2024年2月前半
立春を迎え、空気は確実に春の兆しを含んできた。
20240201 Thu.
朝読書会
→銀行、通帳を新規発行し、口座間でお金の移動
→日曜日に参加する読書会の本を購入
今日はそれだけで終わった。なんだかなぁ。
朝の読書会はそれなりに中身が濃く、居心地も良かった。
だけど依然として自分の不全感がうっすら漂う一日。
一月から続いているのかな。
昼間の空気は、まだ冬だけれど寒くても角が取れかけていて若干丸くなってきた。春に近づいている。夜は風が強くて寒い。
不全感が沸き起こる理由は、何となく生きているからかもしれない。薄い命を生きてる感じ。とりあえず幸せに生きることは出来ている。きっと今後もキープできるだろう。でも……。
手ごたえがないと生きている感じがしないのか、生き方が生ぬるいと感じるのか。その辺はよくわからない。例えたら、マニュアル運転に馴れているのにオートマで運転してると、"運転している実感"を持てないのと同じ。
生きている実感がないってこと?
いやいや、ちゃんと生きていて、死ぬときにはきっと生きていたことに愛着を感じるのだろうよ。
薄味の料理のようなもの?
健康にはよいが、ガツンとインパクトがないってこと?
薄味の料理を好きな人も居るし、それが高級だと思う人もいるし、野菜の味が生きていると思うひともいるし・・・。様々なバリエーションがありえる。薄味が悪いわけではない。いま私が味わっているものが、他のものだったらいいな~と思っているのだろうか。
うーん、料理の例えが一番しっくりくるような気がする。
いま、この瞬間の自分の生をしっかり生きるのでなく、ほかのものだったら良かったなぁとぼやいている?! いまここをしっかり生きていなければ、濃さを感じないのも当然だよな。
■
最近目にする女性関連の話。
・JAL社長:JAL初、航空業界初の女性トップ、合併会社出身。
・某証券会社の支店次長:知り合い。話をきいたらとても軽やかだった。
・某証券会社の副社長:知り合い。中高生の頃、同じピアノの先生に習っていた人が、いまや大手證券の副社長になった。その人も軽やかな雰囲気をまとっている。決して中身が軽いとかではなく、長年ビジネス世界にいた人にあり勝ちな澱のようなもの、鎧のようなものがなく、等身大。
JAL女性社長がどういう人柄かはわからないが、日の丸を背負い、つい先ごろまで稲盛さんが再建に関わっていた超重要用企業のトップに女性が着いたのは、多様性がひとつ実現したこととして喜ばしい。
私が人柄を知る二人について仕事のことは知らない。しかしコミュニケーションの取り方から類推するに、男性メンバーと性別をあまり感じさせず、さらにいえば年齢もあまり感じさせず、仕事そのものにフォーカスして話をできるのではないだろうか。
評価されるためによいことばかり述べるのではなく、胸襟を開き、良いことも悪いこともつまびらかにして、本質的な話し合いができるのではないだろうか。
バリキャリかそれ以外か、という時代を過ごした私には(実際にはその間のグレーゾーンは幅広くあったのだが)、自然体な女性ビジネスパーソンに希望を感じる。
20240202 Fri.
本『なぜ男女の賃金に格差があるのか:女性の生き方の経済学』を読みながら、電車にのってる。日曜日に行うABD読書会での、サマリを事前に作るため。私が担当する部分は、ピルがどれだけ女性が自分の意志で人生を歩むかどうか、選択肢を選ぶ環境づくりに寄与したかということ。
このときピルだけではない。望まない妊娠への救済サポート、妊娠に関わる科学の発達で妊娠メカニズムの解明、女性の進学率の上昇とそれに連なる就業率の上昇、女性の職業の拡大、就業や結婚年齢上昇に関与したか、などが複合的に進んだ。
15-20年くらいのスパンで、女性の意識や実際の就業データが変わってくる状況が作られた。大昔は何十年も何百年も変わらなかったのに、祖母と母と娘、それぞれが異なる環境で、異なる選択をし、異なる人生を歩むようになったのだ。
それはとてもすごいことだ。
しかし、どうもこの本は、私がイメージするような「なぜ男女の賃金に格差があるのか」には答えてくれないような気がする。明後日、分担してサマリしたところを全部きいてみないとわからないし、ほんとのところは自分で読んでみないとわからないだろうけれど。企業で働いていて、働いているうちに同じルールになったはずなのに、結果として男女の賃金に差があるように思うのは、私の幻想なのか、実際にそうなのか、実際そうなら何故か、それを私は知りたい。
この著者は2023年ノーベル経済学賞を授与された。きっとこれらを網羅的に、頭の固い男性も含めた多くの人の目に留まる形にまとめたことに功績があるのだろう。データが多く、説得力のある本だ。
海老名のほうまで、JRと相鉄線乗り入れで行ってみる。海老名は駅近からマンションが建ち、ファミリー向けのショッピングエリアや飲食店が沢山並んでいて、住みやすそうな場所。
夕方、あまりにお腹がすいて駅そばを食べた。温かくて美味しかった。
一駅遠くから歩いて帰った際、近くの蕎麦屋さんが開いていた。あぁここで食べたらお店のためにもよかったなぁ。
曇っていて、それなりに寒い。空気は春の兆しが感じられる。
今日は10年前に入籍した日。
20240203 Sat.
15時に神社へ行き、16時から節分会のお祓い。16:30から豆まき。
昨年初めて豆まきに来た神社で福男・福女を募集していたので応募した。
還暦を迎えるのにふさわしいではないか!
準備といえば初穂料のためピン札を用意することくらい。
集まった人たちは、厄年の方々、辰年の方々。約20人。
女性のほうが若干多い。
袴や着物姿の方もいらして、平服で来た私はちょっと申し訳ない気持ち。
豆をまくときは裃風のものを身に着ける。
神社とかお祭りとか、和の集まりは、集合時間が随分早い。16時からご祈祷していただいて、その流れで豆まきを行うのだが、15時集合してそのまま待っている流れだった。1時間前集合って長いな。15時集合と言われれば、その10分前くらいには集まらなきゃと思うわけで、結果、1時間以上待ち時間だ。
待っている人は20人くらい。男性より女性のほうが少し多いかな。厄年・辰年の人が集まっているはずだが、年齢が・・・不詳だ。目の前に座っているこの男性は、48歳なのか、60歳なのか、72歳なのか? 48歳ってことはないな。自分と同じ歳とも思えない・・・。斜め前の袴姿で口ひげを蓄えている方は、わりと若く見えるが貫禄もある。60歳なのだろうか。
隣にいる女性は、細くて小さくて、正直勤労女子という感じ。同じ歳だろう。待っているだけなので退屈、周囲の人の観察もそこそこで終わる。袴1人、着物1人、洋服だがわりとお洒落している人数人、私のような防寒も意識した平服は半分くらい。
同じような服装の、正直勤労女子が話しかけてくれた。「豆まき初めてですか?」 私も「みなさん、きちんとした格好をなさっているけれど平服で来てしまいました」 そこからしばらくこの方とお喋りして時間を潰した。「きっともっとお若いと思うのですが、私はもう還暦なのです」とその方が言う。ちゃんと髪の毛も染めていて、私のようなグレイヘア(要は白髪)が年下なわけないじゃん、と思いながら、その社交辞令に敬意を表しつつ「いえいえ、それなら同じです。私も辰年で今年還暦になります」「えー、同じなんですか」 しらじらしい会話だが、年齢というものはここまで気を使うものなのだろうか。
黙って待っているのも面白くないので、その人とお喋りすることにした。還暦に何か記念になることをやるつもりなのか、とか、近くに在住してこの神社と関係が深いのか、など会話の穂を紡いで20分程。世間話ってなかなかなぁ。何を話したか、面白かったかとか、消えてなくなり、単なる時間つぶしになっていた。「昨年、豆まきに来て、お菓子を取るのが難しかったです」ってことが唯一体験談として役立ちそうな話題提供となった。
15:45頃から、本日の流れについて神職さんから説明を受けて、防寒を推奨された。初穂料を個別にお渡しして参加チェック。このとき年齢順に84歳、72歳、60歳・・・と呼ばれる。ここでは個人情報など関係なく、年齢の順番に本名で呼ばれて列をつくる。先ほどの袴の貫禄紳士も、目の前にいた男性も、みんな同い年だった。
本殿に移りご祈祷を受ける。太鼓を叩き開始を告げる進行役の神職、神主さん、神主さんの補佐をして神様にお神酒を供えたりする神職の女性。3人がご祈祷に関わっている。
式の流れは、新年のご祈祷とほとんど似ている。神主さんが祝詞を上げるところで、いつの間にか自分の名前も呼ばれていた。本殿前の外にも、集まった人がともにお祓いを受けている。本殿にいる私達は、直接榊を神様に捧げさせてもらう。12歳となる小学生も3人いて、その子らの正式な式典のなかで緊張している様が、また可愛らしい。
ご祈祷が終われば、いよいよ豆まき、本殿から神楽殿へ移る。昨年確かにここから福男・福女が4,5人づつ、5組くらいが順々にお菓子を撒いてくれた(2023年2月4日参照)。
子供が前列、大人はその後方に並ぶので、なかなかお菓子を取るのは難しい。昨年は遠くまで投げてくれる人も少なかった。だから私はなるべく遠くの人に渡るよう、投げるつもりだ。先に豆まきをしている72歳くらいのおじいさんや、袴姿の還暦氏が、力強く遠くままで投げていてお上手だった。順番待ちで控えていた私達は、その人達が終えて戻ってきたところで「上手でしたねぇ」と声をかけ、私達も遠くへ投げようと誓いあった(おおげさ)。
掛け声は「福は~うち」のみ。この神社では「鬼は~そと」とは言わないそうだ。
開始を待つときから、子供たちは「お菓子を早くください~」、「ここへ投げてください」などと図々しさが目立っていた。前列に並び、もらって当然という感じで沢山ゲットしていく。小袋に入ったお菓子は、遠くに投げようと思っても、空気抵抗のため思いのほか遠くまで投げられない。結果、近くに構えている子供達に沢山お菓子が落ちていく。
神職さんが「お菓子をもらった子供さんは脇へ抜けて後ろに並び直してください、みんなにお菓子が回るようにしましょう」と声をかけているにも関わらず前に陣取り続けている。それも大きな紙袋の口を拡げて。手でキャッチするより遥かに効率よくお菓子をもらえる。神職さんが「もうもらったでしょ、他の人に譲ってね」と袋の中身を見るものだから、子供は一旦脇へ離れるが、お菓子を親に渡して、空の袋をもってまた前列に入ってくる。
大人たちは、さすがに子供を押しのけるわけにいかず、後方でお菓子をキャッチしようとしている。昨年は神職さんの呼びかけがなかったので、大人はずいぶん控えめに、取れたらラッキーと思う状態だった。今年はマイクをもって呼びかけてくれるので、大人もやる気満々だ。自然と、人垣がだんだん神楽殿に迫ってくる。その様を舞台上から見るのは、なかなかな眺めだった。しかしさすがにそこからスマホ撮影するわけにいかず。
やれることは、満遍なく、遠くにいる大人にも投げること。そして満遍なくの一貫で、前列の子供にも投げてあげること。実は妹が来ていたので、人混みのなかで姿を探し、見つけた方向へ何度もお菓子を投げた。背が低いので、その前にいる背の高い人達に度々ブロックされてしまう。他の方向にも投げないとならないだろうから、妹がキャッチできたのか定かではないが、手元の袋に沢山入っていたお菓子を巻き終えてしまった。
早くおわっちゃったなという気もしつつ、舞台上から参集した皆さんの熱気を感じるのはなかなか得難い経験で、こちらも興奮した。実は本殿でのご祈祷では寒さに手足が冷たくなってきたのだが、ずっと外にいても、いまはぽかぽか身体が温まっている。
一連の行事を終えると妹が「お姉ちゃんが投げたのを、ひとつ捕れたよ」とニコニコしていた。それは良かった! 表参道にあるコロンバンがスポンサーのひとつになっていて、そこの美味しそうな焼き菓子を取れたそうだ。
一緒に神社を後にした。
先ほどお喋りした女性は友人が来てくれたようで、二人で帰っていった。
20240204 Sun.
今日は、朝7時からオンライン読書会、13時から横浜で学年同窓会の幹事会、14:30開始のオンライン読書会に遅刻して貸会議室から参加。なかなかの充実ぶりである。
今回のオンライン読書会は『なぜ男女の賃金に格差があるのか:女性の生き方の経済学』、本の後半を読む。同じ本でほぼ同じメンバーが2度目に会う。ドイツに在住している女性(20代後半か30代前半に見える)がなかなか面白くてオンラインごしに会えるのが楽しみだった。
本の中身に少々文句を垂れる私に、彼女は少し理解を示しつつ、「このような形で流れを知ることができて良かったし、多くの人達の努力があって今があるのだと感謝する」と大人なコメントを述べていた。うーん、こちらが大人げない発言をしたような気にさせられる。うん、確かにそうやって全体像に敬意を払うことも大事。
彼女は研究職として、きちんと意見主張ししっかりやっている様子。だから書籍に書かれたことを糧に力強く進んでいくのだろう。
私のいうことは負け犬の遠吠えなのか? しかしそこにあるリアルへどう対処していくといいのか、どう対処した可能性があったのか、私は知りたい。
男性も女性もそれぞれが持っている思い込み(アンコンシャス・バイアス)と言われるものが影響して、ふとした判断、ふとした視線、発言、行動、そして仕事の成果。それらが社会における成果や評価の材料となり、いまの状況を作っている。
20240205 Mon.
午前中外へ出たが、その後結局ずっと室内にいた。
みぞれ交じりの雨や雪が続き、本格的にはみえなかったけれど、結果積もった。
最近、関東でわりと積もった年は、2014年、2018年。
どちらも結婚と絡む思い出だ。
はぁ。
2月2日は10年前に入籍した日だった。
どんよりする。
お互いの目論見が達成されなかった10年。
捕らぬ狸の皮算用、他人のふんどしで相撲をとる。そんなことをしようとしていたのかな。
やりたいことはあったが、それをやるための基盤を作れなかった。
なんて、何度も何度も牛が反芻するように、こころの回路が動いている。
20240206 Tue.
雪の朝。昼間で外に出なかった。
このあたりは雪かきの必要なほとんどないが、日陰・建物の入口などは、雪かきしてあると安心。
家の中でちんまり過ごし、午後になってから外へ出た。
実家周辺ではちゃんと行われたそうだ。
夕方帰ってみると、道の脇に雪が寄せられていて、全く支障がなかった。
20240207 Wed.
母に預けた書類が、見つからない。
書類が届いたとき「ここに関連するものを一緒に置いたら?」と提案したけれど「いやそれとは別にわかるところへ置く」といったのに、それがどこだかわからなくなった。このあたりに置いていたはずと思う場所を私も見てみたがそこにはない。どうしちゃったんだろう?
母は探して見つからないことにイライラ・がっかりしている様子。
うーむ、預けないほうがよいのかもしれない。しかし、全て他人まかせというのもどうなんだろう?
結局、それらの書類を送ってくれたところへ、電子メールで私宛に再度送ってもらうことにした。二度手間申し訳ないけれど。明日、使うし。。。
■
雪が降ったので、土がやわらかくなっている。難関と思われるハナニラの楽園に取り組むことにした。ここは狭い場所、かつ柵があり手を動かしにくい。前回は幅40cmくらい取るのに、30分以上かかりとても疲れた。今日はもっと柵が複雑に重なっている場所を含めチャレンジ。
土がやわらかいので、シャベルを二方・三方から入れて土を掘り返すと、案外簡単にごっそりコロニーごと取り出せた。作業しにくいので、小さな球根やタネは取りこぼしても仕方ないと諦めて、コロニーを取ることに注力したら、2-3時間で全部とれた! ちょっとした達成感。
取りこぼしがあるのでどうせまた生えてくるが、何とかなるだろう。
一応、元楽園に熱湯をかけておいた。近辺に生えている木にダメージがあるかもしれないが、おそらく大丈夫だろう。
20240208 Thu.
朝読書会。
引き続きベイトソンの統合失調症の話。
■
Zoom契約。
ずっと渋っていたけれど、やはり、
10日に映画感想のお喋りをする。
これって仕事ではない、自分の楽しみのため。いいのか?
15%引きの勧誘オファーを受けても、年間2万円以上する。1か月2000円ほどかけているわけで、何か稼げるアクティビティか、意義あるアクティビティをしなくてはならないなぁ。
■
何年ぶりだろう。20年か30年前に、ここへ来た。
叔父さん達の家。
団地の5階。
脳梗塞の後遺症のため足の悪いおじさんは、時間をかけて階段を上がる。それでも平地を歩くより、手すりがあるから歩きやすいかもしれない。階段を登る負荷はある。
親戚内の片付け事のためにハンコをもらいにきた。当初は叔父さんとジョナサンで会って用を済ませようとしたのだけれど、実印そのものがよくわからなくなっていることが判明し、結局、叔母さんもいる家まで来たのだ。
叔母さんはつい最近検査入院していたのでちょっと心配。そんなところにお邪魔して申し訳ないのだが、我が家と違い、きれいに片付いた気持ちよい家だった。お茶をだしてくれて、頂きながら、手続きをざっと説明し、実印・印鑑証明が必要なことをお伝えした。それと叔父さんの自署も必要。先ほどのジョナサンではテーブルが狭かったので、ここで自署してもらった。
このあと役所へ行き、委任状を持った私が印鑑証明書を取ろうと思っていたのだけれど、時間がもう兵長時間に近く、ちょっと無理かなということで、出直そうかと思ったら、叔母さんが「これ、私でも取れるのでしょ?それなら」と言ってくださった。
■
ほっとして、母と近くの駅で温かい蕎麦を食べた。
お茶でもする?と駅へ向かったがさしたるお店もなく、駅そばに惹かれた。春菊・ほたて・小さなのどぐろを天ぷらにして添えてある。650円! いいではないですか。
美味しかった。
■
食べ過ぎなんだけれど、そこから分かれて自宅にたどり着く前、サーティーワンでいちごとチョコレートのアイスクリームも食べた。はぁ、サーティーワンいいわぁ。ここでアイスクリームを一身に味わっていると、別世界へいったかのよう。
□
3日ほど前に友人がSNS投稿していた「えがちゃん」のポテトチップが「あたおか」のお菓子だというので、ファミマに寄ってみたらなんと沢山ある。発売してからあまり売れていないのか? 2種類が5個、8個、あったような気がする。毎日入荷するのかしら?
その後、Webサイトを探すと、販売するのは2/6発売日に入荷したものだけで追加はないらしい?!
え、じゃあ、あの店は穴場なのかな。
SNS報告すると、思わぬ方から「私もアタオカ、探したけど売り切れ」とか「ほしい」などの声が。。。
はぁ、知らなかった世界。
週末に佐賀出身の方を含め4人で大人の遠足と称して京都へ向かうので、遠足のおやつにしよう。
■
本屋へ行き、パラパラと気になる本を購入。
目指していた本はなかったのだけれど、文庫本を4冊買った。
結構な金額になる。
買いすぎたなぁと思いつつ、パラパラと目についたものを買う愉しさを味わった。うふふ。
20240209 Fri.
寝坊して朝読書会に後半だけ出席。
すでにその本を読んだ方が膨大な書籍から該当部分を適宜ピックアップして日英を付けて用意してくださっていた。あとは読むだけ。
なかなか理解しにくい「思考」を分解し、かつ、段階を解明してくれた著者O・ラスキーさんに感謝。自分の思考段階が及ばないところはわからないという前提をわきまえつつ、文章としてわかりたい、英語単語の意味としてわかりたい、とひとつひとつクリアしながら登っている状態。一歩一歩。
■
国際ピザの日だそうだ。
2019年12月3日、ナポリ、ポモドーロ・ピッツエリアでマルゲリータを食べた。(ありがとうGoogle Map)
パンから発展したピザ、貧しい民衆はパンをお皿替わりにして上におかずを載せるスタイルを用いていた。そこへ南米のトマトが、スペインに入り、スペインと交易関係にあるナポリにトマトが沢山入り、それまでヨーロッパではゲテモノに近い扱いか、観賞用植物とされていたトマトが食用として受け入れられたそうだ。そしてマルゲリータ妃のお好みがチーズとトマトソースを使ったピザで、それがピザ・マルゲリータと名付けられたそう。
で、最初の「2019年12月3日、ナポリ、ポモドーロ・ピッツエリアでマルゲリータを食べた」に戻る。あのマルゲリータは美味しかった! これなんだな、本物は。釜で焼いているところを見せてもらった。到着が結構遅い時間、21時をまわってしまい、観光パッケージで来ていた私達と、あと一組くらいしかいなくて、次々焼いてくれた。ピザの縁の部分は残していいんだってことを、身をもって知った日でもある。
■
えがちゃんのあたおかポテトチップ、昨日のお店に行ったら、黄4個、黒8個あったようだ。また1個づつ買う。このあたりのアタオカは私だけなのか?
■
Xデー、来た。
いつか来るけど来てほしくない日が来た。
19時過ぎに流れた小澤征爾の訃報。
2月6日ご自宅で最期は心不全で亡くなったとのこと。88歳。もう長く車いすで、意欲はあるものの、人相は変わってきていた。いつか来るとはわかっていたけれど、ついに。
濃くて長い人生。世界で才能を届けた、戦後、最初の人かもしれない。
そのおかげで私の音楽鑑賞体験も拡げてもらったし、『やわらかな心』『ボクの音楽武者修行』などが大学生のころ胸に迫る愛読書だった。
なかなかご冥福を祈る気持ちになれないけれど、すでに亡くなってから4日目。ショックだけれど、ご冥福を祈らないとならない。
いまは閉店してしまった表参道のコーヒー店、大坊に来ていた小澤征爾さんをみかけたことがある。手術後の体力回復のため、近くのスポーツオアシスで運動した後。一度お店にいらしたところへ居合わせた。(2013年12月に閉店) 2010-2013年の間のいつかのことだ。
その前、2000年頃に新幹線が長野まで伸びた時、長野駅新幹線構内でお会いした。サイトウキネンオーケストラを聞いた後、演奏よかったですとか何か話しかけた記憶。
その前は1992年頃、つくばセンタービル、ラベック姉妹との演奏会の後、タキシードなどを持って外を歩いているところに遭遇して、少しお喋りした。
いつも、相手との垣根がなくて、あの目で相手のことをじっとみて、対等に言葉を交わしてくださる方だった。
音楽家ではない、素人の、ささいな一コマなんだけど、それでも
こんな記憶を残す人ってすごい。
■
20240210 Sat.
明日から2日間、京都で何人かと時間を過ごす。
安心できる相手とそうではない相手。
いろいろ妄想も湧いて来て忙しい。
・服装や荷物を決めなくては。
・昨日追加して買ったえがちゃんのあたおかポテトチップスは、京都で明日からの企画を立ててくれた人へのお土産。
・京都は寒そうだ。どのくらい防寒を持って行ったらいいのか。
・荷物は重くしたくない。かといって、着た切り雀なのも、カッコ悪い。
・靴やボトムスはどうしよう。
・A3版の人から人へ手渡していく本、それを今回集まるメンバーに渡したい。2冊持って行こう。
一体どういう時間になるのか。相手が提供しようとしているもの。私は何を期待して、何を体験してくるのだろうか。
20240211 Sun.
新幹線4人で2時間、話をしながら、えがちゃんのポテトチップを食べる。
ポテトチップ2袋、大きな本を2冊持ってくるがために荷物を2つ持っていた。朝一番、集合場所でまず皆に笑われた。なんでそんなに荷物多いの?
うーむ、そこからか。
気張りすぎて、そのお店で一番おいしそうでお得そうなキノコオムライスを食べた。それも完食。その後、4-5時間お腹で存在感を放っていた。
みんなで夕飯に鍋をつくる
日本酒を飲みながら鍋をつくって食べる。
脱兎という日本酒が美味しかった。他のお酒は四合瓶なのに脱兎は一升瓶。美味しいのと、脱兎というネーミングで皆盛り上がった。
脱兎した経験について、私は2つも披露してしまった。
ひとつは学生時代、論文を出してから卒業式までの間。研究室に顔出すことなく海外旅行へ行き、その旨、成田空港から担当教授へ葉書で知らせた件。
もうひとつは結婚生活からの家出の件。10日くらいかけて箱詰めしたことは夫も義母も気づかず、とある水曜午後に、引っ越し業者が20分ほどで運び出し、夫が自宅に帰る前に電話で「しばらく別なところから通うから」と伝えた。
みんな何故結婚したのか?と疑問に思ったようだった。
あっさり答えておいたが、本当のところを誰かに掘ってもらいたかった。
一棟貸しているこの建物内で寝ればいいという気安さで24時頃までだらだらお喋り。
当初は町屋の近くにある銭湯にいくはずだったが、シャワーを浴びてベッドに潜り込んだ。明日、朝ごはんは6:30組と7:30組。私は早い方。さっさと寝よう。
20240212 Mon.
京都リトリート 瞑想的な時間wを過ごす
朝ごはん、
2500円、豪華・・・美味しかった
朝食の帰り、大徳寺を通り抜け、今宮神社へ。
歩いているだけで整うなぁ
□
車で連れて行ってもらった正伝寺、素晴らしかった。
山あいにあり、門を入ると小川が流れている。人里から区切られた場所。(だけど実は隣がゴルフ場だそうだ。絶妙に見えないように仕組まれているが声が時々する。第二次大戦後、米軍が接収してゴルフ場にしたという)
デビッド・ボウイもここへ来た、という記事が置いてあった。
静寂が素晴らしい、
枯山水の庭、つつじを刈り込んだ島が白石のうえに並ぶ
借景となり、塀の向こうに比叡山が見える。
デビッド・ボウイも静寂を愛する人だった。
彼がここへ来てどれだけ心に安らぎを得たか、わかるような気がした。
比叡山が絶妙な位置に見えて、その手前の山林が、またいい形にラインを作っている。あれは意図して刈り込んでいるかもしれないな。
そして私は小澤征爾のことを思わずにいられなかった。6日に亡くなってから6日目。今ごろ彼の魂はどこにいるだろう? ここで静寂をみているだろうか。小澤さんがこの世で挨拶したい人が大勢いるはず。そしてあの世で再会して盛り上がる人達が大勢いるはず。
斎藤英雄先生、カラヤン先生、バーンスタイン先生、ロストロポーヴィチ、武満徹……。
幸せで濃い人生だった。
彼はどんな気持ちで最後の呼吸をしたのだろう。
□
ホウドウ寺の龍源さんというお坊さま。
話が面白かった。
お坊さんから聞くと、確かに日本は仏教がかなり国の成り立ちに関わっているなぁと思う。仏教を国を治める形と共に輸入したのだ。その前に神道がある。神道は言語化をしない傾向がある。仏教は意識哲学としてもかなり言語化に努めており文献が沢山ある。
宗教によらず、争いごとの極力ない、民も幸せに暮らせるような考え方をしようと構想しているらしい。そのために仏教哲学を基盤に他の宗教も包含して平和を造り出せないかと考えているようだ。
彼の話を聞いていると、そもそも仏教用語から来た日本語が沢山あることを思わざるを得ない。いつの日か、日本語を、仏教以前から会ったコトバ、仏教用語、明治期に作られた言葉、等々と分けてみたいものだ。
□
友人が取り組んでいる「まごころサポート」。その取り組みも、ホウドウ寺できいた話とつながるところがあり、いまできる人が、助けを必要としている人に手を貸そう、という話。
□
京都駅、伊勢丹地下で急いでおみやげ物探し。ちょうど出町柳の和菓子屋さんが出ていた。大福を買いたいのに、売り切れなのか、紙に包んだ豆餅しかない。3個入りを買って新幹線へ。
家に帰って包みを開くと、豆餅=大福だった。
20240213 Tue.
はぁ、T指向の人の、あるいはNT指向の人の判断・全否定って、イヤなもんだなぁ。そんなに決めつけられるものか?
朝読書会での感想。
自分の感想、反応がそこにいる人とは異なる立場で異なる意見と仕訳けられ、そのニーズは果たされないという判断を簡単に下す。立場をはっきりさせるTの人達?
きついなぁ。
そこにチャレンジをしている。練習だ。
そう思えば、辛い感覚に意味を見出せるというものだ。
コミュニケーションを再び拡げていくときに感じる疼き。
対処方法をいくつか持っていれば何とかなるものさ。
■
風邪っぽいのか?
自治体の職員に関するニュース。
震災後、でずっぱり、自宅の被災を置いたまま、業務に追われている。
燃え尽き症候群になってしまう。
2日か3日の休暇を最低限差し上げて、自宅の片付けをボランティアと一緒に取り組むか、2泊3日で温泉宿で休ませてあげられないか。
■
実家へ帰り、小澤征爾の話を母とした。
長女の征良さんによれば2月5日に都内自宅周辺も雪が降り、家族がワイワイ喜んで、小澤征爾も喜んで、そのまま床でお亡くなりになったそうだ。
他にも似た話を聞いたことがある。お一人様の姉が同窓会に行った日に楽しかったわぁとお風呂で亡くなったとか、私の祖父が亡くなった時、翌日、お嫁さんのお父さんがやはりいい気分でお手洗いに入って、そこで亡くなった話を思い出した。祖父のときは、会葬に来てくださった方が続けて亡くなったことに申し訳なさがあるのだが、満足して亡くなる、というのはいいパターンだなぁと思った。
小澤征爾さんもそういう亡くなり方で良かった。
イタリア映画にも満足して亡くなる話があった。
『あしたのパスタはアルデンテ』"MINE VAGANTI"2010
糖尿病のおばあさんが息子・娘たちを集めて、楽しいパーティーを行った後、お洒落して、好きなお菓子を買ってきて並べて食べて、そのまま亡くなるという映画。人生の引き際、哀しくもあるが、美しい話だった。
という記憶だったが、これは裏のあらすじで、表は老舗パスタ会社の長男・次男に関わるLGBTをめぐるお話だった。(Wikiにネタバレあらすじあり)
20240214 Wed.
実家でハナニラ退治。
ブルーベリー区画のハナニラを抜く。見た目が似た球根を持つ水仙などが生えていて、少々めんどうくさい。しかし今の季節は、葉や他の草木が少ないので取りやすい時期なのだ。
外へ回って、塀沿いの木の茂みの下にも群生しているハナニラを抜く。フェンスの中に手を突っ込んで作業。来週は波瀾を刈り込んで、再度ハナニラに取り掛かろう。
冬のうち3月中にかなり取り去れば、春・夏の花が咲く時期の個体数を減らすことができて、そうすれば種が少なくなり、増える勢いを多少抑えることができるのではないか。
以前はとても太刀打ちできない感覚がしていたけれど、殲滅は出来ないが、のさばらない程度に相手ができるような感覚になってきた。
次回は波瀾の刈り込みとそのあたりのハナニラ、一度では済まなさそうだけれど取り組もう!
20240215 Thu.
『精神の生態学へ(中)』ベイトソン
今日は、統合失調症の理論に要求される最低限のこと、前半(p.170-186)を読んだ。
コミュニケーションとはいかに、相互でつくる世界であり、物理のような構造が明確なものではないということが語られている。“私はわたしが信頼を置いている一つのメッセージ“を信頼しているが、他人にとっては全く違うメッセージであるかもしれないのだ。
だからといってそこに注目しすぎるのではなく、薄っすらその可能性をもちつつ、お互いが了解する範囲で世界を構築しているらしい。(p.182-183)
ハッキリしているのは、
・コミュニケーションは力学のような作用・反作用が明確なものではないこと
・自分自身とその周囲に、自分と言われる空間を持ち、その空間をまとった人間が二人会ったとき、重なる空間が生じるということ。
・自分自身と空間が、その人の責任範囲であるということ。その範囲で起こることに自覚的になる必要があるということ。
・相手から投げ込まれるものに対して、それが自分を損なうものであれば積極的に線を引いて良いということ。その線は、一時的なものであり、その人の人格を否定するものではないこと。ただし場合によっては、強固な線を引く必要がある場合もあること。
そんなことを本を読んで、対話をして得ることが出来た。
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区役所回り
文京区役所。後楽園の駅上にある。近くの東京ドーム。ティアラ江東というコンサートも開催されるホールと同じ建物。便利な場所にあり、エスカレーターで二階へ行くとすぐ戸籍課があった。番号札を取り、椅子に座って待ち、申請書を出し、また座って待ち、受け取って代金を支払う。
ずいぶんシステマティックに進んでいる。
母の戸籍謄本を受け取り、新宿へ向かって1時間半ほど歩く。天気がよくて一枚脱いだ。
新宿区役所。花園神社の近く、歌舞伎町の一角に郵便局と区役所が同じ重厚なビルに入っている。近くの繁華街とは雰囲気が全く違う。濃いめの茶色い古くてしっかりした建物で、近くへいくと存在感があるが、目立つ感じではない。文京区と同じシステムで、ほぼ同じ時間内に叔父の戸籍謄本を受け取った。文京区よりも国際度が高い。
1時過ぎ、セガフレード・ザネッティでパニーニとカプチーノ。レジ担当の見かけ男性の方、忙しそうにしていて待たせておいて、誤りながら注文を受けてくれた。が、今度はカプチーノなのに、普通のコーヒーを出すので、あれ、これ違いますというと「ごめんなさ~い、換えます、お二階へパニーニとお持ちします」と言って、二階までその人が「いえほんとーにごめんなさい、失礼しました~」と持ってきてくれた。もしかすると、違う場所ではもっと女性度が高くなる得る人なのかもしれない。
お店を出るときも1階カウンター内から愛想よく挨拶してくれた(笑)
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区役所で取った書類でほとんど揃った。あとは来週、従妹と会えば書類が揃うはず。手続き仕事は超苦手なのに、よく頑張っている。
専門家に聞くタイミング、聞く中身が重要。だけど、とにかく聞くことが大事だ。それと事前にネットで大まかな知識の枠組みを持っておくこと。そのうえで聞くこと。
そういった細々したことを疎かにしがちな私。
それではこの手の手続きはダメなのだ。落ち着いて、きちきちと取り組むと決めてやりきれば私にもできる。
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スタバのアンケートレシートを数日前にもらった。なので、無料でトールサイズをいただける。もっとよく考えたらよかったけれど、チャイティラテのトールにした。カスタマイズも無料なんだって。
長居をしたのとチャイティラテが甘くて、ドリップコーヒーを頼んだら、380円だった。あれ? このお店だけ高いの?
いやいや調べたら今日から値上げだった。
ショート トール (円)
ドリップ珈琲 350→380 390→420
ワンモア 110→126 110→126 *ゴールド会員料金
合計 460→506 500→546
昨年はワンモア・コーヒーの価格は据え置きとし、一般価格の場合ドリップコーヒーは162円/165円(持ち帰り/店内)、カフェミストは216円/220円(同)で提供していたが、今回の価格改定でドリップコーヒーが186円/190円、カフェミストは240円/245円まで値上げする。
カフェミスト、時々頼んでいたんだけどなぁ
っていうか、ショートサイズのドリップ珈琲は、値上げ前のトールサイズとほぼ同じ値段じゃないか。
値上げの影響は昨年で終わりではなかった。
早く展開するようで、
周囲の出来事に相変わらず反応しているだけ、翻弄されているだけ
という側面もある。
そうでない部分、それはどこか。丁寧にみて、大事にしたい。
やっと2024年の展望を具体的に考えられるようになってきた。
とはいえ、壮大なビジョンが見えるというよりも、方向を確認しながらひとつひとつ選んだり、やってみて感触を確認したり、という進み方らしい。
うん、あせらず、自分のなかの矢印を忘れず、視界を広く保ちながら、ときに集中して取り組み、日々過ごしていこう。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
こんな感じに生きてます。
読んでくださる方がいらっしゃることに感謝しています。
Corrected and revised without changing the purpose of the text at Feb. 21.