分の耳に届く言葉を味わいます。
アウトロで聴こえるくる、女性の「あ~~~~~~~~」と、スクラッチ音で、感涙です。全員、ここまで聞けよ。(次に控える「STOICIZM PRELUDE(NO TIME)NO TIME!?!?!?ってどう意味???」)
2枚組のCDの良さを教えてくれてありがとうございます。
1枚目の最後の曲。すごく語りかけてくる。これ、あれですよ、今でいう「催眠音声」ってやつですよね。
冷静に、口悪い前に、きついこと言いすぎ。そんな野蛮でギラギラした仏さまに、あれこれ言うの、怖すぎる。単純に、呪いとか天災を受けそうなほどに、覇気があります。
ってことは、やっぱり、TBHは、「韻踏んでない」とかいうのは、あり得ないというか、臭いというか、怪しいというか。。
今のBOSS THE MCは、優しいですから、私たちのために、
何年も前から、この論争や批評に対するアンサーは、曲の中で用意しています。
さらに、そんな曲は、無数にあります。
というか、そんな論争・批評の中、北の大地から来た、バッキバキの大男ですよ。
セカンドアルバム(「SELL OUR SOUL」)は、かなり重厚で、重々しいコンセプトで、最後の曲ですら、なかなか終わらない。聞き終わったときには、大学の授業二コマ終わった??っていうほどの疲労感です。
しかも、この授業は、首肯するしかできない、かなりの説得力付です。
英訳がすべて出そろった時点で、本当の勝負が、始まるだそうで。
ぼくは、日本語ラップが好きで、ただただ、単なる日本語ラップオタクですから、好きなことを、「好き」とだけ伝えることしかできませんが、TBHはやっぱり、別格です。
ライブでは、よそ見することなんてもっての外、息を吸うことも、ためらうほどに、緊張するんですわ。客の僕が。
もう「信仰」と言っていいほどに、好きだった(信じている)TBHの曲について、少し感性が違うレビューがあって、それが、目に留まったら、モヤモヤしちゃったよね!いろんな感覚・考え方があることは、仕方がない。
じゃぁ、お前も、批評して、、あのジブ批評は、、、、…
「あれは愛ですやん!!!!」
ポッシブルゆうや