#109 土の名前は将来役に立つのか?いや、立たないだろうという話。
「テラロッサ」を知っていますか?
テラロッサとは、地中海沿岸に分布している赤い色の土の名前だそうです。
なんで急に土の話を始めたかというと、この土の名前を覚えることで、将来何かの役に立つのか、皆さんに聞きたいからです。
テスト範囲だというのに、全く覚えられておらず、当日の通学時間の間に必死に覚えていました。(他にも似たような名前の「テラローシャ」とかいう土もあって大変覚えにくいのです。というのは言い訳です。)
だんだんテストが迫って来るうちに私は、ふと思ってしまったのです。
将来、私が今必死になって覚えている「テラロッサ」は役に立つのか、と。
危うくテストに集中できなくなるところでしたが、なんとかテストでは全力を出し切ることができました。(とても残念なことに「テラロッサ」は出てこなかった…)
しかし、「テラロッサ、将来役に立つのか問題」は私を悩ませました。
答えは簡単です。
「地学学者にならない限り、今後テラロッサと再会することはないだろう。役に立つこともないだろう。」
私は次の壁にぶつかりました。
なぜ私は必死にテラロッサのことを覚える必要があるのでしょうか。これは土の名前だけではなく二次関数や酸素解離曲線、「え・え・う・うる・うれ・えよ」にも当てはまります。
一歩下がってみていれば、私の周りはどう考えても将来役に立ちそうにないもので溢れかえっています。
役に立たないことも勉強する意味とは
なぜ、このように将来役に立たないことを必死で勉強しなくてはいけないのか。
私が最初に思い浮かんだ答えは「大学に行くため」です。
しかし考えてみれば、大学なんて行かなくたって別に生きていけるし、働かなくたって(自立しているか、社会に貢献できているかは別として)死ぬことはありせん。うーん…
というわけで、もっと考えてみました。最終的に私がたどり着いた答えは2つあります。
1.実は役に立つ説
これは根本的な問題かもしれませんが、今まで私が役に立たないと思っていた土の名前や二次関数、酸素解離曲線、「え・え・う・うる・うれ・えよ」などは実は役に立つのかもしれません。就職のための入社試験で出るとか。
2.勉強という行為そのものが大事なの説
勉強は楽ではありません。
すいすい解けて楽しいと感じる問題もあれば、問題文が呪文のように思えて投げ出したくなる時も何度もあります。しかし、今までさっぱり分からなかった問題が出来るようになったり、テストでいい点が取れるとめちゃくちゃ嬉しいのです。
このように困難があっても諦めずに頑張るという経験をすることを学校が提供してくれているのかなと考えました。
さよなら、テラロッサ
みなさんはどう考えますか?教えてください。
今後、進路選択で地理を択ばない限り、私の脳からは消え、二度と会うことのない「テラロッサ」。こう思うとなんだか寂しくなってきました。
さよなら、テラロッサ。またどこかで会えたらいいね。
最後まで読んでくださってありがとうございました。