短編小説 地図が描く時間軸~P2P2曲目 Color Of Loveより~
今思えば、映画や漫画のような出会いだった。
カフェでお互いよそ見をしてぶつかってしまい、僕の真っ白なシャツに、女性が持っていたコーヒーが、これでもかと言わんばかりに茶色い地図を作った。
「わあ!ごめんなさい!どうしよう!コーヒーが、うわあ…」
これが漫画だったら、額のあたりに縦線がいくつも入っているんだなってわかるくらい、彼女は真っ青になっていた。
そうかと思うと、次の瞬間表情が突然変わり、僕をまっすぐ見据えた。
「あの!10分だけ時間ください!今、新しい服を買って来ますから」
え?と僕が聞き返す前に彼女はお店を飛び出して隣の服屋さんに駆け込んでいくのが見えた。
その間店員さんが丁寧に床などを拭いてくれ、お礼をしていると、本当に10分で彼女は戻って来た。
「はい!これ!これに着替えてください!」
彼女の勢いに押されて、僕はトイレで新しいシャツに着替える。
先ほどは真っ白なシャツを着ていたけど、彼女が選んだのは、少しだけピンクの、春色のシャツだった。
僕はこんな明るい色のシャツを着た事がなかったので、戸惑うしかなかったが、せっかく彼女が買って来てくれたので着るしかなかった。
そして、教えてもいないのに首周りなどがピッタリで驚きながら、トイレから出る。
「あ、出て来た。良かった。似合ってる」
「いや、あの、申し訳ないんだけど、僕こんな明るい色のシャツ着たことなくて。しかも夕方から大事なプレゼンがあるから、そんなに目立ちたくない…」
「大丈夫。ほら、最後にこれ着けて」
彼女は自信ありげに僕にネクタイを僕の首に回し、締めてくれた。
「うん。完璧」
「わ!本当だ!素敵ですよ!」
いつの間にか客足がまばらになった店内で、店員さんも見守ってくれていた。
「え?そうなの?」
彼女が写真を撮ってくれて僕に見せる。
淡いピンクのシャツに深い青色のネクタイが全体を落ち着かせていた。
「うわ、仕事できそうに見える」
「良かったあ」
彼女が安堵したように笑う。
そして、何かを思い出したように、あ、と言った顔をした。
「お仕事!忙しいですよね?お時間取らせちゃってごめんなさい」
本当に申し訳なさそうに、彼女はペコペコ頭を下げた。
「お昼はちゃんと取りたいタイプなんで大丈夫です」
これは本当の事で、どんなに忙しくても、休憩はちゃんと取ってリセットするのが僕のやり方だった。
「それにしてもすごいなあ。色もそうだけど、なんで僕の服のサイズまでわかったんですか?」
「あははは、怖いやつですよね。私、仕事がスタイリストなんです。だから、ぱっと見で、サイズも大体測れるんですよ」
「へえーすごい。
あ、お金!シャツ代払います。いくらですか?」
「そんな。勝手に買って来たのは私だし、コーヒーこぼしたのも私だから、お金なんて受け取れません。プレゼン、頑張ってくださいね!」
そう言って彼女は颯爽と去っていった。
なんてくるくる表情が変わる人だろう、そう思って今着た淡いピンクの自分を眺めて、少しむず痒くなった。
何かが始まった気がしたからだ。
それから僕は、たまにしか行かなかったあのカフェに頻繁に通うようになった。
もしかしたら彼女に会えるかも。
そう思ったからだ。
あの後家に帰ってシャツを洗濯してみたけど、コーヒーのシミはなかなか落ちなかった。
クリーニングに出せば良いのだろうけど、何故か、そのままでいいと思う自分もいて、そのシャツは壁に掛けられていた。
ただの、茶色いシミが地図のように付いたシャツ。
だけど、ただのシャツじゃない。
彼女と僕を繋げる大切な地図だからだ。
そう、僕は彼女に、あの時のあの出来事だけで、猛烈に惹かれてしまったのだ。
しかも何故か、茶色なのに、色鮮やかな色の粒が見えるような気がした。
シャツを見ているだけで、色の粒をまとった彼女とダンスを踊っているかのような錯覚さえ覚えていた。
名前も知らない彼女、コーヒーを僕の服にかけた彼女。スタイリストをしている彼女。
表情がくるくる変わる彼女。
それだけ、それだけしか知らないのに、彼女のことを思うだけで、胸が躍り、身体が軽くなった。
だけど、頻繁にカフェに通っているのに、彼女は一向に姿を見せなかった。
僕は次第に、色んなことを考えるようになった。
あれは本当にたまたまこのカフェを利用しただけで、もう2度とこないのかも。
あんな事があったから、縁起が悪いと思って避けている?
むしろ、僕はこんなに会いたいけど、向こうはどう思っているかなんてわからない。
嫌われているのかもしれない。
しかも会ってどうする?
パートナーがいるかもしれないし、子供だっているかも知れない。
「行かない方が良いのかもしれない」
そう思いつつも、あのカフェに足が向くのを止められなかった。
不安以上に『彼女に会いたい』という思いが勝っていた。
気がつけばカフェに通い始めて1ヶ月ほど経っていて、さすがに「会いたい」という気持ちよりも、「もう無理なのかも」という諦めの色が強くなっていた。
その時、カフェの扉が開いて色の粒が僕に飛び込んできた。
「彼女だ!」
僕はとっさに感じて扉の方を見る。
彼女が店に入ってきて、僕を見つけた。
彼女と目があい、僕は心臓が跳ね上がり、身体が固まるのが分かった。
そんなことはお構いなしに彼女は僕の方に近づいてきた。
「お久しぶり!あの時のシャツ着てくれてるんですね」
嬉しそうに彼女が笑う。
偶然にも、今日の僕は彼女からもらったピンク色のシャツを着ていた。
これは運命だな。
僕は勝手にそう思った。
「あのね。僕の部屋にコーヒーの地図があるんですよ」
「コーヒーの地図?」
そう言って、彼女は僕の隣に座った。
僕と彼女の時間が交わった瞬間だった。
このお話は、シリーズものとなっています。
前のお話はこちら→ https://note.com/posicov/n/n47a6e990488b