落語聞き覚えメモ『三十石』(笑福亭仁鶴)
え~兄さんがたお下りさんやございませんかな、兄さんお下りさんやございませんかな、え~兄さんがたお下りさんやございませんかな、ちょっとそこの顔色の悪い人、あんた下らんか?
(喜六、以下●)へぇ、わたいここ二~三日憚りに行ってへんねんけど。
(清八、以下■)何を言うてんねん。
●いや、あの人わいのな、顔見て顔色が良ぉないさかい「下らんか?」って聞いてくれてはんねんけどな。ここんとこ下痢してんねん。
■そうやないがな。つまり、京から大坂へ帰ることを「下る」ちゅうねや。
●あぁそうか、ほんだら京から船を継いで大坂へ帰ります。
■そんな丁寧に言わんでもええねや。船は出るかいな?
まぁまもなくでございますが、どうぞお休みを。
■おぉ、休ましてもらいます。
船宿の二階へとんとんとんとんと上がりますと、船町の連中がそこここでたむろをしております。待っている間ちょっと退屈なものと見えまして、いろんなことをしてなはる。商人さんが商いの銭勘定を一生懸命していると思いますと、旅日記か何かをつけている人がありますな。あっちのほうでは三~四人が、こぉわぁわぁ言いながら店屋もんを食べてたりなんかいたしますが、こちらではごろっと横になって旅の疲れを癒している人があるというようなことで。また土産に伏見から瀬戸物の牛の人形を買うてきまして、嬉しいのかこれを持ち上げて正面から見たり横から見たり後ろから見たり角を眺めている間に、なんかの拍子にそばの火鉢に角をこつーんと当ててぽきーんと折ってしもてね。あら、しもた。ああいうときおかしいもんで、あんまり慌てまへんな人間というのは。体裁が悪いさかい、じぃっとしばらく固まってますな。じぃっと見といて、ほんでしばらくして顔上げて周りの人の様子を伺うて、ほで落ち着いて折れた角を取り上げて合わせてみまんねんな。まぁ焼き物の牛てなもん合わしても元通りになる気づかいはございませんが、そういうことを人間というのはよぉやりますね。お皿お茶碗などを落として割った場合でも大体がつくぼってこういっぺん拾い上げてな、元の形のとおり合わしてみて「あぁ~なるほど」感心してもしゃあないんやけど。いろんなことをしてますところに上がってまいりましたのが宿屋の番頭さんで、帳面と矢立てをもちまして。
(宿屋の番頭、以下★)え~、どなたさんもえろぉお待たせをいたしますが、もうちょっとでございますので、それまでの間ちょっとこれへ兄さんがたのおところとお名前を控えさしていただきとぉおすの。手前どものちほど役所へ届けま。こないだも役人に叱られましてな、「おまほんとこの宿帳ちゅうのはだいぶおかしいやないかい。ええ?まぁその、ところと名前は書いたある横が炭でしゅうっと消したあって、またところと名前が書いたあって、またしゅうっと消したあって、消えてんのんと書いたあるのんと半々ずつになったあるけど、これはどういうことや」ってえらい叱られますんで、どうぞてんごおっしゃらんように。本当のお所とお名前を。
わかった!ほなわいから言うさかい書いてや。
★おところは?
(舟の客たち、以下*)大阪や。
★大阪...
*今橋通二丁目や。
★今橋通二丁目...お名前は?
*鴻池善右衛門。
★鴻池善右衛門?鴻池の旦さん手前どもちょいちょいご贔屓にいただいておりまして、わたしも一、二へんお目にかかったことござりますが、兄さんよりもっと肥えたはったように思いますがな。
*そうやだいたい肥えてたんやけどな、こないだからの米高でどかっと痩せてな。
★あの大金持ちが米の値段上がったぐらいで痩せるやろか。もうちょっと背がすらっとお高かったように思いますが。
*はじめ高かったんやけどなぁ~あっちこっち旅している間にちびたんや。
★そんな下駄みたなことおっしゃって...どうぞおなぶりにならんように。そちらのお方は?
*あ~...これも大阪や。
★これも大阪ね...え~、お名前は。
*すみともや。
★住友はん???ほんまやろな。
*福島羅漢前の炭屋の友吉やわいは。
★あー...炭屋の友吉はんの「炭友」。そら人相をしてまんな。
*馬鹿にすなアホ。
★そちらのお方は?
*あ~...おいどんは鹿児島県鹿児島市本町通二丁目、西郷隆盛じゃ。
★そんな方おへんわ。
*ほな西郷ひく盛か。
★どうぞおなぶりにならんように。え~、そちらのご出家は?
*あー...愚僧かな、愚僧は高野山弘法大師。これにましますは円光大師。 唵阿謨伽尾盧左曩摩訶母捺羅麽尼鉢曇摩忸婆羅波羅波利多耶吽...真言経を二十一へん唱えるよって、それへ書け。
★帳面真っ黒けになってまうわ。どうぞおなぶりにならんように。え~、そちらのお女中は。
*わらわは照手姫。
★おばあさんは?
*自らは小野小町。
★汚い小野小町やなぁ。自らやのぉて塩辛みたいな顔してる。そこのお子達は?
*武蔵坊弁慶!
★どうぞおなぶりにならんように。
*ほなわい丁寧に言うさかい、丁寧に書いてくれるか。
★え~まぁ丁寧結構ですなぁ。
*あの一つ、仮名でな。
★どちらで?
*大阪より、や。
★大阪より...
*三里南にあたる、や。
★三里南にあたる...
*泉州堺。
★これやったら最初から泉州堺でよろしい。
*物は丁寧、大道九間町庖丁鍛冶菊一 四郎兼隆。正家根本。名古屋市新町通り二丁目...
★ちょっと待っとくなはれ。名古屋市新町通り二丁目...
*同じく支店。
★同じく支店...
*女房さよ、せがれ万助。
★書かしていただきましたけど、これ何どす?
*いや、今度堺から名古屋へね、包丁の支店を出そうと思うねんやけどね、新店のチラシ配りたいねんけど、それで所わかるやろかいなぁと思て。
★こじゃごじゃおっしゃるな、チラシの下書き書かされたらさっぱりワヤや、どうぞおなぶりにならんように。
*ほなわいはもう名前だけでええか?
★もうお名前だけでも、どなたさんによらず結構でございます。
*ああそうか、ほんなら近江屋宇兵衛や。
★近江屋宇兵衛ね...
*紀州屋八之助や。
★紀州屋八之助な...
*山城屋喜八や。
★山城屋喜八な...
*奈良屋辰三や。
★奈良屋辰三な...
*難波屋宇兵衛や。
★難波屋宇兵衛な...
*明石家万兵衛や。
★明石家万兵衛...これ何だんねんせやけど??いまおっしゃっていただいたんはどなたはんとどなたはんどす?
*いまおっしゃったんはこなたはん一人やけど?
★ほぉかてお名前ぎょ~さん書きましたで?
*そうやろう?近々死んだお婆んの四十九日が来んねんけどな、香典返しそれで何件あんねやろと思て。
★まぁ~~~てんごばっかり言われたらどもならんな...
番頭はん慌てて降りてしまいます。しばらくいたしますと橋のほうで船頭さんが、
(船頭A以下▲)出ぁしまそぉ~~!!
まぁ「出します」言うてもなかなか出まへんのでな。ちょうどこの時分に頼んどいた朝御膳が出ますのん。ほんで熱ぅいお汁に炊き立てのご飯でございますのん。これを食べよう思て箸もって茶碗持ち上げてこぉしたときに、
▲出ぁしまそぉ~~!!
まぁ船頭と宿屋は連絡が取れておるのでございます。ご飯をあんまり食べささん計略であります。ところがまぁ旅慣れた人はこんな手に乗りまへんので、それからゆっくりご飯を食べて、お代わりもして、お手水にも行って、旅支度を整えて、ぼつぼつ下へ降りてまいりますと、下では女子衆さんがお客さんにえろぉ手々を振りまいておりますが。
(女子衆)兄さんがた静かにお下りやす。舟はまだ出やいたしまへんので、一番が出た後じき二番が出ますのん。大阪には同じ時刻に着きますので、どうぞ静かにお下りやす。あぁ兄さん草鞋お履きにならいでも、手前どもの下駄をひっかけてお行きあそばし。向こうの歩み板のところへ放り出していただきますと、焼き印が捺しておすので、拾いに参じますので、お静かにお下りやす。兄さんのお弁当これにこしらえておすねけども、中に高野豆腐が入っておりますのんで、おべべを汚してはいけませんのんで、蕨縄でさげるようにしておすので、どうぞ下げてあそばし。お静かにお下りやすお静かにお下りやすお静かにお下りや~~~す。
●うわっ、大ぉきな口開けよったな。ええ?なんであんなにやいやい言うとんねん?
■そらもうわいらの頭の上に「お静かに」振りかけてくれてんねん。
●振りかけてくれてんか。さよぉ~ならぁ~~!!
■お前も同じように口開いてどないしたんや。
●向こうから「お静かに」振りかけよったさかい、こっちから「さようなら」をねじ込んだってんけども。
■んなアホなことしな。
お静かにお下りやすお静かにお下りやす...
▲出ぁしまそぉ~~!!
お静かにお下りやすお静かにお下りやす...
▲出ぁしまそぉ~~!!
●おい、どないしたらええねんこれ?
■何が?
●何がってお前、向こうでは「お静かに」言うてるし、こっちから「はよ来いはよ来い」言われるし、どっちの言うこと聞いたらええかわからんて。
■んなことはどうでもええねや。早いこと乗り込め。
どやどやと乗り込みますと、そこへ京都の土産物を売りにまいります。
(土産屋、以下*)おみやどぉどす?おちりにあんぽんたんよろしおすか?にしのとぉいんがみはのはどぉどす?まきすもじのおいしいのはよろしおすか?おみやどぉどす?おちりにあんぽんたんよろしおすか?おちりにあんぽんたん、あんたあんぽんたん。
●おい、何抜かしとんねん。
■何怒っとんねん。
●何を怒ってとんねんってあいつ人の顔見て「あんぽんたんあんぽんたん」って。
■そうやないがな、あれは「あんぽんたん」ちゅう菓子を売りに来たはんねん。
●そんなけったいなお菓子あんのんか。
■知らんか?砂糖の衣がぷぅっと膨れたおかきにかけたあるやろ?東山ちゅうねんけども、みなが「あんぽんたんあんぽんたん」ちゅうてんねや。
●ああそうか、やかましいさかい向こう行け。
*まぁ~兄さんのお声、いっかいお声どすこと。
●いっかいお声?大きい声と抜かせ!
*そんなこと言ったかって京の言葉やもんしょおへんえ?
●何を抜かしてんねんお前、なんぞ言うたらきょうきょうきょうきょう....京だてら偉いのんじゃ?
*そうかて京は王城の地どっせ?
●そうじゃ、魚も食わんと青物ばっかり食らいさらして往生の地やろそら。おちりやなんてややこしいこと抜かしやがって。なんやねん。
■京の言葉は丁寧なさかいちり紙の上に「お」ついたあんねん。「おちり」や。
●あぁ、ほな京の連中はおちりでおちり拭くのんか?「にしのといがみ」って何や?
■あらまぁ安物の紙やけど、大阪で「漉き直し」、江戸のほうへ行くと「浅草紙」ちゅうなぁ。
●ほんだらあの、おすもりやなんや言うとったけども。
■巻き寿司のこっちゃがな。京都弁っちゅうのは大体がやさしい。
●けどなんやしらんけど、なまだれとんの聞いてたらわしはだんだん眠とぉなってきたさかい、もぉ寝さしてもらおか。
▲おい、客人よ!そんなところで寝なはったら船頭の通り道じゃ、邪魔になるで起きなされ。おい、おい、こんなところで寝たら邪魔になるさかい、動きにくさかいどきなされちゅうねん。こら、どかんかぇ。
●なにすんねんお前いったい。船頭だてら客の頭どついたりしな。
▲わしゃ船頭はいたしておりますが、お客さんの頭をどついたりはいたしませんでの。
●しませんでの、言うておまえいまどついたやないかい。
▲いや、わしがどきなされと突きゃあお客さんのどたまが鳴ったんじゃろ?
●そら何をぬかすねんお前。どついといて「突いたら鳴った」て人の頭を釣鐘みたいに抜かすなアホ。
▲どつきゃせんわい。
●どつきやがったわい。
▲どつきゃせんわい。
●どついたっちゅうてんねん。
▲わしはどつきはせん、お前さんはどつかれたと言いなさる。そないどつかれたって言うならどつかれたという書き証文持っとるか?
●お前もおかしなこと言うやっちゃな、どこぞの世界にどつかれる前に証文受け取ってやな、頭出すやつがおんねん。ええ?ほんまに...どつきやがったわい!
▲どつきゃせんわい。
(船頭B、以下▼)出ぁしまそぉ~~!!いつまで客人捕らまえてからこうとるかこのがきゃ。お客さんよう、そいつは田舎から出て間もないもんじゃでこらえとくれよう。
●ああ、船頭はん、お前みたいにそない言うてくれたら話がわかんねや。こいつみたいに人の頭どついといてよぉ鳴る頭やなんて、釣鐘か太鼓みたいに抜かすさかい、腹立ってんねん。
▼そこを田舎から出て間もないもんじゃでこらえまひょちゅうんじゃ。
●せやさかい、お前みたいに言うてくれたらわかるちゅうてんねや。な?銭払ろて乗ったら客やないかい。
▼おうお客さん、いま「銭払うた」てな言いなさったな。この船は千両船じゃないんじゃで、みなお客さんから銭はいただいておりますのん。わしが最前から「こらえまひょこらえまひょ」ちゅうとんのにお前さんこらえられんと言いなさるのか。こらえられんならこらえられんと抜かしてみ。どたまかち割るぞ!
●あ~怖!
■見てみ?お前のせいでわしまでついでに怒られてるやないかい。ええ?
●せやけども、どもならんな。
▼おーい、客人よ!あと一人お女中やけお頼み申します、ての。あと一人お女中やけお頼みいたしますての。
●あぁ、お女中やなんか知らんけど、見てみぃな?このびっしり詰まったある。もう一人も乗られへん。
▼そこをあと一人お女中じゃけお頼みいたしますての!
(乗り合いの船客、以下◆)あんだけ言うたはんねんやさかい乗したげまひょかあと一人ぐらい。
●せやけど、乗れまへんやろ?
◆乗れまへんちゅうたかってね、だれでもちょっとでも早ぉ大阪へ帰りたいちゅうてなことは人情でっしゃろ?ええ?あきまへんか?おたくら、べたぁって座って荷物置いてなはるさかい広いところが狭もなったあんねや。わたい一人できっちりと狭もぉ行儀よぉ座りますわ。
●そんなことしてどないなりまんねん?
◆どないなりますって...ほっといとくなはれ。相手のお女中いうのは二十三、四の年増。別嬪さんでっせ?
●そんなんわかりまっかそれが?
◆女子はんちょっとこっちおいなはれ。ほんでわたしのほう向いてね、足割ってね、わたしの膝の上へ座りなはれ。ほんで私の首のほうへ手回しとくなはれ。その代わりわたしも女子はんの腰のほうへ手回さしてもらいます。眠とぉなったらもぉここへもたれて寝とくなはれ。「まぁ、そんなことさしてもぉたらせっかくのお召し物に髪油がついて汚れます」何を言うてなはんねん、こんな着物の一枚や二枚ぐらい。なんやったらここに手拭い当てときますさかい寝とくなはれ。その代わりわたしも眠とぉなったら姉さんのここへもたれさせてもらいまっせ?と言うてますうちに船が出ますわな。船が出るとどうしても櫓にかわります。櫓にかわると船ちゅうもんはがぶりますわな。たとえ船ががぶろうが揺れようが、わたしと女子はんはこういう形(抱き合う)になる。
●えらいうまいこといきまんねんなぁ。そっからどないなりまなんねん?
◆ほんで船が大阪へ着きますわ。「兄さんいろいろお世話になりました。」何を言うてなはんねん。どちらへお帰りで?松屋町和泉町ちょっと東へ上がったところですわ。わたいは内久宝寺町ですねん同じ道でんなぁ。「そうですなぁ」一緒に帰りまひょか。「そうでんな」歩いて帰るのもなんですさかい車屋はん呼びまひょか、車屋はん♡車屋はん♡
●あんた何をごちゃごちゃ言うて。
◆車屋はん呼びまっしゃろ?梶棒ことんと降りまっしゃろ?どうぞ姉さんから乗っとくなはれ「いや兄さんから」姉さんから「兄さんから」こんなこといつまでやっててもしょおまへんさかい二人いっぺんに一緒に乗りまひょか。ぽぉいと乗るわな、車屋はん幌かけとぉる。♪相乗り幌かけほっぺたひっつけへっぺけれっつのぱ!
●おい船頭はんこれ放り出しぃな。おかしなやつが乗ってまっせ?
◆がーらがーらがーらがーら松屋町和泉町へちょっと着いた時分に梶棒ことんと落ちると、ほんなら女子はん銭入れしてな「おおきにごくろはん」(車屋が)へぇどうも、ちゅうて帰ってしまうわ。表の格子をとんとんと叩いたら女中さんが出てきて「まぁ~今日お戻りでございますか、昨日やと思うとりましたのに」「昨日帰ろうと思うとったんやけどな、ちょっと野暮用を思い出して今日になったんや。ここにいたはるお方に船の中でえらいお世話になったのであんたからもお礼を言うとくなはれ。」「ああ、さいでございますか。こないだはうちの主人がえらいお世話になりましたそうでえらいありがとうございました。どうぞおあがりになっとくれやす。」何を言うてんな、わたしはもうここまで送らしてもぉたらここで往なしてもらいます。「そんなことおっしゃらんとどうぞお上がりを」さよか、ほんならもうお言葉ですから休ませてもらいます。上がり框に座ったら「そこは端近、どうぞ上へ上がっとくなはれ」江戸火鉢の前へでーんと座りますわな。ほんだら女子衆さんが、お菓子を出してくれてそのあとお茶を出してくれてな。甘~いお菓子食べて渋~いお茶飲んでるうちにですな、すうーっと出て行ってしばらくしたら戻ってくる。台所に菰樽が置いたある。これをきゅっと捻って片口へととっとっとっ...これを燗瓶へと移しまして銅壺につけた時分に若い衆が提げ箱提げてまいどおおきに!ってみつばちもんでございますわな。どうぞ奥へ、ああさよかと奥へ通されてる間に酒の燗ができてお銚子に移して卓袱台の上へ載せましてな。杯洗に湯を入れてこれも載せますわな。みつばちも載せて奥へ女子はんが運んでくる、ちゃぶりん・ちりん・とぼんや。
●なにをごちゃごちゃ言うとんねん。何だんねんそのちゃぶりん・ちりん・とぼんちゅうのは。
◆いや、女子はんがけつ振りながら運んできた拍子に杯洗の湯がちゃぶりーんや。浮かしたある盃が縁に当たってちりーんや。途端に沈んでとぼーんや。
●芸が細こいなぁ。
◆ちょうど一杯やっとくなはれ。「ああさよか、ほんならちょうだいをいたします」お姉さんも。「いや、わたいあんまりいただかれやしまへんねけども、じゃぁお相伴さしてもらいますわ」きゅうっと飲んでな。返してくれるやったりとったりやったりしている間にだんだんだんだんええ気持ちになってきて眼の縁がほんのり桜色やな。わたいは色が黒いさかいにほんのり桜の木の皮色やな。
●何だんねんその桜の木の皮色ちゅうのは。
◆色が黒いさかいや。飲んでる間にええ気持ちになってきましたな。「もうついでに泊って行っておくれやす」いやいや、そんなわけにはいきまへん。「まぁさよか?よそのうちに泊ったら、どなたかお家で角生やしているお方がございまへんか?」何を言うてなはんねん。わたいは一人者ですさかい、家で角生やしてるもんいうたら大体がもう、でんでんむしにかたつむりや。「それやったらよろしおまっしゃないかいな。ええ、どうぞお泊りやしておくれやす」言うて泊って二人がごちゃごちゃごちゃごちゃ....というようなことで。
●何を言うてなはんねん!黙って聞いてたらほんまにもう。今の話は何の話や?
◆何の話って、あんたらいまの聞いたはらしまへんのかいな?女子はんを連れて帰ってごちゃごちゃごちゃごちゃなるときの段取りやがな。
●えらい段取りしてなはんなぁ。
▼おーい!客人よ。お女中の荷物じゃ。お頼みいたしますでの!
◆おっと、ちょっとこっち貸して!みんな触らしたらあかんで。お女中はわいの係になったあんねんで。こっち貸し。どうですかいな、こういうことがおまっしゃろ?おたくら手だるいことおまへんか?頭の上へいっぺんいただかしといてあげますわな。これいっぺんここへ吊っときますさかいな。お女中楽しみやなぁ。
(老婆、以下◇)はいはい親切なお方...どうもすいませんなぁ年寄りに席譲っていただいて...
◆船頭はんお女中わい!?
▲いま行ったやろそっちに。
●あんた、そのお女中を膝の上へ乗してやね、大阪まで連れて帰ったらどないです?
◆いややがな!こんなもん...どっかすみっくらへ放り込んでしまえ!
◇あの~...
◆なんやいな!
◇あの...わたしの荷物...
●ああ、おばあさんの荷物ね、最前この人が頭の上へ吊ってくれたはりまんねんけども、何でんねんこれ?
◇はいはい、家主の旦那さん親切なお方でな...年寄り船の中で尿々するの危ない言うて炮烙に砂入れてくださって...
●おまるやこれ!!誰やこんなもん頭の上へ戴かしやがったの!おばあさん、さらやろなこれは?
◇はい、最前いっぺんだけ...
●もう使こたあんねん。おい、ちょっと降ろしぃなこれ。
◆もぉ~降ろしまんがな。あ~...ぱん!割れた。
●割りなあほ。船頭はん、はよ船出しなぁ!
▲出ぁしまそぉ~~!!
歩みを上げて舫を解いてぐ~っと張りますと、ず~っと出てまいります。広いところへ出てまいりますと、艫下げにいたしますと、じぃ~っと船がまわります。二丁の櫓には二人ずつの船頭さんがつきまして、舵取りに一つ、てがわりに一人ということで、大体三十石の船は五、六人の船頭はんがかかったようでございます。お客さんが大体三十人ぐらいでございますなぁ。
▲や、うんとしょい!
まぁちょっと出てきますと、ここで舟唄というものを歌いますけど、これはこの歌を聞いてああしもた船出たがな、船頭はんこっちいっぺん船戻してんか、ちゅうて二、三人拾うて下っていくという、そんなことのためやございませんけれども、船頭はんが、
▲や、うんとしょい!♪ィやれ 伏見中書島なあ 泥島なれどよ(よーい) なぜに撞木まちゃな やぶの中よ やれさよいよいよーい...
中書島あたりまでやってきますと、橋の上からこのあたりのお山さんが、船頭はんに声かけてます。
(遊女、以下△)勘六さんえな~~その船上りかいの下りかいの?
▲何を抜かすんじゃい、船頭相手にしとって船の上り下りがわからんっちゅうのはどういうこっちゃい。向き見たらわかるじゃろ向き見たら。下りに決まっとろうがぇ!
▼おいおいおいおい、そう言うてやるもんじゃありゃせんぞ。なぁ?船の上り下りがわからんうちが華じゃ。上り下りがわかるようになったら、こんな七分船頭相手にするかい。
▲♪ィやれ ここはどこじゃとな 船頭さんに問えばよ(よーい) ここは枚方な 鍵屋浦よ やれさよいよいよーい...
△勘六さんえな~~大阪へ行てやったらな~~小倉屋の鬢付け買うてきてや~~
▲何を抜かすんじゃい、お前らの頭に小倉屋の鬢付けが似合うかぇ。サツマイモでもなすりつけとけ!
▼おい、そう言うてやるな。われこないだ妹に簪買うてやるて銭貸せちゅうとったが、さてはあの女に買うてやったな。おーい!わりゃこないだこの男に簪買うてもおたじゃろ?おお、見よれ。顔赤こぉして袂で顔隠す。おもしろやな~おもしろやな~。うんとしょい!
♪ィやれ 二度は裏壁な 三度は馴染みよ(よーい) 淀の車がな くるくるとよ やれさよいよいよーい...
このあたりまでまいりますと船中は白河夜船。むかしばなし、三十石は夢の通い路でございます。