夏が来れば思い出す
3年前の夏、当時の仕事でひとつ大きな区切りがついた。2年前の夏、その仕事を辞めて、イギリスに10ヶ月ほど行くことにした。42歳の夏、子どもはいないけれど結婚はしていて、ちょこっとイギリスに行こうと思っていると伝えた人たちの多くから「旦那さん大丈夫なの?」「帰ってきてから何するの?」と聞かれた。夫は大賛成してくれていたし、帰国後はノープランだった。
短期の学生ビザだと11ヶ月の滞在がMAXなので、語学学校に10ヶ月通い、その後もし旅行でもしたければして帰るかな、くらいの心構えだった。当時、結構忙しく働いていたので、単純に思い切り休みたいと思っていた。それは束の間のリフレッシュ、例えば温泉に行くとか、ちょっといいレストランに行くとか、そういうことではなかった。ただただ生活すること。自分の生活にだけ集中すること。突飛なのかもしれないけれど、海外で生活してみようと思ったのだった。ついでに改めてきちんと英語を学んでみる、語学学校に通って学生として生活してみる。私にとってはそれが休息になると思った。果たして、素晴らしい10ヶ月だった。
最初の数ヶ月をブライトンで過ごしてからロンドンに引っ越した。海の近くに住んでみたい、それだけで決めたブライトンだったけれど、かもめの鳴き声で目が覚め、暇つぶしに海まで散歩する。ああ休んでるーと謳歌する日々だったし、ロンドンに移ってからは、地下鉄で通学して、たびたびストライキに巻き込まれて、ああ生活してるーと実感する毎日だった。それだけで十分だったけれど、素敵な人たちにも出会うことができたし、たぶん英語もほんの少しは上達した。非英語圏のヨーロッパ各国や、中東からのクラスメイトたちに、「旦那さんと離れていてさびしいでしょう」と聞かれることはあったけれど「旦那さん、よく許してくれたね」とか「旦那さんに何も言われなかったの?」と言われることはなかったし、私と同世代、あるいはもっと上の人たちもいて、ああ、イギリスに来てみてよかったと心から思えたものだった。
何歳になってもやりたいことをやりましょうとか、40歳を過ぎてからでも留学は遅くありませんよとか、それはもちろんそうなのだけれど、ただただ、誰かの決意をリスペクトすること。多様性ってそういうことなのだなと思ったのでした。