弱聴の逃亡日記「純情派弱聴、降臨」

 2017年11月25日 旅3日目

 朝、目覚めると弱聴は天国にいた。
 やわらかい朝日の中にパタパタと天使が舞い、こちらに向かって「アハハハ」「ウフフフ」と微笑んでいた――というのは冗談だが、それくらい心地良い目覚めだった。

 昨日、死に物狂いでビジネスホテルにたどり着いた弱聴は奇跡的にも一室だけ残っていた空き部屋に泊まった。ホテルの近くに温泉施設があったので、そこでサウナや温泉にゆっくり2時間入って体の疲れを癒し、ビジネスホテルに戻ってベッドに横になると、翌朝、この爽快な目覚めである。
 全身がじんわりと温かく、手足もなめらかに動く。何より体が軽い!
 前夜の寒さに震えた公園ベンチの野宿とは雲泥の差だ。

 野宿を体験した後のこの快適な目覚めに感動した弱聴。起き上がりベッドの上に正座をすると両手を空に向かって突き伸ばし、叫んだ。
「屋内ってなんて素晴らしいの!」
 歩きすぎて頭がおかしくなってしまったのか、弱聴は屋内の存在に感動し、敬意を払っていた。

 この感動は屋内の存在だけでは留まらない。
「ベッド、ありがとう! 布団、ありがとう! 屋根と壁、あなたたちが雨風を凌いでくれたお陰よ。それから床も。みんな、ありがとう!」
 どうやら純情的弱聴が降臨してしまったらしい。
 バカみたいだけど、普段何気なく使っているもの、身近にあるもの、全てがとても愛おしく思えた。ごく普通のビジネスホテルに一泊しただけで、こんなにも幸福な気持ちになれるなんて! 前日の野宿がもたらした感情だった。

 ホテルを出て出発してからもなお純情派弱聴は健在だった。
「コンクリート、あなたのおかげでとっても歩きやすいわ。ありがとう! 歩くといえば靴にも感謝しなくっちゃ! それから服もそうね。裸じゃ歩けないもの。カバンも、あなたのおかげで荷物が楽に持ち歩けるわ。道路脇に生えた草も木も花も私を応援してくれているのね! みんな、ありがとう! ああ、世界はなんて素晴らしいの!」
 まるで些細なことも大げさに表現するおとぎ話のプリンセスさながらだ。
 数キロ歩いても純情派弱聴はなかなか降板しなかった。目に入るもの全てに「ありがとう」と言って選挙活動中のウグイス嬢みたいに手を振りたくなる。
 その一方で、頭の片隅にいる平常な弱聴はまさか自分に万物感謝の念が宿るなんて、と自分の豹変ぶりに戸惑っていた。

 そういえば、かなりヤバい修行をしたお坊さんがこんなことを言っていたなと、たまたま聴いていたラジオ番組にゲストとして出演していた慈眼寺の住職、塩沼亮潤さんの話を思い出した。
 塩沼亮潤さんは奈良県大峯山の48キロメートルの山道を1日16時間かけて千日間毎日歩き続ける大峯千日回峰行という修行を成し遂げた、マジでヤバい人だ。
「マジでヤバい」などと汚い言葉で表現してしまって申し訳ない。しかしこの修行の壮絶さと、この人の人柄や奥深さを表現する言葉がどうしても見つからないので敢えて「マジでヤバいお坊さん」と呼ばせてもらう。
 そのマジでヤバいお坊さんがラジオの向こうから澱みない優しい声で修行の体験談を語っていた。私はその話に引き込まれ一字一句聞き漏らすまいと耳をかっぽじって聞いていた。
 そして、その中でこんなことを言っていた。
「歩き続けていると全てのモノに対して感謝する心が生まれる」と。

 その言葉を思い出し、もしかしたら今のこの感情がマジでヤバいお坊さんが言っていた『感謝する心』なのかもしれないと弱聴は思った。
 弱聴の旅は大峯千日回峰行には遠く及ばないけれど、その感謝する心の片鱗に触れられたと思うと嬉しくなって思わず顔がほころびた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?