見出し画像

"良いも悪いも"意見は述べることで、人に巡り会ったり、良いサービスが受けられる面もある

宮崎県に移り住んでもうすぐ20年という期間で、自分で店を持つなんて思ってもいませんでしたが、アウトドアの店を営み始めて7年目。
同じく移住してきた方々と宮崎県の自然や人について話す機会が増えましたが、移り住んで最初は「良い人が多い」と言っていた人も、徐々にそうではないという意見を聞くことが増えてきます。
少しそんなことについて。

店のお客様で複数の転勤族の方々が、偶然にも同じ意味の仕事の話を僕に話してくださったことがあります。

「宮崎県はクレームが少ないから、仕事が楽だ」
「宮崎県はクレームが少ないから、品質が悪くても怒られない」

話を伺うと九州の中では福岡県・熊本県では品質が悪いとクレームが多いため、サービスやモノの品質に非常に神経を使うとのこと。
実は僕が会社勤めをしていた頃も「宮崎県は低賃金でも文句を言う人が少なく離職率が低い」と言われていました。
そんなことも、独立した経緯のひとつで「胸を張れる環境や仕事があるのに」と、僕は宮崎生まれでないのですが、少し悔しいと感じた記憶があります。

僕は意見を述べる性格なので「これはダメだろう」と感じた時には意見を述べます。そして僕がお世話になっている仲間も移住者であり、良いも悪いもしっかりと意見を述べていたり発信していたり、うちの店のスタッフも移住者であり同様です。

単純に見ると福岡県や熊本県は栄えており、宮崎県はちょっとお世辞にも栄えているイメージがありません。
サービス提供側の心理として「怒られないから適当でも大丈夫」というのは一定以上存在するものであり、ビクビクするのは良くないですが、サービスを提供する側には一定の緊張感というのは大切なものだと感じます。

民放二局な宮崎県

僕はテレビを見ないので支障はありませんが、宮崎県に移り住んで20年が経とうとする今でも信じられないのは、宮崎県宮崎市では民放が二局しかテレビで放送されていません。
そしてその二局でもリアルタイム放送でないものが多いようです。

「県庁所在地でそんなことがあるんだ」と、未だに信じがたいことではあるのですが、今ほどスマホなどが普及していない頃はどうやって楽しむのかと聞いた時には「ケーブルテレビに加入していれば問題ない」という回答だったのを覚えています。

と言うことは、他のエリアであれば無料で見ることのできる番組や情報を見るためにケーブルテレビに加入してお金を払って見ているのかと驚いたことがあります。

「お金がないテレビ局だから仕方ないよね」という残念だが仕方ないという意見を聞いたことがありますが、少なくともそんな業績には思えない優良企業だと思うので、やはり「どうなってるんだ」という意見がないのだろうと感じてしまうことがあり、不満足であれば言えば良いのにと思った記憶があります。
(厳密には、未だによくそう思っています)

"意見を述べること"は好きの証

僕は仕事でもよく相手に意見を述べます。
それは取引先であったり、自治体や行政であったり、その時によって様々なですが基本的に意見を述べるのは好きの証。

例えば取引先であれば、"良いもの・良いサービス"だとお客様に信用いただける存在であって欲しいからこそ、気づいた意見などをお伝えします。
例えば行政や自治体であれば、"良い町・また行きたい場所"とお客様に思っていただける存在であって欲しいからこそ、意見をお伝えします。

意見を述べるというのは、クレームや晒しではなく、好きだからこそという気持ちの表れであり、好きでなければわざわざ大事な時間を使って意見を述べることはありません。

"苦言"だけでなく、良い内容もまた意見

もちろん意見というのは苦言に近いものだけでなく、良いサービスや感動した時にはそれを伝えることも大切なことだと常々思っています。
今のご時世では、それをSNSやインターネットで伝えることも可能であり、僕が感動したものを誰かに伝えることで、感動の提供主がより良い環境になるように僅かでも力になれたらなと願っています。

そして僕自身もちろん良い意見を聞くことは、働く上で大きなモチベーションとなり、もっと頑張らねばと働く気力をいただきます。

意見は"述べるべきだ"と感じた時

こうして意見を述べることについてわざわざ書いてみるのには要因があり、僕らの店が仕事のような、ボランティアのような形で携わっている"観光を目的とした自然の道"について意見を述べた時のこと。

その道が利用者目線でなく、リスクを孕んだ箇所もあることで、店のスタッフが歩きながら「私たちがボランティアで歩いて伝えていくことで、地域の方自身が気づき、少しでも良くなって行くといいのにね」と呟いたことで、その意見を率直に店のWEBサイトやSNSで投稿させていただきました。

するとその意見を拾ってくださった自治体の方々が「自らもチェックに出かけてきます」と僕らにメッセージを下さいましたので、僕らもその自治体の方とLINEでやり取りしながら意見交換や僕らの気づきなどをフィードバックさせていただきました。

そしてその自治体の方は、僕が日頃からよく意見を述べる町の方。

結果として道の見直し、その他にも活用できる道を考えようという意見交換など、新たなより良いサービスを考えられないかと前向きな話に繋がっていく訳で、その町を楽しむ方やその町の方にとって、僅かであれど"良い方向"へと動くのであります。

意見を述べて反応がないことも多々あるとは思いますが、色々な意見を述べて共感いただいたり、反応が少しでも生まれたら良し。
有名人ではない僕が意見を述べたところで、反応がないことなんて何の不思議もないことであり、だからと言って述べないのは自分が損するものです。

店が苦言を言うというのは、少し避けるべきかなと思っていたのですが、実際に言ってみると「協力します」という自治体の方や、お客様の反応があり、言った張本人(僕)は実はすごく救われました…汗

意見は多い方が良い

僕らが苦言的な意見を述べた時「あなたが言ってくれるお蔭で」と言われることがありますが、僕は「だったら自分で述べろ」と言います。
苦言な意見が少数であれば、結局は言っている者が面倒と扱われてしまい、改善に繋がらないことが残念ながら多いものです。
そして「そう思ってたんです」という内容は、言わなければ伝わらないもの。

働く上で面倒なことは避けたいのが大抵の場合であり、面倒な仕事・面倒な人は避けて働きたいというのが人の当然の考え方です。
だからこそ、多数意見であればそれを伝える必要があり、多数に評価される内容であれば評価している旨を伝えなければ、良いサービスも持続しないことがあります。

だからこそ、良いものは人に伝え、改善して欲しいものは当事者に伝えるこどで、結局は自分に良いことが巡ってくるもの。

「言っても無駄だからさ」
「だから宮崎はダメなんだよ」
「裏でコソコソ言う人が多いよねー」と、僕はそんなことをよく聞かされますが、大抵の場合「だったら言えば良いじゃん」と返します。

それは「クレーマーになれ」ということではなく、意見を述べること。
人を傷つけるのはダメですが、意見を述べることは僕らにとって大切なことなのです。

「てげてげで良いんだよ」※てげてげ=適当という意味の方言
そんな習慣に宮崎県は苦労するぞと、以前に宮崎の著名な方から言われたことがありますが、意見を述べるというのは面倒が付きまといます。
「きとんとしろ」という意見を述べるのであれば、自分がきちんとしなければならず、言わない方が楽なのかも知れません。

でも、お客様の意見を代弁すべきで「僕もそう思う」と感じたならば、嘘偽りなく、しかも遠慮なく意見を述べる僕ですが、そんな意見に真摯に向き合ってくださる方々が居ることもまた、僕らにとってもお客様にとっても嬉しいことなのであります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?