バロメッツ ――羊を生む植物のはなし
スキタイの羊、リコポデウムなどとも呼ばれた、伝説上の植物、それがバロメッツである。主に中世ヨーロッパで想像された。
バロメッツは、黒海沿岸、中国、モンゴルなどの荒野に分布する植物である。その実からは羊が生まれる。この未は蹄まで羊毛でできており、たくさんのウールが採れる。肉はカニの味がするという。
この奇怪なる植物、バロメッツについて、我らが南方熊楠先生が触れておられるので引用してみよう。
さて、いくつか補足しよう。
『旧唐書』の「払菻国」は、唐の時代に使われた地名である。東ローマ帝国、またその首都であるコンスタンティノープル(イスタンブールの前身)付近を指す、とする説が有力だが、アフガニスタン北部を意味することもあるようだ。
南方先生がいう「ポジウム・バロメツ」とは、タカワラビ(またはヒツジシダ、キンモウコウなどとも呼ばれる)のことである。学名は Cibotium barometz 。
根茎の部分に明るい茶色の、柔らかな毛が生えており、たしかにむくむくとした生き物のように見えるシダの一種である。暖かい地域に自生し、日本では沖永良部島以南の琉球諸島でみられる。
シジアというのは地名だろうが、どこを指すのか判然としない。シリア、と読んで良いのだろうか。
何はともあれ、南方先生をして「お臍で茶を沸かす」と言わしめたバロメッツであるが、その原型となった植物にはおおむね二つの説があるようだ。
ひとつは十二支考でも触れられていた、タカワラビこと Cibotium barometz である。ニッポニカのタカワラビの項を少々引用しよう。
もう一つの候補として考えられているのが、ワタだ。ご存じの通り、木綿の原料になる植物である。Wikipediaなどではこちらの説が採用されているようだ。
バロメッツが想像された中世ヨーロッパでは、気候と技術の関係上、ワタの栽培はあまり広まらなかった。当時、繊維の主力をなしていたのは羊毛である。
ヨーロッパで使われた木綿は、一大産地インドからの輸入品だった。ヨーロッパでは栽培されない、繊維を生み出す植物から、「羊のなる木」が空想されたというのである。
どちらの説も、それなりに信憑性がある考えだ。ふたつの植物が伝聞された結果、バロメッツが生まれた、という可能性もあるだろう。
ところで、ひとつ気になるのは、バロメッツの「味」である。
この不可思議な羊の味は、カニに似て美味であるという。
ワタやシダと、カニを結びつける線が、私にはどうしても思い浮かばないのである。これは、バロメッツを食べた男爵の証言によるものだというが、はたしてどのような経緯で、カニ味の羊(植物生まれ)が誕生したのであろうか。
謎は深まるばかりである。
バロメッツについては、ベルトルト・ラウファーとヘンリー・リーの『スキタイの子羊』という書籍が詳しいという。未読であるので、読み次第この項は加筆する所存である。
この記事は、筆者の知的好奇心を刺激してやまない世界中の各事象について、備忘録的にまとめているマガジン『奇怪なる百科事典』の一項である。他の項も覗いてみたいという物好きな御仁は、下記のリンクより目次をご参照いただきたい。
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