![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/77368912/rectangle_large_type_2_3f79ecc170f9e33bc68e608642324802.jpeg?width=1200)
ゴッドファーザーに見る人の繋がりと栄枯盛衰
こんにちは。
最近、意識的に映画を見るようにしています。
趣味が映画鑑賞ってなんだかオシャレかも・・・なんていう下心から見始めたのがありますが、いろんな人にオススメの作品をうかがって、映画を見始めました。
その中で先日、『ゴットファーザー』のパート1とパート2をみました。
一編が3時間ほどある、なかなか重厚な作品。
ゴッドファーザーの第一作目が公開されてからちょうど50年となるそうです。
第一作目はマーロン・ブランド演じる「ゴッドファーザー」ことヴィトー・コルレオーネの存在の大きさとそれを受け継ぐアル・パチーノ演じるマイケル・コルレオーネの挑戦と苦悩、そして猜疑心などあらゆる感情が剥き出しになっていく様が克明に描かれているように感じました。
私が何より、感じたのは、父のヴィトーがものすごく義理人情を重んじる人間であること。ヴィトーは人間というものがいかなるものであるか、そして、とにかく彼は義理人情と信念に生きる人間であること。それを全うするために敵とみなしたものに対して強烈な仕打ちを加えることもしばしばありますが、ある意味、彼なりに筋を通しているように感じました。
それが、彼のファミリーを築き上げていることを感じます。
後半からマイケルが主軸になっていきますが、私が個人的に感じたのはパート2における彼とヴィトーの違いです。
ヴィトー亡き後、彼は身内の裏切りものを徹底して排除していきました。
彼は冷徹に容赦なくそれを行います。
パート2では、ヴィトーの若い頃との対比もあり、個人的に感じたのは、ヴィトーが「築き上げていくこと」をしてきたのに対し、マイケルは「崩壊に向かっていく」という二軸の対比です。
マイケルが身内の裏切りを次々と排除していくことによって、歪みが生まれていく様は圧巻です。妹や妻との関係の崩壊、最後は一人になるところで締めくくられます。
その一つ前のシーンに家族が揃って、父のお祝いを迎えるシーンが回想で映し出されますが、その対比が栄枯盛衰を物語っています。
マイケルは利害関係で関係性を構築してきたことによって、崩れていくのもあっという間だったというのが個人的な印象です。
ヴィトーは義理人情を一貫して大事にしていたのとは対照的です。
これが「築き上げていくこと」と「崩していくこと」という結果の差を生んでいると私は思います。
組織を作り、守っていくことの本質を対比で描いていると感じる重厚な作品で少し難しくもありましたが、とても面白い作品でした。
トップ画参照元 http://pds.exblog.jp/pds/1/201110/08/23/a0118823_1163629.jpg