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大々叔父の話

 大々叔父が亡くなったのは、昨年の初めのことだ。百歳近い大往生であった。身寄りがない大々叔父は、最期の一年ほどを私の実家で過ごした。
 その頃には、私は既に家を出ていたので、大々叔父の死に目に会うことはできなかった。だから、これから書くことは、すべて伝聞である。


 晩年、大々叔父は体が弱り、入退院を繰り返していた。認知症も進み、数日前のことを覚えていられなくなった。
 幸いだったのは、暴力や徘徊がなかったことと、世話をしていた親族――私の実家の家族だ――のことを、最期まで概ね覚えていたことだ。正月が終わってすぐ、大々叔父は息を引き取った。

 認知症がすすむと、現実と妄想の区別がつかなくなり、荒唐無稽なことを言い出すようになるという。大々叔父にも、同様の症状があった。

 体調が芳しくないため、大々叔父を入院させることになったときのことだ。大々叔父の世話と、葬儀の手筈を中心になって進めたのは、私の祖母である。その時も、祖母が大々叔父に入院するように説得をしていた。
 大々叔父は入院を拒んだ。感情として病院を嫌い、入院を拒むことは、年配の方には往々にしてあるように思う。世代による病院に対するイメージの違いなのか、それとも私ももっと年を重ねれば、病院嫌いになるのだろうか。
 何はともあれ、大々叔父も入院を嫌がったのだが、その理由が摩訶不思議であった。


 曰く、大々叔父は北島三郎に頼まれて、一千万円の大金を預かったのだという。あの、北島三郎である。サブちゃんである。サブちゃんは今、所用で渡米しているらしい。
 サブちゃんが俺を信用して、大金を預けてくれたから、その金をこの家に隠してあるから、俺は金を見張っていなきゃいけない。だから、今この家を離れるわけにはいかないと、大々叔父は云うのである。
 サブちゃんは大々叔父に、アメリカから帰ったら自分のステージに大々叔父を出演させて、歌わせてやると約束したのだそうだ。

 そんな不可解な理由を掲げて、入院を拒否されるのだから、祖母としてはたまったもんじゃなかっただろう。
 けれども、この話を聞いた私は、大々叔父らしいな、という感想が先に出た。大々叔父は、演歌が好きだった。


 一世紀に近い生涯の最期に、大々叔父が視た優しい幻覚は、憧れの大スターとの共演だった。
 大々叔父の家に隠された一千万円は、大々叔父のものではなかった。いくらでも都合の良い解釈ができる夢の中で、大々叔父が望んだことは、金でも地位でもない。北島三郎と同じステージに立って、歌を歌いたい。それだけだった。

 なんて大それた、傲慢な、ささやかな夢だろうか。

 この話を思い出すたびに、私は大々叔父の人柄を思わずにはいられない。遠い親戚の私のことを、とても可愛がってくれた大々叔父のことを。同じ銘柄のスナック菓子を、いつも買ってきてくれた、その意味を、幼い私はわからないままだった。
 最後に会った時、確かに大々叔父は、私のことをまだ覚えていてくれていた。病院のベッドで、微かに笑っていた。

 コンビニで、スナック菓子の棚を見るたびに。なぜか大々叔父が、私が好きな菓子だと信じ続けていた、とうもろこしの菓子を見かけるたびに、これからも私は、大々叔父のことを思い出すのだろう。

 ついでに、大々叔父の歌があまり上手ではなかったことも、思い出すのである。

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