支援とか金なくてできなかった

※この記事は2023年1月24日に書いて、下書きにずっと入っていたものです。
当時はネット上ですら一目を気にしていて
「こういうの書いたら、『偽善乙w』とか『稼いでるアピールw』とか言われたり思われたらやだなあ・・・」
と本気で思っていて公開できませんでした。
ただその時に感じたことを残しておきたくて、完全に自分の日記として書いたものです。

しかし、2023年11月4日現在。
ロシアウクライナの戦争は全然終わらないし、イスラエルとパレスチナも激戦がまたはじまったし。。
日本を離れてジョージアで暮らしていると、世界平和をより一層願うようになりました。

だから、少しでも困っている誰かが助かることなら、
第三者に何を思われても
別に気にしなくていいじゃない。と思えるようになりました。

小学生の時に読んだ、杉原千畝の伝記が
実は今でもバイブルです。
私はどんな時も、最終的には道徳心に沿って生きていきたいのです。

そんなことを再認識できたので、公開します。
なぜ私なるみがジョージアに来たのかなども、書いてます。


ここから本編スタート


さっき、ウクライナの難民支援に10万円振り込んだ。




もとは、こちらのKOHさんのツイート。

https://twitter.com/KohNomad/status/1617496540624437252?s=20&t=Rs5blABKIFtfon1y_2q8Vg


このツイートを見た瞬間、
なんか脳が秒で反応して速攻担当者の方に
振込先を聞くDM送ってた。

世のために何かしたい言いつつ、口だけだった1年前


支援金を入金した後、
なんだか少しほっとした。

自分のお金は減ったけど、
ずっとモヤモヤしてたものが払われた感覚があった。

それは、
ロシアのウクライナへの軍事侵攻が始まった去年の2月24日から
ずっと口だけだった自分と、
決別できたからかもしれない。

私は2009年にロシアミッションという、
内閣府が行っている日露学生交流事業に
ひょんなことから参加し、

20歳で初めての海外、
初めてのロシア上陸を果たした。

そこで出会ったロシア人の仲間との日々が
私の人生を変えた。

岩手の田舎で、人の目を気にして
何をするにも
「他人からどう思われるか」
「間違ったことをしてはいけない」
「人生ってこうあるべき」

みたいな価値観ガチガチだった私に

「なんでもOK!」
「生きてればOK!」

みたいな世界を見せてくれたロシア人たち。

夜のモスクワで酔っ払って、
元KGBの建物前で叫んでたら
さすがにロシア人からも止められたのは草。

そこから、本格的にロシア語を勉強するため
県立の短大から
ロシア語学科があってロシアへの交換留学ができる
国立大に3年次編入(がんばった)。

そんなこんなで、
留学でまたロシアの友達に再会して
そこから社会人になってからも
数年に一度は、ロシアに会いにいっていた。

気づけば、13年。
ロシア人の友達や、日本でのロシア語コミュニティに
仲間ができている状態に。

その中には、もちろんウクライナ人もいる。

愛知で会社員時代に、
ロシア語を教えてくれていた友達は
ウクライナ人だ。
(スノボも彼から学んだw)

そして、2017年にはウクライナのキエフ(キーウ)に遊びに行った。

そんなかんじで
私の人生の大半は、
ロシア語やロシア・ウクライナ人の友人と
ともにあったといっても過言ではない。

だから、
2022年の2月に起こったウクライナ戦争は
私の心にも大ダメージだった。

ウクライナ人の友達、その家族はもちろんみんな参ってる。
そして
ロシアにいるロシア人の友達も大打撃。
ビジネスも大打撃。
(戦争反対してるけど、声を大にするとすぐ捕まってたし)

私も1ヶ月くらい、ずっと戦争のニュースにかじりついてしまって
仕事にも集中できず
精神やばかった。

その時にも、ウクライナ支援とか呼びかけがあったけど
恥ずかしながら
当時の私はまだまだコールセンターの派遣社員で
副業占いも月10万円いけばいいかな、というほど。

その半年後に仕事をやめて、ジョージアにいく!って決めていたので
お金も貯めなきゃいけないし
懐に余裕がなかった。

できることといったら、
ウクライナ・ロシアの友達にメッセージを送って
安否確認や励まし、

渋谷の戦争反対デモに参加するくらいだった。

口では
「何かあったら力になるよ!」
と言いつつ、
結局実利的なことができない自分がもどかしかった。

はーーー、やっぱ世界を救うにも
金が必要じゃ・・・

綺麗事では、人は助けられん・・・

心からそう思ったし、
人道支援しに現地に行こうにも
まだまだ会社に縛られて働いていたので
そんなこともできず。

ロシア語でロシア人と楽しく酒飲むくらいしか
私の能力ってないじゃん・・・

留学までして、
一体何をしていたんだ・・・

と無力感にさいなまれてた。

そんな状態で、
戦争が続く中ずっと
ウクライナ支援に対しては
どこか見てみぬふりをして生きてきたのかもしれない。

ロシア繋がりの日本人の友人たちが、
ウクライナ支援でガンガン動いて
実際に支援をしているのを
Facebookやツイッターで見るたび、

そしてそのインタビュー記事が
ネットに流れてくるたび、

私は口だけでなんにもできてないな・・・

というバツの悪さが、
余計に自分のエネルギーを下げた。

ちょっと生活に余裕が出てきて、近しい人を助けられるようになった


そんなこんなで、
副業占いも安定し会社をやめ
2022年8月からジョージアにきた。

ジョージアは、一番仲がいいロシア人友達のお母さんが
ジョージア人ということもあって
ずっと行ってみたかった。

ビザが1年不要なのと、
ロシア人の友達に会いやすいのと、
物価が安いという理由で
最初に滞在する国に決めた。

しかし、
物価が安いという点は
ウクライナ戦争と円安のスタートで
すでに幻想に変わっていた。

それでも、
2022年9月には
月収100万円を達成し
ようやく生活にもゆとりが出てきた。

そんな中で、やっと
私がずっとお世話になってきたモスクワにいる家族
(お母さんがジョージア人、お父さんはロシア人だが死別)
に金銭的に支援ができるようになった。

(この家族は、
私が日本で会社を辞め、
無計画にモスクワで就活をしていたトータル半年の間、
食住を無料で提供してくれて、毎日ロシア語のレッスンもしてくれて
精神的な支えでもあった。私にとっては、本当の家族である。)


それでもまだ、
ウクライナに対しては
何ができるのか。何をしたらいいのか。

自分の中でモヤモヤしていた。

何より自分の仕事も
もっと大きく・安定させていこうと思っていたから
ウクライナのことまで考えられなくなっていたのも事実。

だけど無意識に
ウクライナに対して何もしていない自分

っていうのが
モヤモヤの原因になってたと思う。

やっと世のために自分のお金を差し出せるようになった


そのような中で、KOHさんの冒頭のツイートを発見。

実際、私の友達も日本でウクライナからの
難民受け入れ支援をしているので

日本に行くまでの滞在場所の問題は
想像に容易かった。

自分自身、海外を転々とする生活で
賃貸物件の家賃上昇や
スケジュールをミスって泊まる場所がない時の焦燥感を
身を持って感じてきた。

とはいえ、私は自分で望んでこの生活をしているし
助けてくれる友人も現地にいる。

しかし、これから故郷を捨てて
言葉も文化も知らない日本に行く
ウクライナ人難民の方の気持ちを察すると
滞在先の問題は本当に深刻だ。

不安、不安、不安。
しかないと思う。

安心できる家があるというのは
本当に大切。

私もそう思っているから
秒で行動ができたのかもしれない。

そして何より、
すぐに人のために差し出せるお金があるということ。

子供時代から借金取りに追われ、
仕送りもなくバイトバイトの日々だった学生時代。

奨学金の返済や
家賃の支払い、
リボ払いの返済で首が回らなかった20代。

こんな状態が今も続いていたら
他人の幸せとか、
他人を救う(しかも知らない人)とか
絶対にできなかった。

やらない善より、やる偽善。

というけど、
本当にそうだと思った。


私は自分のビジネスでは
感謝の尺度が売り上げだと思っている。

自分のサービスが
お客様の役に立って
お客様に満足してもらって
感謝される。

その結果、お金として受け取る。

そのお金を今までは
自分の生活を良くするためとか、
大切な人を助けるためにしか使えなかったのだけど。

収入が以前より増えることで、
世界の困っている誰かのためにも
お金を差し出せるようになったのは、
自分の成長を感じる。

というのも、
昔の貧乏な自分は
心も貧しかったので
お金が手に入ったら私利私欲のためにしか
使わなかったと思う。

今、こうして自分が
世のため人のために
できることをしたいな。と思えて

それを少しでも実行できるようになったのは、

周りの素敵な人々のおかげだなと思う。
素敵な人の背中を見て、
ビジネスも、人格も育っていくのだなと。

自分も誰かにとって、
そういう背中を見せられるようになりたい。

もっと勉強して、試作して、
失敗たくさんするだろうけど
結果的に良いサービスを
世に提供できるようになりたいな。

自分に関わってくれた人が
ちょっとでも幸せな気持ちになれるような人になりたいな。

と、綺麗すぎる綺麗事(本心)を言って終わりにします。


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