2024年8月前半
こんにちは、今日も暑いですね~
ご無沙汰です、猛暑ですね、お元気ですか?
そんな挨拶ばっかり
でもふとした折に空を見上げると、うろこ雲が見えたり、
都会の小さな茂みから鈴虫の鳴き声がすると
自然は秋へ向かっているなと思う
そう思えると、すこし息がつける感じがしてくる
20240801 Thu.
昨日スマホを新しくしたので、新しいスマホへの移行作業。使いたいアプリのダウンロード&ログイン、結構な確率でパスワードの再設定を行う。チマチマした作業。
合間に、duolingoで点数稼ぎ。いまダイヤモンドリーグの準決勝中なので、気を抜けない(笑)。ELSA Speakは安定の個人トレーニングモード。競争なしに当面1日15分程度で発音を修正中心に、できるならリズムやイントネーションを自然なこなれた感じにしていきたい。
■
昨日は盛沢山だったなぁ。
駆け込みでスマホ機種変更→Blast!(舞台)→神宮外苑関連の講演会参加
講演会では開始前に行ってお手伝いはしたが、そこで、古参の方のシニカルな対応にがっくり。思いがけず来場してくれることになった人達は、それぞれ道に迷ったり、会場近くまで来たのに夕立のなか入口を探して右往左往。肝心な顔合わせは、本命を逃し、挨拶できた人達の反応薄かった。そして杜人の矢野さんたちと話しができたのはいいが、なんだか進展させるのが難しそうだ。
どうしていくと大勢の人にとって役立つと思えるだろうか?
活動全体・・・その中での私・・・私自身が無理するのではなく。
私は反対運動をやりたいのではない。
でもこの開発案は見過ごせない。総合的にみて、みすみす低い価値と思えるものを建設して、価値を減じる必要はないと思う。
そのために何か行動しないと変わらない。
ここまでの2年半ほどで、意見表明をしたり、オンライン署名をしても変わらないことはわかった。
現状の再開発案に賛成でない人が大勢いることもわかった。これは収穫。
わたしはどの方向を向いて、何をしていこうか?
そのことは私自身にとって、主軸となるものなのだろうか?
所詮、世の中の動きに抗う程度のものなのだろうか?
20240802 Fri.
暑くて、朝読書会の後、ダラダラと過ごす。
図書館で本を返したときに、あまり暑いのでもう少し涼んでいこうと、普段見もしない英字新聞をめくってみた。甲子園、100周年、羨ましいなぁ。神宮球場はいま98年。なのに、取り壊されようとしている。
図書館から渋谷駅へ行くまでの間に、こじゃれたパン屋さんGreen Thumbで明後日から行く長野でのパンを購入。ライ麦パン半分、これは日持ちするでしょう。
このお店は、シンプルなパンが数点と、こじゃれた総菜パンが様々並んでいる。油断していると、あれもこれもトレーに載せてしまいそうだ。いい香りのするお店。
そこから渋谷駅近くに出来たサクラステージのスタバへ。
ここで一昨日、機種変したスマホで写真を撮ってみる。
ひゃー面白い。ピントがよく合うし、自動的に短時間動画になっていたり、消しゴムマジックで写りこんだPC画面を消せる。わくわくする。機種変メリット!
その帰り、サクラステージ内店舗を見学がてら物色しているとTokyu Storeがあり、こんなところで誰が買うのかな~と斜め目線で見始めたら、いつも行くスーパーよりも品揃えが幅広く、目が楽しくてついつい隅々まで見て回り、数点2000円くらい買ってしまった。みごとにハマった。
■
夕方すぎて実家へ
以前の気まずい感じがあるので、夕飯は家で食べないようにした。台所を触らない方が問題に触れずに済む。
今週末から長野滞在する間に、母の誕生日がある。プレゼントはいいものが見つからない・思い当たらないので、長野で渡すのはバースデーカードのみにしよう。昨年からすでに購入した「85歳」専用のカードだ。
カードを購入した後に、よもや亡くなっては困るなとの心配は杞憂に終わり誕生日を迎えられそうで何よりだ。その間に私は離婚した。先方の母も亡くなった。そこに何て書こうか。
夜は一緒に日本茶を飲んで、点いていたTVを見ながら、今日も暑かったとか他愛もないことを話して寝た。
20240803 Sat.
朝ごはんのときに母に謝った。
「言い過ぎました、ごめんなさい」
母はさらっと、でも逸らさず対応した。
「長野から持ってきたものもあって、生協で頼んでいたものもあり、わかっているが冷蔵庫はいっぱいになった」
前回除草剤を撒いたので、雑草の勢いは少し落ちていた。庭に出て、炎天下の中、日陰をたどって取れるところを取っていく。
ブルーベリーを摘んで、午後会う友人にフレッシュなものを差し上げることにしよう。
19時から友人のコンサート前に、会社でご縁のあった人と会って軽くお腹を満たすことにした。
もう4,5年会っていなかった。もう会うこともないかもしれないと思っていた。だけど共通の知り合いがいたり、同年代だったり、なにより今日のコンサートの主役が共通の知人となったので、再会するには丁度いい機会だった。
彼女は来月定年、そして最大5年まで1年ごとの契約で雇用延長をするそうだ。この10年くらいはヨーロッパと仕事をして活躍している。本人に言わせたら派手なものではないのかもしれないけれど、言語を越えてチームワークを作っている人なのだ。羨ましい。
コロナ後のオフィス環境、40代課長との楽しい1on1、自社スマホの動向、神社や緑の話など、あれこれ。普段話をしない人と話せるということはとても新鮮で貴重。
鎌倉駅から5分ほどの、小町通りを入った路地にあるミルクホールにて。開店は1976年、おお、もう50年近くなるということになる。
鎌倉ではvivement Dimancheに行きたいが、いつ行っても入店待ちの人がいて、地元民であっても入ることが出来ない。もう30年あそこでお店をやっているのか。なかなか美味しいのだけれど残念だ。
■
さて今日のメインは、友人の還暦記念コンサート。
鎌倉駅にちかい地元ホールでの開催なのだが、そこに入場列ができるとは!
なかなかないことだろう。演奏の30分前から開場、自由席なのでみんな開場時間前に来たようだ。私たちは、扉が開いて3分過ぎたころに着いたので、列の後ろの方。すでに席はかなり埋まっているだろうな・・・あえて前のほうの入口から入ったら、歯抜け席が二つあり、底に友人と一緒に座ろうと列に入っていった。間に座っていた方が、ご一緒ならとずれてくださり、めでたく前から6列目、ちょうどステージで演奏する彼らが目の高さになるような席だった。一列後ろは招待席。ラッキー。
演奏は素晴らしくよかったし、ビオラとピアノ用に作曲された本邦初演の曲は、ビオラをたっぷり聴くことが出来た。
彼女は外国に住みつつ、日本のことを良く知っているし、外国でも日本文化を大事に年中行事を主に食卓に反映するし、異なる文化をつないで自分らしく、家族銘々がそれぞれの個性を発揮してユニークに生きている。そういう出来た人なので、おそらく大きな還暦パーティーはかの地と日本で2回。それ以外にも沢山お祝いしてもらっているだろう。生きる濃さが違う、と感じる。
当日午前中までキャンセルチケットの行方を采配していた彼女。満席で、満足いく演奏で(そのためにこの2週間ほど日本でみっちりアンサンブルをしていた)、友人と家族のサポートで作られたこの場、大満足であろう。
私の友人とも大勢会った。混雑しているので、ほんとにsay helloというだけだが10数人。
この引力、すごいな。日本に居ないのにゴッドマザーといえるくらいの存在感。
隣の席だった男性(席をずれてくださった方)は、拍手するときは大きく手を挙げて、ブラヴィ~!!と声をかけるアピールおじさんだった。そして演奏を聴いているときには、ふと、曲の転換タイミングに手が動く。その熱が溢れる感じに、普通の人ではないな!と。そこで終演時、
「素敵なコンサートでしたね、先ほどは席をゆずっていただいてありがとうございました」
と話しかけてみた。彼は主役の妹さん(も演奏していた)と同僚らしい。
「もしかして、指揮とかピアノの方ですか?」
と伺うと
「すみません、暑苦しくて」
とおっしゃる。何をいまさら。
「いえいえ、おかげで私も聴きやすかったです、すごいいい演奏でしたね」
「ピアノをやってまして、つい・・・」
やっぱりそうか。
客席もこんなふうにアットホームに温めてしまう本日の主役の本領を改めて感じ入った。つくづく素晴らしい人と私は友人となっている。
□
コンサート後は、中学同級生2人と一緒にお喋り。
それぞれに課題あり、楽しく取り組んでいることある。昔の還暦とはだいぶイメージが違う、まだまだ人生は続くフェーズだ。今日のプログラムのなかにも、これまでの人生に思いを馳せる曲があったけれど、そういった所感はあるものの、まだまだ前進する気満々な彼女だった。私達も同じだ。話は尽きない。鎌倉だからこその早め閉店(22:30)に合わせ帰途に着いた。
夜中過ぎに自宅へ到着。
20240804 Sun.
7-9時 朝読書会 →10-11時 神宮外苑ゴミ拾い →タクシーで移動してニトリでカーテンを購入し自宅へ。荷物をまとめて13時すぎに長野へ向かって出発。
ギリギリなスケジュール。
ゴミ拾い、一度参加したことはあるが最後まで居たのは初めて。
終了時の集合場所を知らず、スタート地点に戻ってしまったらそこではなく、お一人を暑いなか走らせてしまった。恐縮至極もうしわけなし。
カーテンは、私の意地だ。長野の山小屋のカーテンは長年の汚れが取れず気分悪い。丁度よいカーテンを見つけたのだが、実は幅が少し足りなくて取り寄せないと揃わない。でも取り寄せる前に、まずはありものだけでも変えたい。
午後の特急でゆっくり到着。
母・妹と私。
レンタカーを借りて、食料品の買い物をして山小屋へ来て、ちょっと食べて寝る。
山へ上がってきて、鹿が3頭くらい草を食んでいるところに出会った。
うん、山に来た気がする。
■
出掛ける時、駅へ向かいながら妹に
「相談というか報告があるのだけれど」
と母とのことを切り出した。関係性がうまくいっていない。
一通り話すと、妹が話し出した。
妹は母からその愚痴を聞いていたそうで、それはそれでよかった。
特急に乗るまでの30分くらい、その話をする。
・母も私も、お互い悪意はない。
・私の言い方がきつい
真剣に伝えたいのはわかるが、直球で伝えてもだめだ
・母は私の訪問をありがたい反面、生活を監視されているような気になっている
要はそういうこと。
私が認識していたことと同じ。ズレはない。
ふぅ、どうしたらいいか。
わかっているが、出来るだろうか。
ベースとなる態度・認識を変えて、毎度とっさの対応を以前と変えないといけない。
とりあえず、特急では妹と母が並んで座り、私は一人座った。
□
電車がついて、レンタカーを借りてから、妹はスーパー「つるや」を初訪問。まだ今日は冷蔵庫がないから、控えめに今日と明日朝の分だけでいいという予定のはずが、あれもこれも買いこんで5000円くらいになった。
里芋煮にずんだあんこのような、枝豆を潰したものをかけたおかずを買ってみた。
他には、桃・ぶとう・餃子・とうもろこし・ズッキーニ・・・・・
夜ごはんは、ささっと野菜で一品つくり、適当に食べた。
みんな20時を過ぎると眠そう。21時には寝床に入った。
20240805 Mon.
晴れ
今日は荷物が届くので、雨でなくて良かった。
予定通り11時過ぎに冷蔵庫が来た。
置いてあった冷蔵庫2つを引き取ってもらいスッキリ。
一台はナショナルの古めかしい冷蔵庫で壊れてから25年くらい電子レンジの台として疲れていた。先月壊れた冷蔵庫は日立の家庭用、30年くらい働いてくれた。どちらも長年ありがとう。
■
シングル用の2ドア冷蔵庫だが、置いてみて、食品をいれたら、ちょうどよいように思えた。私が反応を心配していた妹もOKとのこと。
冷蔵庫がある幸せを感じた。
■
もう一便、宅急便。
母が送った5段のプラスティックトレー棚、
妹が送った干物が、一緒に来た。
午前中指定だったのに、すみません遅くなって~と、12:30頃に宅配がやってきた。
「いやいや全然こちらは困りません、大丈夫ですよ~ありがとうございます」
「いやー、今週多くて!」
「大変ですね」
「すみません遅くなって」
ほんとに大変そうだった。
お盆前後なので、ここに滞在する人も増えているのだろう。
冷凍干物はさっそく冷凍庫へ。
母が掃除をした5段トレーは、無事破損せずに到着。荷解きまでして、中に物を入れるのは明日以降に先送り。台所の整理をしなきゃならないから。
■
レースのカーテンを取り換えた。
幅が半分しかない。
昼間多くの時間は、レースのカーテンを開けているので半分しかなくても問題ない。閉めておくときは、厚いカーテンも半分閉める。
20240806 Tue.
夜半はすごい雨で目が覚めるほど。
でも朝になると気持ちよく晴れている。
長野県はどれだけの雨を地面に蓄えているのだろう。
今日は母親の誕生日。
予約していた北欧料理、ガムラスタンにてランチ。
おいしかったです。
ニシンのオードブルにはディルが入ったマスタードソース添え
アボカドサラダ・生ハム・魚介etc. ヨーロッパ各地のオードブル盛り合わせ
根セロリとシイタケのスープ(これは抜群に根セロリの味わいがいい)
ホタテ・チーズ・ホワイトソースのグラタン
クミンが入ったドレッシングを使ったマリネサラダ
ライ麦のパン
コーヒーのアイスクリーム(スウェーデンで焙煎した豆らしい)
等々。
北欧料理の先駆け的なお店らしい。
本当はデザートのときに、母向けに誕生日メッセージをお皿に書いてくれるはずだったのだけれど、忙しくて忘れちゃったのかな。
お腹いっぱいになって
夕方私は散歩。
二人は座りっぱなし。よく我慢できるなぁ。
■
ここに来る前に最初の1/3を読んで、その続きから一気に読み終えた。
李琴峰さんの本
『言霊の幸う国で』
以前、私は、彼女に本のサインをしてもらうときに「おお、骨っぽい男っぽい手ですね」と言ったような気がする。
その反応が薄いというか微妙だったことは覚えている。
「いや~、その手から作品が生み出されてると思うとすごい」
なんて、和らげるつもりでいったことが、ご丁寧な上塗りになっていた。
と、いまわかる。
思いもよらなかった私の不徳。
想像力のなさ。
物事の把握の浅さ・適当さ。
そもそも単純な人間なんだけど、ここでもやっちまってた私。
私の意図とは関係なく、まずドキッとしただろうし、
周囲の無理解や埋まらない溝を感じたのではないだろうか。
これでも私は、色々なセクシャリティの人がいるだろうからと1993年頃に社内での「エイズ基本方針」を作ったのだ。健康管理セクションから、こういう方針を社内へ明示することが、いるかもしれない人達に伝わるメッセージになるのではないかと思っていた。
当時、会社にできる、もっとも具体的な、個人のプライバシーを守る策だと私は思っていた。
その後、部署が変わり、その方針がどのように扱われているかはわからないし調べもしなかった。社会的常識にもなったのでお役御免になったのかもしれない。身近に男・女に収まらないセクシャリティを暗に仄めかし、ある面、売りにしている人もいたので、私自身もこの会社も、セクシャリティについては結構自由な状態だと思っていた。
そんな私に、この本はとても丁寧に、日本や世界の状況、昨今の主要な出来事、歴史を説明してくれる。橋渡しをしてくれるような本だと思う。
今回書籍を読みながら、大きく2度驚いた。
十分、LGBTQについて理解できない私にも理解できるよう、作品中に懇切丁寧に説明がある。とはいえ、一度読んだだけでは理解しきれていない。何度か読んでも、どこかに体験や具体例を深く知る経験がなければ、理解できないものは残るだろうとは思う。でも読む前よりは前に理解が進んでいる。
文学的な価値は感じた。現在進行形で複雑な価値転換(転換ではなく、理解にすぎないかもしれない)が起きている実態を、フィクションとノンフィクションをかき分けて、ひとつのストーリーにする価値を。
個人についての小説でもあり、社会における存在論でもある。
同じとき、もう一冊『WEYWARD ウェイワードの魔女たち』を購入した。この2冊には共鳴する部分がある。社会のなかの大勢と異なる価値観や能力を持った人が、その社会の抑圧に押しつぶされず自分の生を取り戻す。そのために何年の何十年もかかる。それが共通点。
李さんの本でも魔女扱いされているという記述があったけれど、魔女が使っていたという薬草はいま治療法として使われている。第六感といった説明しがたい能力も、だんだんと一般的に理解されるようになっている。何か社会に必要なものを、李さんが皆に先立って求めてくれているように思う。
20240807 Wed.
母が宅急便で送ったトレイにラベルをつけたり、一昨日来た冷蔵庫の扉が壁に当たるのでそのクッションなどを買いたいな~ということで、100円ショップへ。一番近いお店はイオンのなかにあり、これまで行ったことのないイオンへ。
そしてその近くに新しい蕎麦屋さんを発見。おいしかった。
蕎麦はおいしい。ごぼう天もとても美味しかった。
ふらふらとしているようだが、必要なことをちょうどよいタイミングに済ませることが出来て何より。
20240808 Thu.
今日はエネルギーが最大になる日、らしい。
私の場合、ネガティブエネルギーが最大になってるみたい。
昼前後は一人でWiFiオフィスで2-3時間過ごした。
午後は散歩に出かけた。
40-50分。
母との接し方を私が変えないといけない。
母は徐々に認知が変化しているのだ、いままでと同じではない、ツーカーではない、日によって変わる、キャパシティが変わる、ずれていても、母は自分としての人格はあるし、ちゃんとやっているつもりだ。
それを「そうじゃなくて」とか、強い口調で説明されたりすると、怖くなる、怯える。元気であれば反発を感じる。
そういうことが起きている。
些細な違いなのに、やり方を変えさせられたりすると、いやな気持になる。
もともと運動が嫌い、必要以上に運動に構えがある母。やるのは面倒くさいし好きじゃない。私にあれこれ、これをやったほうがいいと言われるのも嫌、という状況。
母は読書が好きで熱心にやるのはいいが、同じ姿勢でずっと続けるから肩も股関節も硬くなっている。足の筋力、とくに内転筋は弱り切っていて、最近3か月ほど顕著に立ち上がるのがおっくうになっている。歩いてもすぐ疲れる。
マッサージしたりストレッチすること自体に、疲れを感じるみたい。
でも私からみると、筋力低下とくに脚力低下が頭がぼーっとする状況を作っているように見える。
よかれと思って私が言うことは、マイクロマネジメントにしかなっていない。
母の体は母の責任範囲。
だから勧めることは出来ても、やる・やらないは母の自由だ。
私はそこまで責任を負っていない。やらせることは出来ない。
そう考えればいいのだけれど、顕著に弱ってきていて放っておくのは罪のような気がする。
でも私が勧めても、頭では理解するけれどやりたくないし、重ねて言われると感情的に聞きたくなくなっている。
ぐるぐる・・・
断ち切らなくては。
20240809 Fri.
縄文の湯へ
この市営の温泉は小さな半露天風呂もついていて、外気にあたれて気持ち良い。だから毎回行くのだけど、今回、4,5年ぶりに休憩所での蕎麦提供が復活したのが嬉しかった。それほどお腹が空いていたわけではないが、復活記念に冷おろしそばを食べた。
シンプルな蕎麦。かつても、湯で具合にしろ、そばつゆにしろ、美味しかったのだ。それと信州ならではなのだろうか? 温泉のあとの蕎麦、なかなかよい。確か530円。
以前は400円しなかったような気がする。世の中平均で考えたらこんなものだ。ここはビールはない。
地震?驚いた
たまたまラジオをつけていて緊急地震速報が流れて「なんだ? 神奈川県か」と思っていたら、2秒くらいして長野も揺れた。震度3。
丸々一週間、妹が休みを取ることが出来て、ゆっくり滞在できると思っていたけれど明後日はもう帰宅日だ。
20240810 Sat.
コインランドリーへ
なかなかスッキリ乾かない洗濯物を乾かしたり、タオルケットを数枚洗う時にとても重宝している。隣接したカフェのソファで飲み物やサンドイッチを注文してネットをみたり本を読みながら待つこともできて、私達はとても気に入っている。
妹と散歩。
妹は両方の気持ちを理解して話してくれるが・・・。
実家へ帰るのを週1より頻度を落とした方がいいと思う、という点では一致した。
でも妹が
「”月1”でも社会的交流が多いから大丈夫だよ」
というのに私は反応してしまった。
「月1がいいかどうか、頻度はいろいろな考え方があるよね」
と。
妹はそこで防衛的になった。
はぁ、妹と喧嘩したいわけじゃない。
でも頻度を落として様子をみようでいいんじゃない?
お正月帰るのが精いっぱいな妹に、月1で大丈夫といわれたくない。
そんな風に自分の感情が反応してしまった。
もうちっともいいことがない。
私のカルマは身近な人との人間関係づくりなのかな。
ちっともうまくいかない。
40歳のころ、アルプスの少女ハイジのおじいさんのような、世捨て人になってしまう恐怖を覚えたのだけれど、それはいまも変わらないな。改善したように思っていたけれど、やっぱり変わっていない。
妹と話していて、「体を動かすと気持ちがよいというけれど、私も母もそれを感じていないと思う」と言われた。
気持ちがよい、という定義が違うのだろうか?
別に素晴らしい感覚になるわけではない。だけど快感を覚える。
素朴な感覚なのだけれど、母や妹はこれがわからないのだろうか?
運動音痴だった私は、中学のときの体育の女性の先生が教えてくれた体操や高校以来やった水泳で感じたことなのだけれど。
20240811 Sun.
今日も朝から否定から入った私。
なごやかに始まったのだけれど、
母が紅茶ポットに入った茶葉を台所の窓から捨てようとしていて、でもそこは窓の柵が狭くて紅茶ポットは通らない、急須は通るけど。だから
「ここはできないよ」
と言ってしまった。
はぁ。
口調?
柔らかくやさしく?
□
掃除をしているとき、それまで掃除機をかけていた私に、
「和室は掃除機をかけるよ」
と妹が言うので、
「じゃぁ私トイレするからお願い」
と、使っていた掃除機のコンセントを和室に差しにいったら
「お姉ちゃんがやる(やりたい)なら、私がトイレするよ」
というので、
「いいっ、和室お願いっ」
と言ったら、妹に
「お姉ちゃん怖いよ」
と言われた。
母は
「これは動かしていいかしら」
と、床を拭く際、車輪付き5段プラスティック棚を動かすのにも声に出して聞いてきた。嫌味? なんで聞くの?
もうすごくいやだ。
一生懸命やっているのは確かだけれど、ちっとも楽しくない私のやり方。
楽しめていない。その場が楽しい場になっていない。
これってすごく悲しい。
■
昨晩から一生懸命やって、ずっと1位の背中を追いかけてきたところを抜いて、今日は相手が根負けした。Duolingo ダイヤモンドリーグの決勝で1位になった。別に1位を取らなくてもいいのに、案外やる時間があるもので意地になってやった。データ通信料は5Gを越えてもお構いなし。
ポイントを効率よく稼ぐために、本末転倒ともいえる当初のフランス語学習をスローダウンさせて、英語ベースで日本語を学習して点数稼ぎをした。
退屈な面もあるが、英語の勉強になったし、思いのほか漢字の成り立ちでこれまで意識していなかったことを意識するようになった。
例えば、物という字、この偏は何という? 牛偏?
新聞、新しいことを聞く、門がまえに耳、これはいいとして
時、これって日と寺? なんで寺? それとも土と寸?
英語は、とても初歩的なことだけど、often や sometimesが入る位置がよくわかっていなかったけれど、沢山類似した問題に答えることで感覚的につかめるようになった。
I sometimes play PRG games.
He often do yoga.
まだよくわからんのは、前置詞の有無
I do Judo
I do cleaning.
I go to the concert
I go to school
I'm going to wait the bus with my dad
I'm going to wait for the taxi with my parents
あと、みそかつ。なぜか名古屋について、みそかつがしつこく出てくる。
miso pork cutlets
であって
pork miso cutlets
ではない
この後はどうしようかな。
まずはフランス語メインに戻すとして、
ダイヤモンドリーグの通常メンバーで長く居られるように維持するか?
リーグのことは気にせず完全マイペースか。
英語発音アプリのELSA Speakは参加モードを選択できる。競争モードだとリーグ戦、そのモードを外すと個人で淡々とワークをやる。張り合いはないけれど、ひとつひとつの発音をちゃんとやろうという気持ちになるので、今のところ15分づつ続けている。
■
山荘を片付けて帰宅。
今日の夕方から、ここへ従弟が来る予定。それでも念のためすべて戸締りをした。
その際、今回丸々1週間いて整理がすすみ捨てるものが多かったので、ゴミだけをまず妹と捨ててきた。
母が最期の片付けをして消灯して、私達の荷物を玄関近くに寄せて鍵をかける寸前までやってくれたのだが、テーブルの上には、私が持ち帰ろうとしていた物や、最後どうするか決め切っていなかったクッキー缶が残っていた。
慌ててそれらを片付けて出てきたのだが、そのとき電気を点けずに作業したので、どうやらボールペンを置いて来てしまったみたいだ。
母がやってくれることは、意図があって良きことをやってくれるのだが、短期記憶が弱くなっていて、こういうことが起きる。
私も抜け漏れがある。
「あっ」となる。
それを平然とあたり前のように対応して、困らないようにできるといいなぁ。
今回、平然とは対応したけれど、自分のボールペンを忘れてきてしまった・・・。
■
特急あずさで、もわっとした新宿へ戻ってきた。
はぁ。
3人ともホッとしているだろう。これから自分のペースで生活できる。
20240812 Mon.
先週はことごとく、全ての読書会を欠席していた。
久しぶりの朝読書会。
今日で縄文についての本が終わった。
『新版 縄文聖地巡礼』
若いときには理解できなかった中沢新一の難しい話が、本人の語り口が変わったのか私達が成長したのか、だいぶ理解できるようになった。それが嬉しい。坂本龍一は、シンプルな言葉で本質を伝えてくれる。
この本を一緒に読んだ4人で、本に記載されている遺跡にいってみようという話が持ち上がっている。まずは福井・敦賀あたり。本を読んだだけではわからない、その土地に立ってみる体感、そこでわかる史実、それを踏まえて本の内容がさらに深まるかもしれない。楽しみ!
昨晩は良く寝たように思う。
夕方16時に待ち合わせがあるのに、昼過ぎにうたたねして(目覚ましをかけず)気づいたら15:25だった。
先方に30分遅れると伝えて、早い電車に乗ったら急に行先変更。
で、路線を変えて何とか33分遅れ。
三ツ沢公園の市がリードする再開発案に意義を持って活動している人から、神宮の話を聞きたいと言われてお会いすることになった。
三ツ沢の活動HPを見てみると、とてもよくオーガナイズされていて立派だという印象で、こちらから何か情報提供したりアドバイスすることはありそうもなかった。神宮の活動にときどき関わっているだけの私に何がお話できるのだろう?
そんなことを思いながらのミーティングだった。
結果、その人は神宮の内情を知りたかったのと、自分の活動に対して客観的な目線をもたいたかったらしい。何かと比較して、評価をしたかったのだろうと思われた。
さらには、自分の良いやり方を(ふがいない)神宮で発揮しようと思ったかもしれない。ま、ここは100%私の推測だ。
その方にとっては、神宮だけでなく神戸王子や京都植物園、渋谷の緑道などなど、様々な形があることが刺激になるかもしれない。そんなご紹介をしておつなぎすることになった。
話を聞きながら神宮外苑の活動について思ったこと
20240813 Tue.
ほんと暑いなぁ
ぐずぐず過ごした。
不在中に、PC修理が終わり、宅配業者が届けようと毎日数回届けてくれたらしく不在票が3枚入っていた。申し訳ない。
電話して今日の受け取りにした。
新品と変わらないくらの修理費用が痛い。けれど、なんだか新しい製品に変える気にはならなかった。
冷却ファンだけの問題のようなので低額ですむと思ったら、マザーボード取り換えとなり高額とななった、主要部品が一体となっているから、不具合が1カ所だけでも全とっかえなんですね。
母とのことも、このPCも、
マザーボード同様に、ベースを入れ替えないといけないのかもしれない。
ベースを入れ替えることで、やっていけるのかもしれない。
大きく入れ替える必要があるのだろう。
一体どのように? 何をもってそれが為せるのか? いまやれているのか?
中途半端にしがちな私はどうしたらいい?
■
昨日の話を、どうまとめたらいいのだろう?
誰にどういう意図で伝えようか?
あの方を、全国の緑に関わるコモンズグループにおつなぎしたいが、
誰のルートで?あるいは私から直接?
どのように?
伝えたらいいのだろうか。
20240814 Wed.
ビワイチ、と称して本を読むイベントを琵琶湖線で行うというアイディアが明日実施される。これに参加したいと思っていたのに、前日になって用意しなくてはいけない書籍のことを忘れていたことに気づいた。
2年前のバックナンバーなので今日の今日では手に入らない。
そもそも琵琶湖一周が140円、そこに100倍の片道新幹線を払っていくのはどうなのか、思い切った遊びだなと思っていたところ。(企画者は京都の人)
気になっていたけれど、準備が伴わなかったわけだから当然だな。
なんだか、あれこれ気になり、ちっとも焦点があっていないようだ。
■
目的意識が希薄だと気付いたのが、20代か30代のころ。
身に滲みたのが40代のころ。
少し意識するようにしてきたが、50代半ばで色々目標を手放した。
フリーにやってきて60歳になる。
何らかの目的意識は必要だが、何に合わせたらいいだろう?と思う今。
遺伝子を残すことはないが、何か生きた痕跡を残したい。
無理なことに照準を合わせてもだめだ。
でも全てわかっていることにするなら、すごく狭い範囲になり、死なないように生きることになってしまう。
■
千代田区立の図書館のひとつ、日比谷図書館へ。
先週、一緒にコンサートへ行った友人がここは江戸に関する資料が沢山あると教えてくれた。
調べたいコト
・江戸の街の成り立ち
・江戸が選ばれた理由や特徴
・水脈
・神宮外苑がなぜあの地になったのか
等。
開架書架に並んでいるだけで、面白い本が沢山ある。
その場で読んで、疲れてカフェで休憩して、また読んで、借りて帰った。約4時間。
本が充実していて、居心地がよい図書館だった。手に取って読むスペースが何か所にもある。
区民でなくとも、日本に住居があり身分証明があれば5冊2週間まで借りることができる。
名称も実に、日比谷図書文化館!
本を探したり読むだけでなく、
勉強している人達も大勢いてOKらしい、予約席もある
有料データベースを契約していて、それを閲覧できる
カフェが建物地下あり軽食もできる
なかなか素晴らしい!
江戸や東京について本を漁って面白かったこと
面白いなぁ。
受取ることせ精一杯、楽しいと感じることで精いっぱいで、
それをまとめたり、人にわかるように説明することをとてもおっくうに感じている。
だけどそれが出来ないと、自己満足に終わっちゃうんだよなぁ
どうしよう。
■
自由な身、まだ何とか体力はある、
人生これ以降よりも今日が一番若い。
そんな60歳。
その割に方向が定まらないフラフラ感がある。
方向が定まらなくてもいいじゃないか?とも思うが、ふたつの間で揺れる。
揺れるものかもしれない
そもそも、ふたつの間で揺れて当然なのかもしれない
方向を定めよう、と思い、結婚したけれど、うまくいかなかったなぁ
自分の勉強を進め、そこに夫の農、さらに自然と人材育成のアナロジーを通じて、夫と生活をつくっていこうとおもったけれど
現実はそうならなかった、出来なかった。
もともとの基盤となる人間関係を作れなかった。
結果、結婚したかったからしたのかな? と思わざるを得ないような事態。
でもそう思うことは自分に対して申し訳ないな、とも思う。
そんなふうに単純に見なくたっていい。
揺れているなと気づいてさえいれば、どうこうしようと思わなくてもいい、きっと。
いま気になることは何だろう?
自分の特徴を理解して、強みをいかし、弱みをわかっていよう
それを補ったり人に助けてもらったりしよう
そのベーシックなところに、留まろう
これ以上いじってぐちゃぐちゃにしないで。
<リソース>
・時代的に結構恵まれて育った(それが当たり前と思っていた)
・自分の家は貧乏だと思って育った、いま節約生活ができるマインド
・好奇心がある
・自分なりにセンスをつくってきた
<不満・不足・不安>
足りないことは状況だけまず捉えること
不安はまだ起きていないことに対して抱くもの
そこは現実がどうかが最重要
・身近な人間関係をうまく築けない
・インプット過多で、アウトプットが少ない
・すばぬけて頭が良いわけでなく、素晴らしい成果は出せない
・興味が散漫。あれこれ気になる
(幕の内弁当みたいで、牛肉弁当のような強いキャラクタでない)
・目的意識がないわりに、目的を作ってしまうと妙に頑張りすぎる
その結果、仕切るような態度に受け取られる行動をしてしまう
■
夜、結婚するきっかけになった出会いをアレンジしてくれた人から久々のメッセージが入ってきた。
元気かということと、今週末の古巣の合唱についての問い合わせ。
ああ、こういうタイミングに、こういう連絡が来るものだな。
彼女が紹介してくれたご縁で私は結婚したのだった。
昨年までの決断を今年秋までには報告しようと思っていたところ。
問い合わせに答えて、ついでに離婚したことを伝えた。そろそろちゃんとご報告しなければと思っていたとお詫びかたがた短めなメッセージを送った。
20240815 Thu.
朝読書会 ベイトソン『精神と自然』下巻
最初は遺伝について。
体細胞の変化が、どのように世代を超えて遺伝するのか。
ラマルクが提唱した遺伝についての知見は、誤解多く伝えられている。
少なくとも弱肉強食(ダーウィン)は誤って受け取られている
弱い人間が、強い人間よりも勝った
獲得形質・体細胞の変化、遺伝の変化、環境からの圧力・単なる突然変異(偶然)・タイミング
ラマルク「獲得形質が遺伝する」とは言っていない、「要不要説」
環境変化があると変異は起きる
突然変異は頻繁かつ偶然に発生している
何重ものホメオスタシスがその発現を抑えている
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午後、展覧会に行く前に修理されたパソコンを使おうと思ったら、そうだ、MS360アップデートしなくてはいけなかった。うーむ、色々面倒だな。
朝から渋谷TSUTAYAは賑わっている。スクランブル交差点まで行くと、TSUTAYAが入っているビルは10時前にすでに開いていて、スラムダンクの展示・販売をしていた。大勢若者が集まっている。
ふふ、早起きの老人が集まるのと変わらない。
■
午後からは内藤礼の展示@上野へ観にいった。
何度かPRを目にして、さらに友人にリマインドされて、いく気になった。
縄文や美についてのプリミティブな感覚に近い展示らしいのだけれど、内藤礼という方の展示を初めて見るので、どんなものか、あまり前提なく行った。
今月から日時予約制になっていて、それは良かった。大勢で見るより少人数がいい。
展示そのものは、最初の印象は、何だろう? これが芸術? 美術?
素朴すぎる、これを見るために1500円払ったのかという気さえした。
どこかで拾った枝、
もともと東博で持っている遺跡からの発掘物、
何も作りこんでいないようなシンプルな板、
天井から吊り下がった毛糸玉やアクリルの透明な玉。
意図的に触ってはいけないのだろうけれど、見学路につり下がっている展示物のあるものには、気づかなければ触れてしまう。そのくらいさりげない。
会場は3会場に分かれている。
第1会場は、細長い部屋。左右対称に位置づけられる展示。
基本的にここに全展示物の要素が出ている。
えっ、これだけ?
と思ってしまったところ。
内藤礼作品の初心者へのご挨拶なのか。
第1会場と第2会場は離れている。
東博を良く知っている人にはわかるだろうけれど、第一会場は平成館、敷地の左奥にある建物。第二会場は本館の正面入り口近く。へぇ本館から平成館って館内をつたって行けるのか、と初めて知った。そして途上では本館の日本古来の美術作品や埴輪などを見ることも出来る。
えっ?
内藤礼の作品展って、東博を知るという仕掛けでもあるのかしら?
第二会場は、見学待ち列が出来ていた。えー、待たされるの?とちょっと嫌な気になった。毎回3,4人づつ入っていく。3回くらい待ってから入場。広いホールや講堂のような場所に作品が点在している。
おお、ここは人が作品を見ている様子も空間の構成物に見える。
あの女性二人組はそれぞれが白または黒でまとめたファッション。アートっぽい人、普通の人、立って見ている姿が空間内に点在しているだけで、ちょっとした作品になっている。これ、写真に撮れないけれど、面白い。
実際、会場の一部は、高さ10センチくらいの木の台が据えられていて、そこに座ったり、靴を脱いで上がることが出来る。
展示されているものは、長い壁2面に、それぞれ手前から奥に向かい一方方向に並べられたスケッチ帖のような、色彩の変化をつづった絵。奥の短辺の壁にはまぶたという作品。床面には、遺跡や、石ころや、枝、毛糸玉など。。。
普通は展示は腰高にあるけれど、ここでは地面から20cmくらいの低い位置にある。それも不思議。しゃがんでみているひともいるし、だいたいかがみこんで見ることになる。目の端に入るというより、見ようと思ってみる感じ。
第三会場は、本館の入口とは反対の庭園に面した奥のアトリウム。そこにメインはガラス瓶をふたつ重ねて、上の方には水が表面張力ギリギリまで入っている。宣伝の写真通り、窓越しに外の緑が見えて、何か意味ありげな存在感を放っている。他に、小さな鏡と称するリフレインしているもの。でもそのリフレインには気づかない。だって壁がそもそもモザイクタイルで埋められているから。探さないととの鏡は見つからない。
内藤礼ワールドに身を置いてみて、なんとなく触れたような、何か自分が感じ取ったような気がするけれど、実際それが内藤さんの意図が反映されたものかどうかは全くわからない。
特に印象に残ったのは、だれしもそうであろう、足形がついた土器の遺跡。その小ささに、幼児の存在を感じて儚く思う。どんな思いで足形をつけたのか、ついてしまったのか。その存在は確かに伝わってくる。この間、何千年?
美術館の展示ケース枠に突き刺さったような枝。
これは長野で実際に斜めに突き刺さっていた枝を思い出させた。なぜあの形になっていたのか不思議だったのだけれど、これもなぜ、ここにこの枝を置こうとおもったのか、不思議だ。展示ケースの枠の外。
そして第二会場の見ている人と、作品と、建物全体がつくる空間。
ずっと居てもいいかもと思うような空間だった。ぼうっと眺めていても、少しづつ変化があるから飽きない。講堂の2階の窓から入ってくる日差しが、長くいれば変わるのだろう。朝はどんな感じになるのだろうか?
30秒の展示会紹介動画(↓)
会場間を移動する際に、本館の常設展示をウロウロ。中学の先生の曾お爺さんの絵があったり、美術の教科書にあった高村光雲の彫刻があったり、伝統工藝、遺跡からの発掘されたものなど、様々。そのなかで、浮世絵をつくるときのように、スタンプを5,6回重ねて台紙に押してつくる企画は人気だった。同じ写楽の作品を2カ所で押せるようになっていてどちらも人が並んでいる。シャチハタのスタンプだった。いい仕事しているな。
もうひとつ、蒔絵を施した文箱を模した、組み立て図面をダウンロードする企画も人気だった。図面が描かれた、組み立てシートをダウンロードする、というものだ。プラモデル感覚。これの面白いとところは蒔絵の模様が、いま作品を作っているデザイナーの作品が10種類くらいあるということ。これは新しいデザイナーのエンパワーメントとしてもいいなぁ。
内藤礼の展示の裏の意図は、きっと東博の常設展をみよう、だ。
まんまとハマった。
常設展を目的にすると面白くないかもしれないけれど、見ているうちに面白くなってしまうってやつではないだろうか。
今日は本館2階までいく元気がなかったけれど、ぜひ今度は、高円宮殿下があつめた根付けコレクションや茶の湯の展示を見てみたい。今度、神護寺へ来るときに、この本館へ行くことも想定して来ることにしよう。
お腹に入れる食べ物を持参して外のベンチで食べてもいいし、
敷地内に来ているキッチンカーで買ってもいいし、
法隆寺宝物館のレストランで豪華に食事することも可能な場所だ。
スマホはメーカーも変えて良かった。少し機能に差があるし、インターフェースの雰囲気がちょっと違う。
この半月は重かった。
自分はどういうことに時間を使い、何をして生きていくのか
自分は母に快適に暮らしてもらいたいと思って行動しているが、母との関係をどのようにいましてしまっているのか、どう変える必要があるのか。
PCは修理中で、結局マザーボードを変えることになった。中身総とっかえ。
スマホは、ちょうど時期にあたり、機種変更。
一番重いのは、こんな思いをしても何も自分が変わらないことだ。
わかりやすく変わって、現実も良く変わっていったらいいのに。
うーむ、この方向性は日々の行動にかかっていて、結果は年末ごろわかるのかもしれない。
それと、かつて私が接した人への、あまりに口から出ただけの言葉が、事態が見えてくるととてもひどいものであったに違いないこと。今やその人には何の影響もないのだろうけれど、沢山経験した傷つきや居心地の悪さのひとつであったことは間違いない。
あちこちボロボロだなぁ、私。
いや、ボロボロと思うのではなく、取り組むテーマがあると思おう。
目の前にプロジェクトが転がっているってことだ。
そう思えば、人生楽しいじゃないか。
noteから書籍になったこちらのしんめいPさん
いまどんな景色を見ているのでしょうか
最後まで読んでくださりありがとうございました!
すこしづつ秋の兆しが感じられるようになってきてませんか
良く寝て、ちゃんと食べて、明日をむかえましょう
revised without changing the purpose of the text at Aug. 21.