管制官の女。(スーツを着た四つ輪の猛牛、アウディS8)
俺は今、V10エンジンのスーパーリムジンで女性を送迎している。
3つのルール「依頼人の名前は聞かず」「契約遵守」「依頼品は開封しない」に従って。
映画トランスポーターで、運び屋の主人公が定める仕事引き受けの不文律だ。と言っても映画では、全て自ら破るのだが。
俺のマシンはアウディS8。
ラグジュアリーサルーンそのままの外観ながら、ランボルギーニ・ガヤルドと同じ5.2リッターV10ユニットを積む、四つ輪の猛牛だ。
2シーターのガヤルドに飽き足らず、V10のトルクと回転数が淀みなく上がる味わいを、俺はセダンにも求めてしまい、こいつを増車してしまった。
映画トランスポーターに登場したのは、実はS8ではない。アウディ社から提供されたA8 W12 6.0クワトロの外装に、本来制作サイドが希望していた”S8風”にカスタムを施していたのだ。
そんな閑話があろうが、S8には、ついトランスポーターを意識してしまう。
メーター260を超えてからはセダンの明らかな空気の壁を感じるが、直噴V10は280くらいのリミッターカットらしきところまで伸び上がる。この領域においてもエアサスのロードホールド感に不安が無いのは大したものだ。
もちろん俺はリッター3キロ台になろうと気に留めない。
S8の相棒としての時計は、A.ランゲ&ゾーネのランゲワン。
中でもプラチナケースをチョイスした。
精悍な顔つきとランゲの質実剛健とした雰囲気がアウディS8と共鳴する。
ドイツ製だと言わずもがなとズッシリと作りこんであるのが伝わってくる。
しかしながら、持て余すほどに重たい事はない。
彼女との出会いは、横浜のホテルで行われていた格闘技イベント関係者の打ち上げパーティーであった。格闘技だからこそなのか、ドレスコードもあり、俺もその日は珍しくTOM FORDのスーツ姿であった。
彼女は背が高く、ショートカットでパンツスーツできめながらも、着物が似合いそうな雰囲気を醸し出していた。 会場では彼女と時折、視線が合うように思えた。
運命だろ、これは。いつものように決めつけているが大抵上手く行く。
その魅惑に惹かれたので、誰と来たのかと差し障りのない質問で近づいた。
一緒に来たのが、イベントの名物女性リングインアナウンサーでもあり共通の知人と知った。彼女は自衛隊で管制官もしていたとの事だ。それなりに鍛錬もしてきたのだろう、立ち姿勢からも脊柱起立筋がしっかりしている様子が俺には分かる。彼女は先に帰りたいらしく、話の流れで横浜の会場から虎ノ門の彼女の自宅まで俺が送迎することになった。
どうやらまた仕事が舞い込んできたようだ。
5m級の車では、地下駐車場への狭い螺旋通路が面倒なので、たまたまホテルのバレーパーキングを利用していたことから、ホテルエントランスで、かなりエレンガントに彼女を俺のS8に迎えいれた。
乗り込む前に、広く快適な後部座席か、ちょっぴりエキサイティングな助手席か希望を聞いて、彼女は躊躇せずに刺激的な助手席を選択した。
この時点で俺のマインドは高速モードに入った。つまりドアトゥドアで電車の3分の1以下の所要時間での送迎が今回の”契約”だ。
滑走路のような長い湾岸線の直線に入り、いよいよ飛行機が離陸する際のマックスパワーの如く俺の相棒S8のV10は滑走した。
そんな猛々しい走りの車内では、
デンマークの高級オーディオメーカーであるバング・アンド・オルフセン製のサウンドシステムが、上質なサウンドを奏でる。広大なキャビンとの相性が良いのか臨場感があり、ダッシュボードから突き出したツイーターがしっかりとした輪郭を伴いつつ繊細な表現も実現する。カーオーディオにも目覚ましてくれた逸品でもある。
途中”チェッキングポイント”があり、彼女もそれに気が付き、俺自身も減速が間に合わないかと思ったが、カーボンセラミックブレーキは驚愕の制動力で、想定以上に手前で減速し過ぎてしまったほどだ。
契約の時間通りに虎ノ門まで送迎し、チップ代わりの軽いキスを頂いた。
彼女はシートベルトを外すとおもむろに手を伸ばしてきて、俺のネクタイを緩めた。
依頼品自ら開封する分には俺は構わないことを告げると、早く着いたボーナス報酬は部屋で渡すと。
その夜、ランゲワンのパワーリザーブ表示が十二分な量を示してた。